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パソコン情報活用術

第二研究棟の5階にパソコンのチューターとして勤務している木村です。

思い起こすとパソコン歴もすでに30年を超え、これまでたくさんのパソコン(以下PC)と格闘してきました。

その中で覚えてきたこと、発見してきたとこをお伝えできれば思います。

・「玉川大学モデル」徹底的に使ってみる
・「モバイルパソコン」の使い方
・「パソコンを使ってアイデアを練る」などの


話題の中心にこのコーナーを作ってみたいと思います。

初代は、NECのPC(PC-9801)を父に与えられた。当時のPCは家庭用電子計算機という位置づけだたったようで、 スイッチを押せば用がたせる他の家電とは違い、とにかくスイッチを入れてはみるけど、それほど大量の計算することもなかった。お小遣いの計算だったら電卓で十分で・・・たくさんあるボタンを一通り押し、しばらくして特にやることがないので、スイッチを切るというが最初の使い方でした。

というのも今のようにすぐに使えるようなソフトなんか一切はいってなく、ワープロもソフトを購入せねばならなかった。ワープロソフトはすごく高価で、十分ワープロ専用機を買えるような値段だったし、小学生の低学年の私にはそれほどワープロで文章を書く必要もなかった時代だった。

それではゲームでもと、なんとか挑戦してみたが、現在のPCのように、データをPC内に入れら余裕がないので、 毎回インストール。それも記憶媒体がカセットテープ、データを読み込むので、テープの再生時間だけかかった。ゲームをやるのに、毎回1時間程度かかった。それでも私にとってTVゲーム自体かなり珍しかったので、結構子供心に楽しかった。でも、その時はそれ以上PCに興味をもたなかったし、他にやる必要性もなかった。

しばらく、PCに注目しなかったが、就職して、カラーのノートパソコンが出てきて、「これで、3次元のパースが書け、プレゼンできるかも」と衝動買い。ところが、3次元のソフトを買う余力もなく、また購入した程度のPCの能力では、とっても実用にはならないことが分かり、それほど使わなかった。

当時のPCは、高値だった。その理由の一つが、ほとんどNECのほぼ独占市場だったからだ。しかし、PC界の黒船ともいえる、コンパックPC(日本では安売りPCの代名詞ともなったパソコンだったけど、本場アメリカでは一流ブランドとして普及していたらしい。他の商品でも内外価格差がかなりあった)が上陸、それに伴い、PCも競争激化となり、価格低下となって、一般に普及した。とうとう職場使おうとすれば、だれでも使える環境となっていた。

私の職場にも、ワープロ専用機からPCが導入され、とうとう一人一台使えるようになった。設計を生業にしてた私の業務にも、PC化の波が・・・。あっという間に、大きな製図台がモニターに代わり、 鉛筆がマウスに代わり、青焼機がプロッター・プリンターとなった。インターネットが普及して、資料を探すのも、 打ち合わせも、PCで出来るようになりました。

私のあこがれていた3次元パースも、一般の大衆機で十分出来るようになり。ほとんどの業務がPC抜きでは出来なくなるなど、どんどんPCに興味を持つようになりました。というのも、最初は単なる情報収集・整理の道具に過ぎなかったPCが、人と人のコミュニケーションにも使えるようになり、情報を加工してアイデアを生む道具と進化してきた点でした。

数えてみると、所有したPCはディスクトップパソコン7台、ノートパソコン4台となり、かなりの時間と能力とお金を費やしてきました。これらの経験の中で、PCをつかった情報をどのように使ってきたのか、また使える方法などを学んできました。 

コンテンツ

■ <第一回> 
玉川大学モデルのお得な点!!

■ <第二回> 
「はじめてのMyPC」をのぞく

■ <第三回> 
「マニュアル」をのぞく

■ <第四回>
バッテリーとうまく付き合って、モバイルパソコンを使ってみれば・・・。

■ <第五回>
小さいノートパソコンをもっと便利に使おう

 

 

 

PC-98シリーズ

かつての日本のパソコンといえばNECだった。

パソコンの購入の選択枠は、少なく、代換機というものを当時のセイコー(現エプソン)が発売していてた。新製品が発売すると、少々安くして、同程度の性能の製品をかならず発売していた。

そのため、NECは相当なステータスがあった。「いつかはクラウン」ではないが「いつかはNECのパソコンが欲しい」だった。

 

私の紹介

名前 : 木村 量(ry-kimura@eng.tamagawa.ac.jp)

勤務場所 : 第2大学研究棟 プロジェクト室 内線8589

勤務時間 : 毎週 火曜日 PM 1:00 ~ 5:00
木曜日 AM 10:00 ~ 5:00

勤務内容: ・パソコンやアプリケーションソフトの使い方の相談など
・リベラルアーツ学部の情報機器の管理
・リベラルアーツ学部のホームページの作成

*学校に毎週2回上記の時間に来てますので、
わからない所などあれば、どんどん質問・相談に来てください。

 

