テーマ:これからの時代に求められる人間
主催 ― 玉川大学・玉川学園女子短期大学 学生センター
応募資格 ― 大学・女子短期大学(専攻科,大学院を含む)に在学中の本学学生
第一席入賞作品
(授賞式は1998年11月22日に行なわれた;賞金10万円)
サムライ、騎士、ガンマン
― 世界平和と異文化尊重 ―
1.はじめに:現在の日本文化を考える。最近、アメリカの日本語教育に一つの変化が見られたそうです。織田信長を「Nobunaga,Oda」と現在の英語表現のようにはせず「Oda,Nobunaga」と日本語表現のままアルファベットに変換しようではないかという動きでした。ことの発端は、ごく単純な疑問で、固有名詞である人の名前をなぜ変化させなければならないのか?というもの。 実は、元を正せば、初めて「My name is Ryuya,Shimada」と言い、ファーストネームとミドルネームを欧米風に変化させたのは何を隠そう日本人だと言うから驚きです。おそらく、江戸末期、文明開化の時期にでも、国際社会に向けてそのようにしたのが習わしなのでしょうが、私には、これが国際社会の中で日本が生きていくための得策であったとは考えにくいのです。 元々、欧米人が自分の名前であるファーストネームを先に言い、後から家(家系)の名前であるミドルネームを言うのに対し、日本人が苗字、名前の順に言うのには、文化の違いが原因だからです。しかし、私は、もちろん、そんなどちらの名前を先に言うのかなどという事をとりたてて議論するつもりはありません。しかし、この問題に対して、某ニュース番組で放送していたアメリカ人のコメントが問題なのです。 そのコメントとは、「日本人が名前、苗字の順に言うのは日本の文化なのではないですか?名前と言うのは、個人を表す上で最も大切な物の一つであるのにも関わらず、日本人は欧米式に名前を変化させてられて腹立たしくはないのか?日本人は名前に対してだけでは無く、自国の文化その物に対しても自信が無さ過ぎるのではないか?」という物でした。これを聞いて皆さんはどうお考えになられますか?正直、私は、とても恥ずかしく、目が醒めるような思いでした。実際、私自身、日本人としての自覚も欠けていましたし、日本の文化を考えた事など微塵も無かったからです。 確かに、戦後、やや遅れた民主主義国家として生まれ変わった日本は、アメリカに追いつけ追い越せと言わんばかりに文化を大切にする暇など無いほどに働き、高度成長期を過ごし、先を行くアメリカに対して、経済のみならず生活や文化にも憧れを抱き続けてきました。結果、現在では、日本は言うまでも無く、世界の大国と肩を並べる経済大国に成長した訳ですが、その代償として、いつしか日本人は日本文化を忘れ、すっかりアメリカ化してしまっているのではないでしょうか?特に若者文化に至っては、茶髪、褐色の肌、キリスト教徒でも無いのに教会結婚を挙げる。相撲、歌舞伎、演歌などの大衆文化離れ。和食嫌いの洋食好き。和服を持っていないばかりか、着た事も無いとすらいった始末で、そのアメリカ化は、数え上げればキリもないほどです。 しかし、なにもアメリカ文化を否定するつもりも、懐古主義、もちろん右肩上がりの思想を訴えるつもりも無いのですが、世界からアジアの中心的役割として、世界のリーダーとしての日本が望まれている今、果たしてこのままで良いのでしょうか? 「Noと言えない日本人」と言われて久しくなりますが、現在の日本人では、当然。私にはどう考えても、自国文化のはっきりしない、自己を持たない現在の日本人が、世界を舞台に「Yes」や「No」といった明確な意見を言えるとは思えないからです。大国となった今だからこそ、日本は、世界に向けて、日本オリジナルな文化、意見定義をするのではないでしょうか?
