海外研修報告

米国先進校の教育に見る連携とテクノロジー活用の実際

──海外教育事情(連携)視察報告──

 

高等部: 榑松史人,川崎以久哉
中学部: 阿部敏雄,藤樫大二郎,佐藤二郎,平山雅行
小学部: 菅野勝治郎,高橋 聰
教育研究所: 多賀譲治


1 はじめに

 玉川学園が自らの存在価値を認識し,より良質な教育を目指すために,「幼・小・中・高・教育研修会」が『K−12の教育を考える』をテーマに平成6年度より3ヶ年計画で行われてきた.本年はその最終年度にあたる.これとほぼ並行して,平成4年度より5ヶ年にわたり2種類の海外教育事情調査が継続して行われてきた.ともに「小原國芳教育学術奨励基金」のプロジェクト1)である.
 ひとつは,米国で毎年開催されている“CUE(Computer-Using Educators)”への参加,及び先進テクノロジー実践校の調査である.幼小中高各部の教師を中心にこれまで19名が派遣された.
 もうひとつは『海外教育事情(連携)視察』である.どちらも正式な名称は「テクノロジーの教育における利用法に関する調査・研究」であるが,コンピュータの利用に関する調査はどちらかといえば「CUEへの参加派遣」に委ねられ,「海外教育事情(連携)視察派遣」はコンピュータの利用を含む米国の初等・中等教育における教育システムや実態を見聞し学ぶという色彩の濃い調査派遣であった.
 こちらも5回にわたり,幼小中高各部の教師を中心に延べ20名が派遣され,参観した学校数も40校に及んだ.両者とも『所報』2)・『教育研究』3)にその都度報告を行ってきたが,本稿は「海外教育事情(連携)視察派遣」の最終報告である.第4回(平成7年度)と第5回(平成8年度)で同一の調査校があることと,派遣時期が接近していたこともあり,共同の報告とした.さらに全体を総括的にまとめる要素も一部含めた.
 参観校は,玉川学園の今後を模索していく上で,その目的に十分適う実践が見られる学校を以下の観点から選んだ.

  1. 建学の精神を持つ伝統的な私立校であること.
  2. 幼小,小中,中高,または小中高などの一貫教育のシステムを持つこと.
  3. コンピュータを主としたテクノロジーの利用を,積極的に教育現場に導入していること.
  4. 大学準備教育の性格が明確であること.

 その結果,ニューヨーク・ボストンを中心とする米国東部の伝統あるいくつかの名門校,及び西海岸の先進的な学校が選ばれた.多民族国家アメリカが抱える多様な,そして複雑な教育現場から学ぶことは多い.しかし,派遣の目的は明日の玉川にとって有益な部分を学び還元することによって,教育現場の活性化あるいは教育構造の見直しに役立てるところにある.例えば,上記の観点1.についていうなら,伝統校において建学来の精神は社会状況の変化の中で,どのように踏襲されているのか興味ある問題である.また,観点2.については米国式の一貫教育そのものをまず見たい.その中で特に接続部分がどうなっているのか,玉川学園の一貫教育にとって大いに参考になると思われる.観点3.では授業あるいは教育のシステム全般にわたりコンピュータがどのように有効に利用されているか.また,それを玉川の今後の教育にどのように生かしていくかを考える上で参考となろう.最後に観点4.であるが,米国の政治や経済,あるいは文化各界のリーダーを輩出させうる質の高い高等教育機関に適応する人材の育成はどのような教育環境,システムによって行われているのであろうか.いわゆるプレップスクール4)と呼ばれる大学準備教育の場としての中等教育の実際を見てみたい.
 『連携』という海外派遣プロジェクトの名称どおり,一貫教育を標榜する私達の責務として,今日求められる全人教育の理念と実践を試行していくうえで,『何を生み出すために』『どの部分の連携を見直し強化できるか』を真摯に求めていくことが必要である.そのためには現状の把握と問題認識に立脚し,可能な限り情報を集めること,さらに,それらを整理し,客観的に分析し,判断し,実行していくことが今求められているのではないだろうか.
 以上の目的と経緯によって行われた「海外教育事情(連携)視察」の報告が本稿である.

2 「自分」を育てる教育

 平成8年3月,小学部児童12名が米国サンノゼにあるThe Harker Schoolを訪問し,3日間のホームステイと体験入学を行った.The Harker Schoolは,今回の私達の調査研究の対象校でもあったので,彼らの報告を興味深く聞いたが,児童たちが自らの体験を通して学び感じ取ったものは,生活を共にするという,より具体的な体験に基づいているため,私達教師が1日だけの参観を通して学んだ以上のものがあった.しかし,第4回7校,第5回6校の参観を通して私達は教師の立場で,米国における良質且つ先進的な教育の現場から教育理念・教育目標・教育構造・教育の方法等多くの事を学び,これからの玉川の教育を考える上で大きな示唆を与えられたのである.
 本章では,米国に於ける先進的私立校の教育理念や教育目標,それに基づく実践について報告する.

