ムラサキシタバ (十月)

 毎日のように近郊の野山で蝶を追いかけていた大学時代。この時期が精神的には最も安定していた。しかしそんな生活で社会性が身に付くはずもない。四年生になっていざ就職という時がきて大いに困った。どの会社に入り何をすべきか皆目見当も付かなかったのである。同期生がつぎつぎと有名な電子機器メーカーに内定していく中で、一人目標が定まらずぼんやりしている僕を見かねた親友が「おまえのようなやつには放送局が良いだろう。いろんな仕事があるだろうから何か見つかるよ」そう勧めてくれた。テレビ放送が東京や大阪など大都市でやっと始まった頃である。高度成長期前夜という時代が幸いし、世間知らずの僕でも入社できた。

 五カ月の新人研修を経て配属が決まる。希望には南国の蝶を夢に描いて鹿児島放送局と書いた。その魂胆が見破られたのであろうか。初任地は希望とは逆方向の山形放送局と決まった。東京オリンピックを翌年に控え、山形にもテレビ放送施設を開設する忙しい時期だった。当然のことに、着任と同時に昼の日中に野山に蝶を追うなど不可能になった。

 放送局の勤務は三交代制で、週に一回泊まりがある。放送は夜の十二時に終了し、次の朝五時にニュースで始まる。その間、翌日の放送に支障がないように放送設備を整備点検する。僅かの仮眠の後、放送開始に合わせて必要な装置の電源を入れ、アナウンサー共々寝ぼけ眼でローカルニュースをラジオ第一放送に送り出す。それが宿泊勤務技術者の役目だった。放送装置の電源は切るのだが、電灯だけは一晩中煌々と付けてある。ある時ふと気がつくと、いつも背にしている窓に蛾が沢山へばりついているではないか。それまではほとんど興味の対象ではなかった蛾も、よくよく見ると美しい。その時脳の蛾欲回路にスイッチが入った。最上川の支流の一つである馬見ヶ崎川を挟んで盃山と向かい合う当時の山形放送局は、まさに蛾を誘引するためのライトトラップであった。

 日本に棲む蛾は約四千五百種が知られ、蝶の二十倍を上回っている。蛾は蝶に比べて愛好者が少ないので、これからも新種が続々と発見されるに違いない。

bug10.gif  蛾というと、夜中に部屋に飛び込んできて粉をまき散らす嫌な生き物と思われがちである。全ての蛾の粉、つまり鱗粉は毒だと思っている人も多いだろうが、本当に毒を持つ種類は毒蛾の仲間の二〜三種類だけで、それ以外は無害なのである。嫌われるもう一つの理由は、羽の大きさに比べて胴体が太いことであろう。家に飛び込んでくるような蛾には、確かに胴体が太いものが多く、弁護の余地がない。

 蛾を集め始めるとまずとりつかれるのが、カトカラと呼ばれている仲間の魅力である。日本には三十種類程知られている。どれも前羽は苔蒸した木の皮のように地味な灰色である。しかしその下に隠されている後羽に、意表を付く色と形の紋をあしらっている。ある種類は真っ黄色の波形模様を、別の種類はピンク色の帯を、といった具合である。特に、濃紺の地に明るい青紫の輪を染めぬいたムラサキシタバは、羽を広げると十センチにも達する程大型で、妖艶さ漂う美しさである。ほかのカトカラが盛夏に現れるのに対し、ムラサキシタバは九月から十月にかけて横綱の風格で土俵入りする。その姿を放送局の窓の下の壁に発見した時、ゾクッと背筋に冷たい物が走り抜けた。

 十年ほど前玉川大学に奉職し名刺を新調した。ムラサキシタバのスケッチを刷り込んだところ、それを渡す度に「これは何という蝶ですか」とたずねられる。「いや、これは蝶ではなくて実は蛾なんです」と説明すると「蝶と蛾はどう違うんですか」という質問が返ってくる。「色が美しいのが蝶で地味なのが蛾なんですよね」とか「羽を閉じてとまるのが蝶、開いてとまるのが蛾、でしょう」など。どちらももっともらしいが、残念ながら“ピンポーン”ではない。正しく見分けるポイントは触角にある。蝶の触角は新体操で使う棍棒のように先端が太くなっている。しかし蛾の触角は美人の眉のようにすーっと先細りか、あるいはゲジゲジ眉のように枝分かれしている。日本の蝶と蛾に関する限り例外はない。「蛾と蝶の区別などどうでもよいではないか」と言われそうであるが、そこはおろそかにはできない。どこが共通でどこが違っているか、それを突き詰める情熱が、分野を問わず学問を極めるうえで大切なのである。


bug102.gif  さて、話を蝶と蛾の違いに戻そう。だれにも思い浮かびそうな違いの一つに「昼飛ぶのが蝶で夜飛ぶのが蛾」という説明がある。蝶に関するかぎり、夜行性の種がいるという話を全く聞いたことがないので、まあよしと認めてもいいと思う。それでは蛾は全て夜行性かというと、それがそう簡単ではない。確かにほとんどの蛾が夜行性なのではあるが、蝶のように真昼に活動する鳥を恐れぬあまのじゃく蛾がひとにぎりいるのである。

 学問的に証拠が示せたわけではないが、蛾が夜行性になったについては、それなりの理由がありそうである。僕のみるところでは、鳥やコウモリなどの昆虫捕食者も蝶と蛾を区別しているように思えてならない。というのは、あんなに目立っていてしかも難なく捕まえられそうな蝶が飛んでいても知らんふりしているのに、蛾が飛び立つと、とたんに一目散に追いかけるのを何度も見ているからである。蛾には何かおいしい要素があるに違いない。だから、蛾は捕食者の目を逃れるために夜間活動する生活リズムを身に付けざるをえなかったと推察される。

 そうなると捕食者のほうもだまって見過ごしてばかりはいられない。コウモリたちの一群は、半夜行性に自分自身を造り替えた。そして光の情報で蛾を発見する代りに、超音波レーダーで蛾を追いかける神経の仕組みを脳に発達させた。彼らは飛びながらピユ│、ピユ│と超音波を発声し、相手から返るコダマ(反射音)と自分の発声音の関係から、相手との距離や相手の大きさなどを判断しているという。さあこれで完璧!と思いきや、蛾もさるもの。コウモリの発声する超音波をキャッチして羽をはばたかせる筋肉に停止命令を送り、コウモリの目と鼻の先でストンと落下して敵の視界(聴界)からこつ然と消えるという離れ業をやってのけるものが現れた。進化のシナリオがこの順で進んだのか否かは判然としないにしても、そんなハイテク競争が、人間社会にのみならず、生物進化の世界にも起きているらしい。



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