パソコン略歴 :

1990年、建築学部卒業後 研究室に来たリクルーターに偶然名刺をもらい、成り行き上そのまま、そのゼネコンへ入社。建設会社の設計部に配属され、約7年間、主にマンション・店舗の設計に携わる。当時は、まだバブル経済の影響が残っていたためか、本当にたくさんのマンションを設計した。

当時のパソコンは、各課に多くて2台ぐらい。やっとワープロ(契約書などの清書などに使われていた)ができた程度。文字どおりワープロ(オアシス:富士通製など)のほうが多かった思う。表計算を使える人は神様扱いで 、ワープロと表計算を使う報告書を書いてもらうのに仕事の調整を必要とし、わざわざ課長のハンコをもらいに行ったほどだったと記憶している。

 1996年 少々やり尽くしたと若気の至りで勘違いしたため退社し、もう一度、勉学の道へ。

 当時ようやく、巷でインターネットなるものがささやかれはじめ、学校のパソコンでは、インターネットを体験できたが、自宅のパソコンでは、ようやくモデムなる電話線に直接つなぐことで*パソコン通信だった。

 *パソコン通信とは、データを交換できたが、まだまだ通信環境が貧弱で、長文でもメールならよいがたまに、添付ファイルなどがあると30分以上接続して、やっと終わり、開いてみると、たいてい文字が動くカードのようなもので、 たいしたものでないものが大半だった。それでも、目新しさに迷惑を省みず、結構楽しんでいた。

また、ちまたにモバイルパソコンなるものが出たため、早速購入(初代Let'tNote AL-N1)して授業でノートの変わりに使う。みんなも新もの見たさに使い始め、一番困ったのはコンセントに近い位置をいかに確保するかだった。延長コンセントを使ったりしてしのいだが、ケーブルに足を引っかけるなど事故も多発した。


(「そんな事故を起こさないために床の下ケーブルを通すオフィスのリフォーム工事をやりましょう」とのCMもあった。当時設計で床をどれくらい上げれいいのか議論した記憶もある。まだまだ、LANということ自体 まだまだ新しいことで、LANコードと電気のコードとどう違うかあまりわからなかった。)

 時代も新世紀になり、設計事務所に勤務。面接で「これからCADで図面書くから、CADできる?」「できます」と言ってしまう。 当時、まだまだ図面は手書きが主流。言葉は知っていたが、やったことはなかった。というのもCADは、当時とっても高価なもの(メジャーなソフトのAUTO  CADなんて 何10万もする)とっても個人でできる人は限られていて、大手ゼネコンに一部導入されたケースがある知っている程度。それも、特別にCADの講習を受けた人ができるとの認識だった。もちろん事務所でCADができる人はいなく、無料のソフト「JW-CAD」がやっと普及してきて、唯一の分厚いマニュアルを購入して、結局入ってから、一から開発することになった。(この経験が、自分のPC人生において転機となった)

 とうとう事務所でISDN(出た当時、「イセダン」「イスドン」と読んでいた。あとで「アイエスデーエヌ」と呼んでいるのを聞いて、こう呼ぶのかと関心したのを記憶している)を入れ、インターネットを使える環境になる。ネットサーフィン(現在は死語?)といってもどうやらこうやら見えるもので、こういう世界もあるのか?と関心して見た。でもとても楽しむまではいなかった。

 事務所でHPを立ち上げることになり、インターネットを本格的に研究。(当時は、ヤフーを「ヤッホー」と呼ぶ人も多く、全然話として通じていた。)まだまだ、事務所でHPを持っているところも少なく、どんなものを載せたらいいか、皆目見当つかず、たくさんの建物の写真を載せるにも、載せる方も見せる方も制約がまだまだあり、テキスト中心のHPを作った。でも、HPとHPがつながる(ハイパーテキスト)だけでも、とっても新鮮だったと記憶している。

 その後、内装工事会社・マンションの管理会社など経験し、現在、独立し建築の設計事務所を営むかたわら、経験から学んだパソコンの技術も、重要な糧となっている。

 

ワープロ専用機

パソコン でワープロをやるとするとソフト(一太郎他)と共に、プリンターが必要となる。パソコンも高価だし、ソフトもプリンターも大変高価だった。ワープロをパソコンでやろうとすると、単純に専用機の3倍以上に・・・。まだまだ、ワープロが主流だった。
専門性の故にここまで繁栄したが、その専門性の故にインタネットなど新しい流れについていけず、姿を消しつつある。


 

JW-CAD

現在、フリーソフトのCADで一番の普及してる。高機能でフリーのためユーザーが多く、独自で作り出した使い方などネット上で公開したりなど、ユーザー同士の切磋琢磨があり、それにより開発者がもっと使いやすくするという、雪だるま式開発方法の成功した例。まさに、インターネットという新しい世界で成功したものづくりとしてのケースとして代表的な一つと言える。