 (1) 米国の学校教育がねらっているもの

 第4回の調査をコーディネートした本学教育学科の田中義郎助教授が「一昔前の,米国の学校では子供の目が死んでいるように感じられたが,近年は生き生きとした学習活動の場面が見られるようになってきた」と語っているように,今回の参観で最も印象に残ったのは,どの学校でもゆとりをもって生き生きと活動している子供達の姿であった.
 そうした,ゆとりと落ち着きは,1学級の平均生徒数が15〜6人までであることに負う所が大きいと思われるが,それ以上に,学校教育のねらいが明確であることに最も大きな要因がある.
 私達が参観したどの学校でも共通して示されたこと,それは「学校の役割の第1は『学力の育成』である」という考え方であった.Dalton School5)では,担当者が「当該学年の2年先を学習指導の到達目標にしている」と述べており,The Harker Schoolでも「本校では一般校の1年先を標準にして学習指導を行っている」とし,理科では1年生の授業を2年生の教科書からスタートするという徹底ぶりであった.このように私立学校においては,一般校よりもいかに効率良く学習指導を展開していくかが,その学校の大きなセールスポイントになっているのである.また,公立校であるGraham & Parks Alternative Schoolにおいては,入学時に約40%いるL.D.(Learning Disabilities学習障害児)の指導について,担当者は6年生までにその90%は障害を克服して学習を進められるように学習力を伸ばすことができていると説明された.また,代表的なプレップスクールの一つであるPhillips Exeter Academyでは,多くの生徒が「Phillipsの生徒はどの生徒も皆夜遅くまで熱心に勉強している」と語っており,日本からきていた女子生徒の『日本にいたときよりも学習量が多く,勉強がすごく大変.』といった言葉が大変に印象的であった.
 米国の学校では朝,生徒が登校して全員が揃えば,授業が始まり,授業が終わればさっさと下校する.日本の学校のように全校生徒が集まって朝会をしたり,帰りの反省会をしたりというような場面はほとんど見られない.また,授業と授業の間にブレイクタイムを設けて,おやつを食べたり,ジュースを飲むことはごく一般的なことで,学校によっては授業中に生徒が飲食する光景も見られた.しかし,そのことによって学習の雰囲気が乱れるような様子は感じられず,回りの生徒もごく自然に受け止めていた.それは個々の生徒が学習に主体的に取り組んでいるために,個人の問題として他への迷惑にはならないからである.
 学力の育成とは単に知育の偏重を意味するものではない.児童・生徒にどのような力を育てようとするのかについて,学校は明確な目標を持っている.それは,セルフ・モティベーションの強い生徒を育てることにあり,自発的に問題を発見し,それを自分で解決して行く力の育成である.そして,その基本として「批判的な思考力」「懐疑的な思考力」が位置付けられていた.
 当初,私達はそれら「批判的思考力」「懐疑的思考力」という言葉にある種の戸惑いを感じていた.初等中等教育の段階で「批判的思考力」を育てることが本当に必要であろうか,むしろ,「センス・オブ・ワンダー」という言葉に代表されるような,物事を驚きや感動を持って捉えられる心を育てることの方が大切なのではないか,という思いにかられたからである.しかし,授業を参観するうちに,私達が「批判的思考力」(Critical thinking)という言葉のニュアンスを正しく理解していないための迷いであることに,次第に気付いてきたのである.「批判的」に物事を見ることは決して対象を否定的に見ることではなく,より正しく深く理解するために客観的事実と解釈を見極め,問題点を発見し,それについてさらに一歩掘り下げて考えようとする思考方法であり姿勢のことなのである.
 Buckingham Browne & Nichols School(以後BB&N;)で授業参観した際に,5年生の教室で先生が私達を児童に紹介し「子供達に質問があったら何でもしてみてください」と言われる場面があった.私達から児童たちへのいくつかの質問の中に「日本のスポーツ選手で知っている人はいますか?」というものがあったが,すぐには回答がなく,しばらくたってから「アッ,知ってる,知ってる,ヒデオ・ノモは日本人だ」との答えがあり,次に「たしか,スケートのクリスティー・ヤマグチも日本人じゃなかったかしら」という返事が返ってきた.その後,しばらく児童たちでワイワイ言い合っていたが,「なぜ,私達は日本のスポーツ選手を知らないのかしら」「私達がテレビで見ているのは国内のスポーツだけだからさ」「つまり情報源が偏っているということになる」「ということは発信する側の情報を一方的に受け入れずに,こちらから必要な情報を求めればよいということになる」「ただし,なぜ外国のスポーツ選手を知る必要があるのかは別問題」などのやりとりが展開された.日常の些細な事象を通して「懐疑的」あるいは「批判的」な思考力を育てようとする姿勢が垣間見られる場面であった.
 また,Dalton Schoolにおける歴史の授業(6年生)では,旧約聖書の創世記の記事を題材に,考古学上の事実と対比しながら,創世記の書かれた意味を考えさせようとする授業が展開されていた.BB&N;では,ギリシャのデモクラシーと米国のデモクラシーを比較検討する授業が行われていた.ギリシャは民主主義の発祥地ではあるが,貴族たちの下には多くの奴隷がいた事実をどう考えるか,など,調べた事実をもとに,徹底的に話し合う興味深い学習が進められていた.
 Graham & Parks Alternative Schoolの校長は「進歩主義の教育とは,一言で言えば具象(具体的な経験)を通して,抽象へ導くということであり,それによって,創造性豊かな子供を育てることである.」と述べていた.「為すことによって学ぶ」と言われるが,単に具体的な経験を数多く積ませれば創造性が伸びるというものではない.具体的な経験を通して,それを批判的にとらえ直す過程が子供の力を伸ばす上で非常に大切になるのである.算数や数学の授業でもこの理論の実際化を数多く見ることができた.また逆に,抽象(あるいは結果)から,具体への思考活動場面もいくつか見られた.始めに結論を与え,それを帰納的に実証していく思考活動である.
 あるクラスの数学の授業では,きれいに包装されたプレゼントを見せて,それが包装されるまでの手順を予想させ,本当にそれでよいかどうかプレゼントを開きながら確かめていくという学習が行われていた.数学の公式を生徒自身に発見させるという手法だけでなく,初めに公式を与え,その公式が実際に成り立つのか,また,なぜその公式が成り立つのかを徹底的に検証させるという方法も,盛んに試みられているのである.
 単に結果を覚え,それを応用して問題を解決するという学習ではなく,このように一つひとつの事実を様々な角度から分析し,見つめ直し,そこから真実を発見させていこうとする所に「批判的な思考力」を大切にする教育の意義がある.また,「比べ方」「選び方」などからコンセプト・マッピングのような「能動的な知的活動」を行ったり,相手の立場に立って相手の論拠を理解し,自らの論拠を戦わせるディベートの技法まで「批判的・創造的に思考する技術」の習得が具体的に計画されたその上で,学習活動が展開されていた.情報を収集し整理・統合するといったコンピュータの活用なども,その中に大きく位置付けられている.
 「思考力を伸ばす」とか「創造性を伸ばす」という米国の学習指導のねらいは私達も常に大切にしてきた指導上の要点である.「批判的な思考力」を育てる以上のような視点は,その具体化のための大きなカギを握っている.

 (2) 目指すのは全人格的な人間形成

 私達が見た限りでは,小学校段階でも中・高等学校段階でも,かなり密度の濃い学習活動がなされていたが,それが知識の伝授のみにはなっていない事に改めて注目させられた.知育と徳育が別々のものではなく,一体となって行われているのである.
 いわゆる生活指導上の「しつけ」的な面においては,日本の現状と米国の現状とでは大きな違いが感じられた.生徒が自由に懇談するためのラウンジでは,テーブルに足をあげて雑談する生徒も多く目にすることができた.大きなテーブルを囲んでの話し合いによる授業の際にも,そのテーブルに足を上げて話し合いに参加している生徒も見かけた.個々の服装も自由であり,私達がBB&N;を訪れた日はちょうどハローウィンの日だったので,授業中にもかかわらず仮装用の仮面を被った生徒がどの教室でも数名は見られ,細かな校則で子供の生活を規制する雰囲気もあまり感じられなかった.それでも,学校全体の雰囲気は落ち着いており,多くの生徒が集まる食堂などでも騒がしい感じはしなかった.
 朝早くから私達を迎えてくれたMiddlesex Schoolではチャペルで朝の集会が行われていたが,司会者が前に立つと,それまでの喧騒がうそのように静かにおさまり,学友のピアノ演奏に手拍子や拍手で応援をしていたのが非常に印象的であった.こうした生徒の集中力と落ち着きは,学習そのもによって育てられた心の豊かさの表れであるように私達は思う.知識の量をできるだけ多く詰め込んだ者が高い評価を受け,そのための競争に明け暮れる受験勉強では人間として本当に必要な心は育たない.個人の人格と意見が十分に尊重され,一人ひとりの欲求が満たされながら学習が進められる場があってはじめて,自分そして他人をも尊重する豊かな心が育って行くのである.それは,「神無き知育は知恵ある悪魔を作ることなり」との警鐘のもとに真の知育を目指してきた玉川学園の教育理念とも共通するところであり,これからの教育を考える上で一層大切にして行かなければならないことであるとの認識を新たにさせられた.
 こうした米国におけるプレップスクールの教育の在り方も今回の調査で大きな感銘を受けたものである.そもそもプレップスクールとは,名門大学への進学準備を目指す学校であるが,いわゆる日本の受験校と決定的に違う点は,大学への入学試験準備のための教育ではなく,優れた大学での授業に対応できる力の養成を目指しているところにある.日本と米国とでは入試制度そのものに大きな違いがあり,一概にその良否を比較することはできない.しかし,心身共に最も充実した伸び盛りの時期に,ただ知識を詰め込み,少しでも偏差値を上げ,1点でも多く点数を稼ぐ技術を身につけることと,真に高等教育を受けるに相応しい人格を形成するために,互いに徹底的に自分の考えを磨き,物事の真実を見抜く批判力を身につけるために心身を鍛えるのとでは余りにも大きな差がある.Dalton Schoolの先生が次のように述べている.
 「ドルトンの卒業生たちは,しばしば大学教育に“強い”と言われます.それはドルトン・プランが彼らに自らの教育的運命をどうやってコントロールするかを教えているからです」.
 玉川学園は幼稚園から大学院までを有する総合学園であり,いわゆる受験競争の弊害を受けないでも済む環境にある.学園長からは既に「大学準備教育」の充実が私達の最重要課題として提示されている.私達はその課題に応えるための一つの手段として,学内での進学制度を見直しプレップスクールの良さを取り入れたいと思う.その最大のポイントは,全人格的な人間形成を目指す学習指導目標の明確化と一貫性,そして方法についての検討と実行であると考えている.
 さて,青少年期の人格形成として学習指導と共に力を入れていたスポーツ指導について述べておきたい.Middlesex SchoolやPhillips Exeter Academy, BB&N;などのプレップスクールにおいて私達が目を見張ったものの一つに,立派な体育施設・設備がある.これらの学校ではバスケットボール,サッカー,野球,ラグビー,アイスホッケー等々のチームスポーツに大変力を入れていた.BB&N;では,毎日11時50分から2時10分まではランチとスポーツの時間である.1日の中間にスポーツの時間を取り入れたのは,それが生徒の生活に合っているとの実験報告を重視した結果である.スポーツの課外活動は1年間を3シーズンに分けて,1シーズンに3種目のチームスポーツの中からその一つを選択させる.チームプレーを重視し,協力や責任感,フェアープレーの精神やリーダーシップなど,社会人としての基本を育成していくのがねらいである.同じ地域内の対外試合なども定期的に行われているが,どの学校も概ね同様のシステムで行われており,勉強は二の次にしてでも全国大会の優勝を目指して厳しい練習を重ね,精神力を鍛えていくという,日本の体育系クラブ活動の指導とは目的も運営もかなり違っているように思えた.
 また,あきらかにエリートの養成を目的にしているこれらの学校においても,いわゆるマイノリティーに属する生徒も積極的に受け入れ,人種の多様性を大切にしていた.様々な文化的・社会的背景を持った生徒達が集まり,協力して活動することは,多民族国家として避けて通れない事柄である.異質なものを認め合うことは個々の人格を尊重することと切り離すことはできない.こうしたことに教育的な意味が認識され,当然それに対応するための奨学金制度も充実しているのである.
 このように米国における人間形成の根幹は全人格的なバランスの取れた個の確立にあるといってよい.個が確立してはじめて真に相手の立場に立つことができたり認め合うことができるのである.近年,我が国においてもボランティア活動が広まりを見せているが,米国のそれに一日の長があるのはこうしたバックグラウンドがあるからこそとも言えよう.

