鶴岡八幡宮は町造りの中心

鶴岡八幡宮は「源氏の守り神」として、はじめは海の近くに作られましたが、鎌倉の町を造るにあたって、由比ヶ浜から一直線に伸びる「若宮大路」の延長上に設計されました。頼朝は鎌倉の町を本格的に作るために碁盤目(ごばんめ)のような京都の町並みを手本にしたといわれています。八幡宮はその基点になる大切な建物でったのです。明治以後は八幡宮という神社の形をとっていますが、元々は八幡宮といい、お寺でもありました。昔の絵を見るとお寺の建物も多くあったことが分かっています。

八幡宮に行ったら階段の一番上から若宮大路を眺めてみてください。八幡宮が鎌倉の中心であることがよく分かると思います。

また、頼朝の大好きだった流鏑馬(やぶさめ)は今もここ八幡宮の境内で行われています。3代将軍の源実朝は八幡宮の階段を下りきったところで、甥(おい)の公暁(くぎょう)に殺されました。この八幡宮を舞台に多くのできごとがあったのです。