井戸と働く人々

玉川学園・玉川大学


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水道の無かった当時,井戸は水を得る大切な施設でした.武士の屋敷は戦に備えて必ず敷地内に井戸がありました.皆さんがみているこの井戸は「はねつるべ」といい,"てこ"の原理を応用しているため,少ない力で重い水をくみ上げることができました.井戸端は炊事の準備と洗濯の場所で,女の人の集会所にもなっていました.「井戸端会議」は昔からあったのです・・・


当時の水事情について説明しましょう.水道はありましたが,京都に住む天皇や貴族の屋敷,あるいは鎌倉の有力武士の屋敷とごく限られた所にしかありませんでした.一般の人は川の水を使っていましたから,洗濯も炊事も同じ水を使っていたわけです.ですから,ひとたび伝染病がはやると多くの人が感染し,沢山の人がなくなりました.


この絵は『餓鬼草紙』(がきぞうし)といい,飢饉の歳に疫病が流行した様子が描かれています.よく効く薬も病院もない時代,病気にかかることはとても不安で怖い時代だったのです.(餓鬼草子より)


上浜田遺跡(上の絵の元になった遺跡の井戸と柵のあと)

  

左側の四角に笹が茂っているのが井戸.右の細長い円柱が並んでいるのが柵の跡です.柵の外側に井戸があるところが面白いですね・・なんでだろう?


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