 (3) 徹底した個へのアプローチ

 学校教育の一つの特徴は,集団を対象にした教育を行うことにある.しかし,その集団を伸ばすことを目標とするか,集団を形成している一人ひとりの児童生徒を伸ばすことを目標にするかで,教育の様相は非常に違ったものになってしまう.今回の調査研究では,米国のこれらの学校における「個を伸ばす」ことの徹底ぶりに改めて教えられることが多かった.
 先にも紹介したように,Graham & Parks Alternative Schoolでは,入学時には様々な学習障害を持った児童約40%が入学してくる.それら一人ひとりの児童に対する指導の在り方も参考になることが多い.児童が入学してくると約1カ月かけて複数の教員で詳しく観察し,心身の成熟度を観る.そして,問題を感じる児童に関しては保護者の了解のもとに,専門医等の診断を受け,必要があれば継続的な診断を受けることになる.それらの児童に対する基本的な指導の手法はスモールステップを繰り返すことにあるが,どのステップが有効であるかの判断が非常に大切になってくる.そして,3年でI.Q.を測定し,実際の活動の評価が予測される到達目標値よりも低い場合は,子供の力が発揮されていないと判断してその原因を探り,別の指導方針をたてる.このような指導を通して,学習障害児と診断された児童の90%は6年生までに解決を見るという.しかし,同校での解決の可能性の見通しが困難な児童については,早い段階で他の道を探ることになるとも述べていた.
 同校での読書の時間を参観した時は,10数人で読み聞かせを聞いているグループの他に,3〜4人のグループ,さらには,一対一で本を読んでもらっている児童を見ることができた.一対一でないとついて来られない児童に対しては,必要に応じてそのように対応するのである.
 このような,一人の児童・生徒にそれぞれ専門的立場を持つ指導者グループが継続的に関わることはなにも学習遅進児に限ったことではなく,米国の学校教育ではごく基本的な指導体制といってよいのである.
 優良な私学である今回の調査校で共通していたことは,各教科担当者の他に,アシスタントプロが配置されている場合,その教師の役目は優れた子供の指導に当たる場合が多かったことである.The Harker Schoolでは,各クラスとも2人の教師で指導し,小学生の早い段階から心理テストや知能テスト,また教師の観察等を通して,能力の高い子供を発見し,その才能を十分に伸ばすように努めているのである.国語と算数においてはアドバンスクラスを設けて指導しており,特に優れた児童の場合は上級の学校での聴講制度も行っていた.
 また,Phillips Exeter Academyの音楽の授業ではギターのレッスンが個室で行われていたが,生徒一人にインストラクター一人がついており,生徒が一人でも必要とあれば専門の教師がつくとのことであった.
 BB&N;では,女子生徒だけの学習教室があった.担当教師の説明では,「この学級は男子の力が強くて,男女一緒に学習すると男子だけがリーダーシップを取ってしまう傾向になるので,別々の授業にした」そうで,このような処置は日常的に行われているとのことであった.また,同校の高等学校段階には,生徒自身の選択で自由に学習に取り組む時間として,1日2時間のフリータイムの時間がとられていたが,基礎的な学習到達度が不十分な生徒はフリータイムの時間が少なくなるとの説明があった.自由や平等に対する意識の強い米国で,このような運営が当然のことのように行われていることに驚かされたが,全ての生徒が同じに扱われている訳ではなく,個々の生徒の状態によって対応している.それが個々によって異なる個人の能力を最大限に引き出すという姿勢と,共通理解の上に立ってのことの表れであり,何でも同じ扱いが公平といわれる日本の学校とは異なる点である.
 以上,いくつかの例から,個に応じるための対応の様子を述べたが,その重要なポイントは1学級の人数であろう.平均生徒数が12人〜15人.何かの都合で特別多くても22〜3人の学級で,しかも1学級に複数の指導者が配置されている場面を多くの学校で見ることができた.
 私達は今まで「1学級の人数が多くては,個別学習は困難である」と思っていたが,米国の教師は「1学級に35人もいたら,一斉指導は成り立たない」と考えているのである.米国の学校で見たように,生徒に自由に発言させ,一人ひとりの考えを大切にする授業を行うためには,生徒数が35名では持続することが非常に困難である.むしろ自学中心の個別学習の方が個々に対応しうる機会が増すが,一人ひとりに密接に対応することを考慮すれば,これも継続していくことが困難であり,少子化社会,公立校における1学級の少人数化,あるいは社会的価値観の変化という今日的社会状況に伴い,私達もまた指導者に対する生徒数の検討と対応を迫られているといってよいのである.