2.世界が一つになるという事。「人間社会の、すべての人間の固有の尊厳と平等で譲ることのできない権利を承認することは、世界における自由と正義および平和の基礎である」を詠った国連による世界人権宣言の提案から50年以上が経ちました。世界人権宣言は、人類に多大な惨禍をもたらした第2次世界大戦に対する痛烈な反省の中から生まれたものであり、その基本理念は「地球上のあらゆる差別をなくし、人権を擁護することこそ戦争を防止し、世界の恒久平和を実現する」ことにあるという物です。しかし、その後も世界にはさまざまな差別が現存し、民族紛争をはじめ惨たらしい戦争が後を経たず、多くの人権と生命が侵されています。 それでは、21世紀を目前にその我々人類にとって理想的な社会ともいえる平和で平等な社会を築き、世界を一つにするためには、私たちは更にどのように努力し、生きていけばよいのでしょうか?悲しい事ですが、今日まで人類の歴史は戦争の歴史と言っても過言ではありませんでした。というのも、経済や思想を統一するために人類が導き出した答えがその愚かな行為しか無かったからです。 広大な宇宙から見れば、米粒のように小さい外周4万km程度の小惑星に住む人類を一つに纏める事など、それ以外の方法を使っても直ぐにでも出来そうにも思えるのですが、実際には、数十億の人類に同じ考えを与えることはどんな権力にも出来ませんでした。戦争以外の方法でも宗教が、それを叶えようと試みましたが、結果は、やはり同じです。最も普及しているキリスト教で全人類の32.8%、イスラム教16.5%、ヒンズー教13.3%、仏教6.3%といった具合です。宇宙が150億年前に誕生したのに対し、地球誕生は46億年前、人類誕生が300万年前、キリスト教の誕生などはたかだか2000年前なのですから、上の2つの方法などによって、難しい事でしょうが、経済や文化がいずれ一つになることも時間が経過すれば全く無いとも言えません。 しかし、ここで一つの疑問を覚えます。本当に、世界が一つになるという事は、経済や思想、文化が一つになるという事なのでしょうか?経済の単一化は、バブル経済が見せたような破綻を生み出しますし、思想の単一化は、危険思想を生み出す可能性があります。人間に限らず生物は、どうにも異物を排除しようという傾向があるようですが、真の社会とは、横並びで全てが同一の考えを持つ社会などでは無く、異なる幾つかの考えが矛盾の上にバランスをとっているからこそ成立するの社会なのではないでしょうか?つまり、私は、世界が一つに=文化の統一では無く、個々の個性を尊重する事だと考えます。
3.異文化を尊重するためには?(複数民族国家マレーシアの場合)一般に私たち日本人は、「彼は日本人です」と言われると、黒い髪をした日本語を話す人だと考えがちです。つまり、日本人=日本民族だと思っているのですが、実際はどうですか? 世界を見れば、複数民族によって構成された国の方が多いのですから、答えは直ぐに分かる筈です。例として、マレーシアでは、マレー系、中国系、インド系といった民族がそれぞれ60%、30%、10%となっていて様様な人種が入り乱れて住んでいて、話す言語も別々です。宗教も、イスラム教、仏教、ヒンドゥー教、キリスト教が信仰されています。服装、食べ物ももちろん違います。つまり、マレーシア人=マレーシア民族という方程式は成立しません。マレーシアでは、このような違った民族が、それぞれの文化を守りながら、お互いに尊重しあって、調和のとれたひとつの国を作り上げています。私の友人にイギリス系のニュージーランド人がいますが、彼によれば、複数民族国家で巧く他民族と付き合っていくコツは、やはり、他民族を尊重する事と自分の民族を主張する事、そして何よりその民族間交流を楽しむ事だという事でした。 日本にも、人口の占める割合は大きくはありませんが、北海道のアイヌやウィルタのような少数民族がおり、また、日本に住む中国や韓国・朝鮮の人々も90万人近くいて、それぞれ独自の文化と言葉を持っています。最近では、さらに多くの国から日本に働きに来ている人を目にする事も多いでしょう。郷に入っては郷に従えとも言いますが、他の国が他の民族に、民族の価値観や生活スタイルなどを押し付けることは、決してあってはならない事です。私たちが、地球と人類のよりよい未来のために国際活動を行うならば、最も気をつけなければならない事は、こうした様様な文化や生活を尊重する事であり、そのためにもまずは、我々、日本人が再び日本文化を顧みて、世界に胸を張って自慢できる日本文化を持つ事なのではないでしょうか? 未だ、日本を訪れる外国人は、日本人が和服を着ていないことに驚き、少しがっかりもするそうです。もちろん、今更、和服を着る事や、映画やTVでは無く歌舞伎や落語を見る事が、日本文化を考える事であるとは思いません。ただ、未来の子供たちが、博物館でしか着物を見た事が無いという前に、落語や歌舞伎をビデオでしか見れなくなる前に、国際化社会だからこそ、最低限、各個人が世界に出て日本の素晴らしい文化を伝えることができる程度には、日本文化を学びたい物です。それが、異文化交流を成功させ、社会を平和に導くキーなのですから。
4.まとめ:世界に求められる個人この不況の中、日本の大手一般企業の雇用にも変化が見られます。所謂、これまでの学歴社会が生んだ画一化された人材は、必要では無いという事。企業が求めているのは、個人能力に富んだ個性ある人材だというのです。当たり前なのですが、画一化された社員は、画一化された意見しか述べる事が出来ないからです。日本企業が、これから世界と対等して行くためには、確固たる自信と意見を持った強い人材が必要とされているのです。もちろん、その自信に見合っただけの世界に通用する能力、例えば語学力や技術力も必要なのですが…。更に大きく世界に必要とされる日本人と見ればどうでしょう。同様に、現在の日本人は、先にも述べたように日本文化を忘れ、アメリカ文化で画一化されてしまったようには考えられませんか?世界は、日本にオリジナリティを求めているにも関わらずです。 かつて、地球の大きさ、距離が人種や言語、文化の違いを生み出しました。しかし、それは今、科学の進歩(移動手段やネットワークの進歩)によって消えつつあります。そんな、世界が一つになろうとする今だからこそ、他文化、自文化のそれぞれを尊重しようではありませんか。これからの時代に求められる人間とは、個性豊かでありながら、異なる個性を認められるという人なのですから…。 最後に余談にはなりますが、タイトルにある「サムライ、騎士、ガンマン」とは、私の希望的空想でもありますが、現代の世に着物を着た日本のサムライ、西欧の騎士、西部のガンマンが現れ、お互いの文化を認め、まるで旧友のように笑いながら語らっている姿なのです。もちろん、刀、槍、銃などは持たずに…。 *参考文献*
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