オサムシ (十二月)

最近妙に肩が凝るので、通勤途中にある整骨院を訪ねてみた。看板は昔から見慣れているのだが実際にドアを叩いてみるには少し勇気がいる。整骨院とはどんな事をするのか想像しただけでも細い骨が折れはしないかなどと、いらぬ心配が浮かんで始末が悪い。しかし今度ばかりはあまりに苦しいので、やむなく決心したのである。予約の電話を入れ、緊張しながら、五分前にアパートのいちばん奥にある白いドアのブザーを鳴らすと「どうぞお入りください」と中から声がした。ドアを開けると、白衣をつけたロマンスグレーの紳士がにこやかな顔で立っている。その姿を見て、とたんに緊張がほぐれた。「肩が凝るそうですね。どれみてみましょう」と言って背骨の様子をみている。とまず第一声「あなたは上ばかり見ている仕事なんですか」というおもいもよらない質問がとんできた。「はあ??どうしてですか」と聞き返す。「首の骨が後ろ向きに折れ曲がってるんですよ。それで神経を圧迫しているんですね」との返事である。それを聞いておかしさがこみ上げてきた。(これはいつも蝶を追いかけている報いなんだ)とつぶやく。「なるべく下を見るようにした方がいいですよ」と医師は重ねて言う。それを聞いてまた心でつぶやく。(そうか、今度は飛んでいる虫ではなくて、地面をはっている虫を探さなきゃ)。

 地面を歩く虫で、最初に頭に浮かぶのはオサムシである。この虫は羽がないわけでもないのに飛ぶことはない。枯れ葉の中をガサゴソと歩き回り餌を探す。オサムシの食糧はカタツムリやナメクジそれにミミズなどである。柔らかそうで動きの緩慢なこれらの生き物を狩る。とは言っても、肉が新鮮である必要はなく、ひなたに出て自ら命を絶っているミミズに群がっていることもある。玉川学園でよく目にするのは、緑色の金属光沢をもつアオオサムシである。この虫は道路を横断する性癖があり、たまに道端で踏みつぶされている。「ああ、もったいない」そんなつぶやきに前を歩く人が怪訝な顔で振り返る。

 オサムシはカブトムシやクワガタと同じく昆虫の中でも甲虫類(鞘翅目)に属する。日本には数十種類のオサムシが知られており、虫キチの中でも人気の高い対象である。オサムシだけを溺愛する人種も多く、そんな人を特にオサキチと称して他の虫キチと区別する。オサムシをペンネームにした故手塚治虫氏もその一人である。

 オサムシを採るには、いくつかの秘術がある。夏であれば、オサムシの通りそうな道に罠を仕掛ける。手軽な罠は紙コップで、これなら北海道から九州までどこへ出かけても近くのスーパーで手に入る。狙い定めた場所に穴を堀り、そこにセットした紙コップにオサムシをおびきよせるための餌を入れる。その餌にオサキチそれぞれの工夫があるのだ。ある人はカニの食べカスが、ある人はイカの塩辛が、また別の人はナマコの焼酎漬けが良いと言う。飲んべえが自分好みの酒のつまみを自慢しているようでおかしいが、共通点はタンパク質とアルコール発酵の混じったような臭いなのではなかろうか。そんな各自秘伝の罠、これをオサムシトラップと呼ぶが、それを夕方百個も仕掛ける人がいる。そして日が暮れて二〜三時間経った頃見回るのである。

bug12.gif  十年程前、北海道に蝶の採集に行ったおり、夜の暇をもて余し、阿寒湖畔に僕もオサムシトラップを仕掛けてみた。餌は、酒のつまみ用に買っておいたタコの足の燻製にウイスキーをポトポトかけたものである。それを三十個程仕掛け二時間程して見回ると、なんとコップがまるごと掘り返されている。もちろんオサムシの影もない。人が掘り返したとも思われないので、よくよくあたりを見ると動物の糞がコロリと落ちている。しかたなくそれを採取して宿に帰り、内容を調べてみた。すると出るわ出るわオサムシの未消化の羽、それにオオセンチコガネの金ぴかに輝く羽。こんな所でオサムシトラップをかけると、キタキツネと奪い合いになってしまうのだ。

 ちょうど今ごろの季節もオサムシ採集のシーズンである。夏の場合とは全く異なり、採集には道路工事まがいの装備が必要となる。三十年以上も前の事になるか、あるオサキチが冬の採集法を発見したのである。オサムシが山の道路脇の崖に越冬することを見つけてしまったのだ。オサムシがほんとうに崖を好んで冬越しのねぐらにするのか、それとも林の中ならどこにでも潜り込んでいるのか、そこのところが僕にはまだ半信半疑なのだがいずれにせよ、崖掘りは林のまん中を掘り起こすよりたいそう楽なことだけは確かである。

 オサムシは強いジャコウの香りを発するので、鼻のきく人なら崖を嗅いで回って、いないところを掘り返すような無駄をしないで済む。いそうだと目を付けた(鼻を付けた?)崖を掘り返して、お目当てのオサムシが手足を行儀良く揃えたままの寝姿でコロリと転がり出てくる快感を一度味わえば、はまること受け合いである。


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