 (4) 柔軟なカリキュラムその総合化と細分化

 米国の教師から私達が学ぶべき点は,教育の内容や方法を指導要領や経験に頼らず,自らの研究を基にして教育内容を組み立て,改善し,実践していく姿勢である.
 米国には法的な拘束力を持った指導要領は無く,カリキュラムの作成も学校や教師自身の裁量に任されている部分が多い.従って,彼らの研究の主眼は,どう教えるかよりも,何を教えるかに重点がかかっている.自分で作成したカリキュラムに従って指導する訳であるから,それだけ自信と責任を持って日々の指導にあたっている姿が見られた.
 一貫教育を推進する上で大変参考になると思われたのが,BB&N;の「カリキュラム編成部」の存在である.小中高各部の縦の系統が保たれるように教科会の調整役として“カリキュラム主任”がおかれ,必要に応じて各部内の教科(人文系・社会系・自然科学系・言語系・芸術系・体育系の6教科)の主任会,一教科の縦の教科主任会,教科単位に縦の合同教科会等の会議が招集される.さらに特徴的なことは,毎年2教科に絞って集中的に研究を深めることにしていることである.1年間に5〜6回の小・中・高合同の教科会が開かれる.最大のねらいは,12年間のカリキュラムの一貫性や整合性の点検にあるということであった.そして,1教科の立場からすると,3年に1度は自らのカリキュラムや指導法,評価法に対し,全面的な検討を加えることになっているのである.カリキュラムは担当学年のカリキュラムだけでは成立するものではないので,12年間全体を見通して一貫性を図る綿密な検討が必要になる.従って,学校内での教科部会の活動は非常に重要な役割を果たしている.また,小・中・高校間の連携を考える場合,カリキュラムや指導方法の連携だけでなく,生徒一人ひとりをどうやって長期的な目で,一貫して導いていくかについても検討しなければならない.その上でもこの“カリキュラム主任”には,時として各部長(ヘッド・マスター)以上の権限が与えられ,カリキュラムの一貫性確立に向けて,指導力を発揮できるような役職として独立している.それだけに責任も重要である.
 一方,指導内容において著しい特徴は,一つのテーマを基にして総合的・合科的に扱う「プロジェクト学習」が多いということである.The Open Charter SchoolのようにKから6年生まで学校全体が「サバイバル」という大きなテーマの基にすべての学習を一貫したカリキュラムで指導している学校もあり,The Harker Schoolのようにかなり明確な教科学習として組み立てられている学校もある.このように,それぞれの学校の独自性があるが,テーマを設定しての問題解決学習として進める場合が多いという点では共通していた.
 このような取り組みは低学年だけでなく,小学校高学年段階から中・高等学校段階でも盛んに行われていた.Graham & Parks Alternative Schoolの中学部では,「文化」「旅」のテーマで活動していたが,テーマの設定にあたっては,近隣の大学との連携を図っている.また,同校の数学教室の壁面には巨大な歯車の模型が展示されており,数学と音楽と工作を統合した学習が展開されていた.実際にボール紙で歯車を作り,歯の数と回転数,打ち鳴らすドラムの間隔などをコンピュータで計算し,グラフ化する学習が行われていた.さらに,Middlesex Schoolの美術室の中心にはフォード車のボディーがどんと据えられてあり,エンジンの修理から始めて,ピカピカの車に再生させる授業が行われていた.エンジンの仕組みから,公害の問題,塗装の技術まで,毎年,廃車になった車を1台持ってきて,その車を再生させることによりあらゆる分野の学問ができると担当者は語っていた.
 このように,どの学校に行っても,算数や数学で学習したことを美術で表現した作品などが展示してあったり,行事や生活経験を題材にした学習,数学と天文学の合科など,様々な工夫が見られたのである.
 小学校段階には,日本でいう時間割はなく,日課表だけで,午前の1〜2時間目は国語,算数の基本的な学習,その後は総合的な活動となっているような学校も多く見られた.
 学習の総合化と共に,中・高等学校段階では,教科の細分化と言える傾向も見られた.Middlesex Schoolの場合は140講座,Phillips Exeter Academyの場合は200講座が開講されており,それらは,教科内容を細分化した講座名でもあり,どの教科にも属さない独立した教科として位置付けられるものも多い.The Harker Schoolでは,8年生から「環境」と「リーダーシップ」が教科として加えられており,玉川学園の小学部とインターネットを通して共同で行われたOur Trees Project6)もこの一環である.
 このような総合化と細分化の傾向から言えることは,教科の枠にとらわれないで,子供のニーズに沿って,あるいは,指導内容の必要性によって,柔軟にカリキュラムが構成されているという点である.新しい教育の在り方を考える上で,その方法だけでなく,「何をねらって,何を教えるか」といった基本から今一度掘り下げて考え直す必要を改めて感じさせられた.

 (5) 評価は個性をのばす

 私達は,この調査を通して評価の持つ本来的意義についての再認識を随所でさせられた.どの学校でも生徒が評価を前向きに受けとめ,自分の理解度や到達度を認識し,自尊心を持って学習や生活に取り組んで日常生活を送っていることと,教科指導に於ける評価活動が巧く機能し,一人ひとりの個性を大切に育てていることに感心させられたのである.
 私達が調査した学校では各教科における評価が,レポート等の提出物や授業への参加を75%とし,ファイナルテストは25%として合否を決定し単位を出していた.点数が基準に満たない生徒に対しては,教科担当者が個々に生徒と相談し合否を決定していた.私達と同じように日常評価,平常点を重要視しており,結果だけでなくその過程や生徒個々の姿勢を大切にしていることが分かる.ただ,その比率の違いには驚かされた.
 一方生徒自身による自己評価や相互評価にも多くの示唆を与えられた.教室や廊下の空間を有効に利用し,図画工作の作品を展示し,生徒による相互評価が行える環境を作り上げている.教師からのアドバイスや評価だけではなく,同級生や他学年の生徒からも評価されるのである.
 高学年の授業では,コンピュータで作成した音楽やグラフィックスの作品を相互に公開し,協力しながら作品を作り上げていくなど,積極的な相互評価とコミュニケートがより効果をあげているようである.教師の評価やアドバイスだけでは得られない同年代の発想の豊かさと,意見交換の場が上手に演出されていた.他人にアピールし他人の評価を重視する米国ならではのことと思いつつも,学年が進むにつれ独自性が強まり,着実に色使いや造形が個性的に洗練されていくことに驚かされた.
 このように評価の価値は,通過する授業やテストにあるのではなく,学習による成果が生徒自身のものになったかどうかにあり,これが日本の現状との大きな相違点である.取得できなかった単位については,サマースクールを利用して,他校でも単位を修得することができる.
 教師は様々な場面で生徒と接し,一人ひとりの顔,つまり生徒の性格や心の変化,学習の状況,行動を把握し,個に応じた生活上の適切なアドバイスと,個別的な学習指導を行っている.そして,生徒一人ひとりがどのように学力を身につけてきたか.どのようなことが出来るようになったかを,それぞれの立場でレポート用紙2〜3枚程度の分量に詳細に記録し,個人別にファイルする.これがいわゆる,ポートフォリオと呼ばれる評価の仕組みである.
 ポートフォリオは学校によってコンピュータでネットワーク化7)され,教師は教室でも職員室でも必要なデータを取り出し,生徒指導の基礎データーとして役立てることができる.
 父母からの問い合わせに対しても,担任以外のどの教師に聞いても同じ評価が出てくるように,各教科の進度や到達度,日常生活の様子や出来事,友人との交流と言った学校生活全般に関わる子供の生活や学習の様子を詳細に知らせることが出来るのである.
 当然,ポートフォリオは,進級や大学進学の選考の材料に役立てられるために,生徒個々の学習成果にとどまらず,例えば,スポーツ等の課外活動あるいは奉仕活動などの事実の記録が尊重され,生徒の人間性や可能性が考慮されている.したがって,生徒もテストだけではなく,日常の学習や活動を大切にしており,教育目標に対する価値観を教師と生徒が共有しているのである.
 今回,私達が調査した学校について最も大きな感銘を受けたのは,その徹底した一人ひとりの生徒に対する指導ぶりであった.個に対応し個を育てるための手だてはある意味でシステムとして確立しており,教師間の連携も非常に密接であった.
 我が国においてもここ数年来,指導要領の改訂が進み,新しい学力観による評価が各地の学校で実践され,思考力や判断力,表現力,特に関心,意欲,態度の観点が強調されるようになった.しかし,依然として形式的評価の方法が論じられることが多く,実際には評価のための評価から脱却がなされている訳ではない.その中心は相変わらず順位や偏差値で,それによる学力や能力が評価されがちであり,生徒や父母の関心もその一点に集中している.このように我が国では教育理念に基づく指導目標に対して,個々の生徒の理解度や到達度を示し育てるという,本来の評価の姿が歪められているように思われる.評価があくまでも生徒自身の成長のためのものであるという米国の姿勢に私達が学ぶべき点は多いのである.

3 チームプレイの教育

 (1) 学校内における分業化と連携

 米国の学校教育の現場では,それぞれの教育目標を達成するための様々なアプローチがなされているが,(詳しくは第2章で紹介)それらをよりスムーズに実践していくため,教職員間の分業体制が大変合理的に確立されていることは見逃せない.今回参観したプレップスクールでは,事務的な仕事と教科指導・生活指導・進路指導が明確に分担され,それぞれのセクションが独立しながらも互いに協力するシステムが構築されていた.さらにはこの分業化に伴い,教職員各々の責任分担が明確になっており,かつそれぞれがプロフェッショナルに徹していることが印象に深い.これは,参観したすべての学校の共通点でもあった.“生徒個々に対応できる”体制が,システムとしての分業化を確立させたとも言える.
 また,事務処理・成績処理へのコンピュータ利用は当たり前のこととして定着している.コンピュータ利用によるメリットは何といっても効率化である.情報処理時間は短縮され,遠隔地の教職員間・父母とリアルタイムでコンタクトを取ること等が可能になり,情報を取捨選択出来ることにより,成績処理や成績交換が効率よく行われる.学校内における分業体制を,よりスムーズに実行させるものとして,コンピュータの利用は今や不可欠なものとなっている.
 また,分業化された各分掌は生徒個々の指導のために綿密なる連携がはかられてもいる.さらに,小・中・高等学校を併設している学校では,一貫した教育課程確立のための連携や,父母との連携体制なども,学校内において実践されている.
 本節では,これまでに述べられた学校内でのいくつかの分業体制の実際と,如何に各々が連携を保っているかを紹介する.

  1. 生徒を取り巻く分業体制

 米国における私学の教育理念として,「個への教育」が第一にあげられることは既に述べた通りである.この理念のもと,参観した各プレップスクールでは,生徒一人ひとりに多くのアドバイザーが関わっており,学業上の相談や生活上の悩みをいつでも相談出来る体制が出来上がっていた.

 第1に,日本の学校の学級担任にあたる“アドバイザー”は,1人につき10数人の生徒を掌握する.担任が掌握する生徒は,縦割りで学年を跨いで構成されている場合が多く,原則として数年間同一の生徒を指導する体制が取られている.生徒の“社会性を伸ばす”ための実践の場として,その役割は極めて大きい.さらに言及すると,時間をかけ生活をともにすることで,生徒への親密な指導体制が確立され,各アドバイザーが生徒一人ひとりを知り尽くすことができる.“個への教育”の中核をなす存在と言えよう.教師一人が担当できる生徒数には,おのずと限界があり,どの参観校でも一人のアドバイザーの担当する生徒は前述のごとく,15〜6人が限界とされて,そのような少人数制が,有効な教育には当然のことと捉えられていた.我が国のように1人の担任が40名の生徒に関わり,汲々としている状況との格差に,羨望を禁じ得なかった.以上参観校にみられた,教師が良きアドバイザーとして親密に生徒と接している背景には,生徒の学校生活に関わる事柄に対する分業制をとることによって,一人の教師の負担を軽くし,それにより各々の専門性を高めているということがあげられる.
 第2に,生徒とのコミュニケーションをはかる上で,メンタル・カウンセラー(スクール・サイコロジスト)の存在は欠かせない.昨今我が国の教育現場でも,その必要性が叫ばれていることは周知のことである.彼らによる生徒へのケアは,家庭内の問題,生活上のトラブル等多岐にわたるが,これらの問題解決については,上記のアドバイザーや,寄宿舎(ドミトリー)制をしく学校では舎監も関わることになり,生徒が相談相手を選べる形もとられている.又,Phillips Exeter Academyでは,生徒も関わったカウンセリングのシステムがあり,“ステューデント・リスナー”と呼ばれる寄宿舎内の上級生が話を聞く役目や,“インターナショナル・リスナー”と呼ばれる生徒が同じ出身国の生徒の相談相手役を務めていた.また,The Harker Schoolでは,専門の舎監を置き(この舎監は,教科を担当せず,寄宿舎に常駐する.)担任・学年主任等と常に情報を交換しながら,生徒の悩みを聞いたり,学習へのアドバイス,親代わりなどの役割を担っていた.このように生徒一人に対して,常に数名の教師が,精神面の支えとなるべく控えていることが,生徒自身にとっても安定した心理状態で学校生活を送ることへの一助となっている.
 日本の教育現場では,生活指導を生徒が不良行為に走らぬよう歯止めをする仕事と捉えがちだが,上記のようなカウセリング体制を見ると,ルールを遵守する事は“しつけ”の部分として家庭に委ね,社会生活上のルール違反には,厳しく対応し,ルール違反をさせないために監視をすることよりも,生徒の悩みや障害を取り除くためのアドバイスが,生活指導の本義であるとされていた.我が国の教育現場でなされている,生活指導に対する考え方を再考する必要性を痛感した.
 第3は,高等学校段階,特に11〜12年生への進路指導体制である.カレッジ・カウンセラー(カレッジ・アドバイザー)と呼ばれる専門の“進路相談員”が各校とも3・4名常駐して進路指導にあたっている.彼らは,講座は担当せず(持ってもごく僅か)相談室に訪ねてくる生徒の指導にあたったり,父母・生徒へのガイダンスを担当する.各大学に足を運び,入学のための情報を収集し,担任からの成績報告をもとに,本人の希望,学力,父母の希望,生徒個々の性格や向き不向き等を鑑み,1年から2年かけてきめ細やかな指導をしている.各カウンセラーは,自分の担当する生徒が決まっており,1人で多くの生徒を抱えることは極力避けて,責任あるアドバイスを心がけている.大学進学という明確な目標を掲げるプレップスクールでは,このような専門の相談員の存在は大きく,“一人ひとりに手をかける”教育実践が,その最終段階にまで行き届いていることを示していると言えよう.ともすると教科指導から生活指導・進路指導にまで学級担任がまず行うと決めがちな日本の体制が,却って希薄な進路指導となることや,受験は予備校まかせというような我が国の高等学校の現実に格差を感じた.
 第4に,学年主任(Dean)または,学生部長(Dean of student)の役割である.彼らは,学年全生徒の時間割を管理・掌握し,生徒がどのアドバイザーにつくかなどを調整する.成績についても,教科からの全生徒の所見を管理し,成績不振者の指導にもあたることがある.また,この主任が窓口となって,生徒の生活指導や対生徒・対父母の問題解決に応じている.
 学校内での主任のもつ権限は非常に大きく,現場での様々な事柄の処理は,多くの部分が主任に委ねられていた.

  2. 学校運営面での分業化

 Middlesex Schoolでの質疑の中で,学校予算のかなりの部分を寄付金が占めているという説明があった.その後の参観校でも,寄付金について説明を受けたところ,どの学校でも教育環境の整備,設立のための資金収集の仕事は,最も重要な職務として位置づけられていた.これらは基本的に,校長・部長の業務ではあるが,教員の分掌としても設置している学校もあり,同窓会や学校説明会を開催し,寄付の協力を呼びかける活動を実行していた.
 また,The Harker Schoolでは,事務職の中に専門の広報活動を行う部署を設置し,学校紹介事業とともに資金協力の要請も計画していた.

  3. 学校内での連携

 以上で紹介してきたものは,学校内でより専門性を持たせた分業体制の一部であったが,これらは決して別々に機能するのではなく,在学中の生徒を介して連携を保つように機能していく.
 “個への教育”といっても,教師と生徒の1対1ではなく,多数の教師対1人の生徒という関係を持つことで,“個を生かす”のである.何かのトラブルについても,学年主任が窓口となり教科担当者,担任とともに解決をはかっていく.特に進路指導については,生徒個々の情報収集は重要であるため,教科担当者,担任との連携は綿密であるべきで,かつ各々が生徒個々に関して,正確に認識する必要がある.このような分業体制は,教員の単なる職務軽減のための分業化ではなく,大学準備教育の場としての客観的で正しい指導体制実現に向けて,互いが連携することを前提とした分業化であることは,論を待たない.
 また,今回訪問した各校は,いずれも幼〜高,幼〜中,中〜高など複数の学校が併設されており,設立時より一貫性を保持するための工夫と努力がはらわれてきた.既に第2章4節で述べたようにカリキュラムの編成においても各学年間,各セクションの縦の一貫性と横の連携が,生徒個々の成長と進路のために密にとられていたことに私達は感銘を受けた.
 最後に,学校内の活動に父母が如何に関わっているかについて言及する.親たちの教育への参加ということになるわけであるが,The Open Charter Schoolでは,父母がボランティアで教師の補助として週に2〜3日実際に教室で子供を指導している.また,同校では「学校がどう運営されるかは各学校にかかわる教師,親,子供などの状況によって変わるもの」であるから,当事者たちが皆で考えていかなければならないという理念のもとに,学校運営や教育内容についての連絡会や話し合いの場が頻繁にもたれているということであった.このような父母との関わりは,The Harker SchoolやBB&N;校の初等部などにおいても見受けられ,教室内での教育活動に積極的に参加していた.ただ単にPTAとしてバックアップするというのではなく,社会全体で子供の教育に携わるのだという姿勢に感銘をうけた.The Open Charter Schoolのように教師と親との連携をシステムとして確立している学校は,「三位一体」の教育の実践例として注目に値する.
 学校という組織の中で,各教職員が各々の業務に責任をもって担当し,かつプロフェッショナルに徹することを前提として,学校内での横の連携と縦の連携を成立させることが,結果として“個への教育”,“生徒一人ひとりに対応する教育”という理念の確立を実現させるのである.これには,人材の確保・施設の充実・運営基金の確保など,クリアしなければならない課題が多々あるが,この“分業と連携”という考えは,私学のみならず学校教育が今後歩むべき道程への,一つの指針として受け止めたいものである.

 (2) 大切な学外との連携

 これまで,教職員間の分業化,それもより専門性の高い分業システムと,その協力体制,いわば学校内での横の連携と,一貫教育の実践のための学校内での縦の連携について考察してきた.ここでは,学外との連携が教育活動にどのようになされているか,実践例を紹介する.また,学校外との連携が学校経営にどの程度のウェイトをしめているかにも言及する.

  1. インターシップ

 これは,Harvard Westlake Schoolでの実践例であるが,12年生の学年末に全生徒が各々の興味関心に応じて,学外の企業を訪ね,研修・見学をすることになっている.いくつかその例をあげると,映画会社のスタジオで撮影現場での研修・出版会社での助手・美容整形クリニックでの見学や医療についてのガイダンスなど多種多様である.いずれの研修も生徒間では大変な好評で,各人の将来設計にも大きく役立っている.このインターシップに協力している企業は学校がすべて開拓し,契約を結んでいる.生徒の希望に合った研修先を学校が探すわけである.卒業生或いは父母の関係する団体が多く協力する,学校関係者間のネットワークを活用したカリキュラムである.

  2. コンピュータ利用における産学の連携

 1985年より米国・アップル社のACT(Apple Classroom Of Tomorrow)8)という教育市場への研究調査に端を発し,教育現場にコンピュータが次々に導入されていった.玉川学園小学部のOur Trees Projectの実践にあるように,米国では各企業から資金援助を受けながらの教育プロジェクト開発が初等・中等教育の段階において積極的に行われつつある.また,先に紹介したThe Open Charter Schoolも,アップル社と連携を図っており,以前にはアップル社の援助で生徒2名に1台の割合でコンピュータを導入し,同社の社員がアシスタントとして指導にもあたったとのことである.これは,一時的な中断をはさみながらも現在も継続されている.

  3. 大学との連携

 大学と初等・中等教育との連携として真っ先に挙げられるのは,実験校としての大学の附属学校であろう.UCLAの附属小学校では,実験学校としての機能を発揮させるため,学校内に「研究委員会」が組織されており,委員会は大学の教授が担当している.学校の内外から様々なリサーチが委員長のもとに出され,それらを委員会が検討し採用していくシステムになっている.同校は,実験学校であるとの使命を強く意識して教育実践にあたっているが,そのために児童の実態を科学的に調査研究する体制が確立しているのである.また,大学院生や研究生も参加して,綿密な面接調査もおこなっていた.
 一方BB&N;においては,近隣のレズリー・カレッジと共同で大学院レベルでの教員養成教育のプログラムを展開している.参観中も初等部の教室において数名の学生が実習中であった.彼らの将来の教職の準備は,BB&N;の生徒たちの学習成果向上の一助となっている.

  4. 基金の獲得

 各校での質疑応答の中で興味深いことの一つとして,学校予算のかなりの部分を寄付金が占めていることについて先にも述べた.分業体制の紹介のところで挙げたように,基金集めのスタッフが学校内でも重要な位置を占めているように,補助金に頼れないのが米国の私学の実情である.ある学校では,年間予算の約30%を寄付金が占めていた.どの学校でも基金獲得に力点を置いているわけだが,恒常的に基金を確保する上で,欠かせないのが同窓生(同窓会)の存在である.各校とも,全米では屈指の有名進学校であるため,卒業生には社会的に高い地位につく人物も多く,彼らからの母校への寄付は,学校経営面でかなりのウェイトを占めている.これらの寄付行為は,各校において体育施設・図書館・劇場・音楽施設・美術館など教育設備拡充に充当されている.特に,Phillips Exeter AcademyやMiddlesex Schoolのそれは,規模・内容とも優れ,我が国の比ではない充実ぶりであり,これら寄付行為によって設立されたものには,寄付者の名を付しその行為を讃えている.教育への投資は,最も価値ある投資として受け止める米国の文化的素地と教育体制は,羨望の念を抱かざるを得ない.このような,学校と社会の連携が,教育現場では,“個に焦点があたった教育”の実現の一翼を担っているいえよう.

4 二つのプレップスクールから学ぶもの

 私達は今回の調査で一つのことに気付いた.それは玉川学園の教育と,伝統あるプレップスクールの教育との近似性である.Dalton Schoolにおけるラボ(後述)と個別学習.すべての訪問校で垣間見た師弟同行の精神,あるいは音楽等の芸術に対する情操教育などである.それは玉川の全人教育が日本という枠の中にとどまらず,教育における普遍的・世界的な価値観を有していることを物語っていることの証でもあろう.この点で玉川学園は日本において最も米国のプレップスクールに近い存在ということができる.しかし,全人教育における「個性の尊重」の将来的な姿を模索し,新たな指導体制の構築を目指している今日,私達はここで,米国の伝統的で先進的な私立校の教育についての理解を更に深め,玉川の将来的構想の一助とするために,Dalton SchoolとPhillips Exeter Academyとの二つのプレップスクールにおける教育の構造と体制を紹介したい.

 (1) 健在なドルトンプラン

 ドルトンプランは,玉川学園の歴史の中に重要な地位を占めるものである.デューイに代表される教育思想は「進歩主義的教育(Progressive Education)」と呼ばれ,当時の世界の新教育運動の中で注目された.Dalton Schoolもそうした中で生まれ,旗手としての役割を果たし続けてきた学校の一つである.大正3年,創設者であるパークハースト女史が初来日したのを,当時成城学園の主事であった小原國芳と成城の創設者である澤柳政太郎らが横浜に女史を迎えている.当時,小原が受け容れたドルトンプランはその後創立される玉川学園の理念の中に,どのような影響を与えたのか興味深い.私達は,そうした意味からも関心を持ってDalton Schoolを訪問した.
 副校長のMr. Gumaは開口一番次のように語った.「80年になろうとする伝統の中で私達の最大の課題は,いかに建学の理念を守るかということです.社会の大きな変化の中で,創立当時のドルトンプランを新しい解釈に立って点検し,今日的にどうアレンジできるかということです.伝統は大事にしたい.しかし,同時に改革が必要なのです」.同じ悩みを持つ私達との共通項である.そして実際の参観を通して,同校の随所に建学来の精神が今なお生き続けている印象を得た.以下にドルトンプランの基盤である3本柱,アサイメント(assignment)・ラボ(laboratory)・ハウス(house)について述べてみたい.
 「アサイメント」とは課題(宿題)であり,教師と生徒の契約のようなものである.それは小学校段階から始まり,中学校段階より徐々に増え,高校段階では学習の中心となる.期間は1週間程度のものから1ケ月にわたる長期のものまである.課題は各教科のシラバスと関連した内容のものが与えられ,課題のゴールは示すがそれに至る方法については生徒が自分で計画し,実践することに重きを置いている.この場合ゴールとそれに至る過程をどう意味のあるものにするかが最も重要なポイントになる.各課題の解決策として教師はモデルを持ってはいるが,それを踏襲させるのがベストなのではなく,生徒が自分のアイディアで作り上げて行く活動を大切にしているのである.
 課題は個々のクラスでそれぞれの教師によって作られ,主題の紹介,探求活動への助言などがプリントされている.また,課題は生徒個々の特別な要求に応じるように作られたものや,クラスの生徒全体の特定の能力や技能の開発を意図して作られるものがある.
 「ラボ」は玉川でいう発展学習と自由研究をミックスした時間といえる.普通,各教科とも週4回の授業と1回のフリータイムの時間がある.このフリータイムの時間が自由研究の時間であり,それがラボの時間である.ふだんの授業ではカリキュラムが決まっているので,生徒が自由に学習を進めるという訳にはいかないが,ラボの時間には個人的に,またはグループで教師のアドバイスを受けながら自分のやりたいテーマで学習を進めることができる.通常の教科学習で生徒の欲求に応え切れていない面を,ラボの時間を設けることによって解決し,生徒の意欲を引き出し,探求心や課題解決力を引き出そうとするものである.このラボの時間があるからアサイメントも生かされてくるといえる.
 「ハウス」は,縦割りの生活集団である.ハイスクール(9年〜12年)を例にとると,9年に入学した時点で一つのハウスに所属することになる.一つのハウスは平均18名の生徒で構成され,ハウス毎に一人の担任(ハウスアドバイザー)が付き,原則として同一のハウスで4年間を過ごすことになる.
 ハウスは,月・水・金は毎朝10分間のホームルームの時間を取り,火曜日は1時間のロングホームルームの時間を取る.木曜日は学校全体の集会を行う.一般の学校では,同一学年でホームルームを構成するが,Dalton Schoolのハウスでは縦割りで,上級生が下級生の面倒を見ることによって伸ばされるリーダーシップやそれぞれの社会性を大切にしている.ハウスアドバイザーは教科の学習も教えるが,学校と家庭を結ぶ大切な役目を負っている.米国の一般の高校で,個々の生徒の実態や内面について教師がどれだけ把握しているかということはわからないが,Dalton Schoolではシステムとして4年の間,生活を共にしながら生徒と接していく中で,教師は生徒一人ひとりを深く理解することが可能であり,長い目で生徒を見ることができる.
 各ハウスで行う活動や行事は特に設定されてはおらず,状況に応じて生徒同士の話し合いで決められる.シンプソン裁判について話し合ったり,環境問題について討論したりすることもある.また,ハウスの構成員の家庭でパーティーを開くこともある.初めてハイスクールに入って来た9年生にとって,このような生徒の自発的な活動はとりわけ意義が大きいといえよう.
 創立者パークハーストの教育に対する2大主張は「個人をどこまで伸ばすか」と「社会性をどう伸ばすか」であるが,この実践のために果たすハウス制度の役割は極めて大きい.これが,ドルトン・プランとして今に受け継がれているDalton Schoolの教育実践の概要である.これらの内容から,私達は多くのヒントを与えられるが,パークハーストによって示された教育理念を大切に守りながら,しかも新しいテクノロジーの利用など常に時代の要求に応えながら教育の改革を推し進めている姿に,同様な環境にある玉川の教師として多くの示唆を与えられたのである.

 (2) 200年の重み(フィリップスエクセター)

  

Harvard

103

  

Duke

36

  

Yale

84

  

Bowdoin

35

  

Brown

74

  

Columbia

34

  

Pennsylvania

57

  

Northwestern

31

  

Princeton

57

  

Trinity(CT)

30

  

Dartmouth

56

  

UC/Berkeley

29

  

Cornell

48

  

Tufts

28

  

Georgetown

47

  

Johns Hopkins

27

  

Stanford

45

  

MIT

27

  

Wesleyan

40

  

Middlebury

26


 上記の表は,1781年に建学された代表的プレップスクールであるPhillips Exeter Academy(ニューハンプシャー州エクセター)の1991〜95年度卒業生進学先上位20校とその人数である.プレップスクールはその名の通り,大学進学準備教育を中心とした教育内容を持つ名門校であり,主に米国東部に点在する.数字が表すように多彩な進学先は,卒業生の半数近くが東大に進学し他の大学への進学が10数校という,日本の有名進学校とは大きく異なる.これは日米の教育制度や入学試験の方法の差の表れでもあるが,もっとも異なる点はその教育内容にある.
 Phillips Exeter Academyは日露戦争の講和条約が結ばれたポーツマスの近くにあるニューイングランドの田舎町エクセターに存在し,200年の長きにわたって米国のあらゆる分野におよぶリーダーを輩出してきた.生徒数990,教員数160の同校の教育理念をもっとも端的に表す場面がハークネス・テーブル(15〜6人掛けの円卓)による授業である.ハークネス・プランは1930年代に名前の由来である,エドワード・S.ハークネスの基金をもとに展開されたセミナー形式の授業である.どの教室でも円卓を囲んでの生徒のディベートや発表が積極的に行われていたが,私達の参観した地理やコンピュータの授業はかなり高度な内容を持っていた.その参加者であり助言者である教師は常に生徒達から一歩下がったところに位置し,彼らの発言や論旨を明確にしたり,考えを擁護するといったアドバイスを加えていたが,授業の中心はあくまでも生徒であった.
 こうしたハークネスプランに基づく授業では,思考法や発言の方法あるいは積極的な学習姿勢を培い,その技術習得の度合いによって,より自由で高度な授業を展開することが可能になっていくのである.当然こうした授業を成立させるためには生徒自身のたゆまぬ努力が必要なことは言うまでもない.
 また,教員の質も高くその多くは博士号を取得している.しかも彼らは教科指導のみならず,29ある寮に住み,生徒とともに暮らすアドバイザーとしての役割を担っている.教師は常に15〜6名の生徒を受け持ち彼らの生活上の相談を受けている.また,進学アドバイザーやスクールサイコロジストといった専門のアドバイザーもおり,生徒のあらゆるケアを行う態勢が完備していた.
 15万坪の敷地には25万冊の蔵書を誇る図書館をはじめ,ラクロス,テニス,フットボール等のコートやフィールドを含む15の運動場.プールとアイスホッケー用のリンク,4面のバスケットボールコート,複数のウエイトリフティング用設備を誇る体育館など,同校の設備は大学並の規模と内容を誇っている.
 Phillips Exeter Academyには200を超える授業が用意してあるが,受講希望者が一人でも必要とあれば専門の教師がつくのである.この徹底した個に対する対応こそが伝統あるプレップスクールの目玉でもある.
 このような教育内容と設備を誇る同校の初年度の個人経費は寮費込みで約21,000ドル(1996〜97年度)である.しかし,同校では卒業生,企業,団体,個人からの寄付金や基金も豊富で,奨学金受給生411人に対する平均支給額は年間13,755ドルにも及んでおり,規模こそ異なるが今回訪問したプレップスクールの多くがこのように,徹底的に個々に対応した教科学習,バランスの取れた教育内容,高い進学率,恵まれた環境,整った設備,豊富な資金を誇っている.
 社会や文化的な背景あるいは教育制度の異なる我が国でこのとおりに行うことは現状ではかなり困難である.しかし,知育を偏重せず生徒の徳育・体育といった全人格的にバランスの取れた教育実践を行うことに学ぶ点は大きい.

5 コンピュータは便利な道具

 (1) 先進校におけるコンピュータ利用の授業

  1. 幼児・小学校低学年段階における授業の実際

 The Harker Schoolでは「母の日にお母さんに手紙を書こう」を教材に,15人の児童が1名の教師,2名のアシスタントの指導によって手紙を書く授業が行われていた.手紙の中に入れられる材料は,赤い太陽と緑の木と空飛ぶ鳥,そして「お母さんありがとう」の言葉から構成される.担当教師のコンピュータはプロジェクターにつながり,児童はスクリーンに投影された画面を見ながら,太陽の描きかた,木の描きかた,文字の入力の方法などの指示を聞いて手紙を創作していく.太陽や木や鳥は出来合いのものだが,それぞれの配置や数は個々によって異なり,出来上がった手紙は個々の児童の個性溢れるものとなった.
 児童の机上には操作の方法や質問等を聞くための赤・青の紙コップを底でつなぎ合せたサインがあらかじめ用意してあり,その時に応じて児童が盛んに赤のサインを出して指導者に説明を受けていた姿が印象的であった.
 使用されたコンピュータはアップル社,ソフトはキッドピクスである.一枚の用紙の中には無限の可能性がある.その中に太陽,木,鳥と言葉4つを材料に各々の児童の発想で一枚の用紙が手紙に変わっていく.ここに低学年よりコンピュータを道具として,生徒のアイデアや思いなどを含めた創作力を身に付け,興味や関心を引き出すという,授業の中でのコンピュータ利用の位置づけが理解される.

  2. 小学校高学年・中学校段階での授業の実際

 Dalton Schoolでは,古代ギリシャの歴史および文化を,考古学上の発掘の成果,あるいは文献やインターネットを通して知り得た情報をもとに劇化していた.生徒は演劇を通して,衣服や装飾品,食べ物,登場人物の人間関係や文化などの理解を深めていた.歴史上の事柄をただ知識として覚えたり,暗記したりするのではなく,知識をより確実なものにするDalton Schoolでの授業の工夫が感じられる.
 一方,考古学の発掘の授業では,発掘をあたかも現場に行って場所を確定し,トレンチを掘ったり土を移動したりという,そのすべてをコンピュータによりシュミレーション化し,生徒の興味や関心を引き出すよう工夫がみられた.生徒はコンピュータを通して発掘を疑似体験するが,発掘された遺物については,それが何であるか,いつ頃のものか,どのような使い方をされていたかなどの調査や検索や情報収集をコンピュータを利用しておこなっていた.自分の知りたいことを問いかけながら遺物の謎を解き明かしていくという,コンピュータの特性を生かせる情報の収集と,検索の方法を体得する優れた教材に基づく授業であった.
 ドルトン・テクノロジー・プランは,ハード面の構築と管理,さらにソフトの開発とその運用や管理など,膨大な時間,優秀な能力,莫大な資金によって支えられている.コンピュータを利用した教育に対する理想や目標が明確であることがその基盤であることは言うまでもない.
 Dalton Schoolでは,教室や廊下,図書室などのいたる所にコンピュータが置かれている.コンピュータを物理的にも身近なものとして捉えることと同時に,同校が創立以来大切にしている伝統的な教育を今日的姿で具現する強力な道具と位置づけているのである.
 コンピュータを利用した授業では,テーマを設定し筋道をたて,情報を集め整理し,まとめるという学習の過程の中で,これまでの伝統的な教育手段で得ることのできた情報の量や,数値化するといった作業が,飛躍的に向上したことは言うまでもない.Dalton Schoolではコンピュータを利用することによって,学習に総合的で,効率的で,永続的なかかわりが得られると考えている.こうしたコンピュータ教育に対する明確な目標と,それに取り組む教師集団のコンピュータを活用した様々な教育に対する大きな自信を感じることができた.

  3. 高等学校段階での授業の実際

 高等学校でのコンピュータ利用は,必修科目,選択科目,自由研究的なものと大きく3つに分けることができる.
 Phillips Exeter Academyでの必修の一斉授業では,CAD(工業用設計ソフト)を応用したパイプ繋ぎのシュミレーション作りが行われていた.3名の生徒が自分のプログラムを紹介し,終始生徒同士の積極的な意見交換を見ることができた.教師は司会者,アドバイザーに徹し,授業の中心はあくまでも生徒達である.課題に対してプログラムの応用性や発展性などの意見を出し合う,レベルの高い授業であった.
 選択科目や自由研究の中でのコンピュータ教育は,さらに個別化が進んでいる.Harvard Westlake Schoolでは自分がジェットコースターに乗ったときの周りの風景がどのように変化するかなどのシュミレーションや,BGM付きのかなり精巧なコンピュータアニメーションを手がけている生徒がいた.高校生段階では一つの作品を創り上げるにも多くの知識と時間を費やしている.さらにMIDI(音楽機器の接続ソフト)を利用した,コンピュータとキーボードを接続しての楽譜の創作.または創作された楽譜から,コンピュータを使っての演奏と最新のコンピュータミュージックを手がけている生徒もいた.
 いずれにしても,コンピュータに取り組む高校生の姿は,真剣で情熱的で明るさがあった.やらされているのではなく,人間だけにしかできない根源的な欲求を満足させるような雰囲気を感じることができた.機械にではなく人間の感性が主体であることをあらためて私達に感じさせてくれたのである.
 このようにコンピュータ先進国といわれる米国での教育における利用法の根元に「道具」としてのコンピュータの位置づけがあげられる.情報収集や整理,あるいはまとめといった論理的思考に則る使用法から,音楽やアートといった,感性や情操などの表現の道具としての使用法と多岐にわたる分野で使われるが,その主体はあくまでも人間であり,お絵描きから始まってシュミレーションまで,低学年から高学年にわたる発達段階に則した使用法が考えられていた.ややもすれば複雑なコンピュータ言語や使用法の解説といった,オペレーター養成のコンピュータ教育に陥りがちな日本の現状とは様相を異にするものである.

 (2) コンピュータ利用の教育をどう捉えるか

  1. 玉川教育におけるコンピュータの位置づけ

 情報化社会の今日では,暗記能力に優れた人間がこれまで大切に持っていた知識や情報は,全てコンピュータに記録することができる.そのような情報化社会では,蓄積された記録や情報を自在に駆使できる技術者を必要としているが,何よりもそれらの記録や情報を元にして新たな情報の流れを作り,融合し,自由で,多彩で,独創的に考える人材を必要としている.そこが学問,道徳,芸術,宗教,身体,生活,六方面の人間文化をコスモスの花のように,調和的で豊かに形成することを目的とする全人教育の根本理念と合致する部分である.したがってその理念に基づくコンピュータを利用した教育の位置付けが必要である.さらにコンピュータの必要性,活用の意味,そのメリットについて,教師集団の一致した前向きな思想も必要である.
 加えて私達が検討を加えなくてはならないのが「労作」の位置づけである.The Harker Schoolの中学部長であるMs. Fossumが「コンピュータによる体験はややもすると実体験の希薄化につながりやすい」と私達に語ったように,釘一本が打てない,あるいは鋸が使えない,卵の殻が割れないといった生徒の事例は近年増加する傾向にある.画面上で「ジャガイモ」を作るのと,実際に耕し収穫するのとでは,体験を通した知識の習得,あるいは感動という点で大きな相違があることは言うまでもない.しかし,ここで誤解してはならないのは,「だから,コンピュータは不必要」という結論を導き出してはならないということである.コンピュータでなくてはできない部分,あるいは便利な部分と,自然体験・社会体験・生活体験等の実体験を通して習得される分野のバランスをどのように調和させるか,この点を明確にし,より効果的なシステムを構築しなくてはならないのである.この部分にこそ労作教育を一つの柱としてきた,玉川学園ならではの「コンピュータを利用する教育」の一つの方向性を見出すことができないであろうか.

  2. 今後の課題(サポート体制の確立)

 コンピュータを使った学習の利点は,情報の収集,整理,判断,創造する能力を育てることが効率的にできるところにある.加えて,レポート化する上では,論理性や分析力が求められ,理解を深める知識の構造化のトレーニングにも有効である.さらにこれらの学習に対する興味や関心を引き出すのにも有効である.そのためにはまず幼〜高にわたるカリキュラムに一貫性を持たせることと,各々の発達段階にあったコンピュータの利用法についての共通理解が必要であろう.また,教科の枠を超えた学習のあり方を模索することや,評価に対する新たな発想の転換も重要な課題である.
 更に現在玉川学園で行われている新たなサーバーの設置やイーサネット等の環境整備とともに,教育現場を直接バックアップするサポート部門の充実も望まれる.
 ハードも壊れるし,ソフトも思わぬところから崩れることもある.教師がそれらにまで関わりを持つことは時間的にも困難であり,教師は,教科の指導に専念できる環境作りが必要である.Dalton Schoolでは,授業をサポートするために,双方向マルチメデイア室を管理するエンジニアが2名でバックアップしていた.コンピュータを常に良い状態で活用するためには,これらハード面とソフト面でのサポーターが必要である.
 また,コンピュータを活用するための教師に対するセミナーや研修も今後充実させることが求められよう.コンピュータは,人間が作り出したものではあるが,道具として無限の可能性が秘められている.これを教育の中でどう生かしていくかがこれからの私達の課題である.

6 総括と提言(K−16へ)

 建学の精神を今なお継承しつつ,現代社会に適応する優れた教育を展開している調査校の教育実践から,私達が得たものは大であった.
 本稿を締めくくるにあたって,今後の玉川学園の教育に,どのように私達の成果を還元できるかを念頭においた上で,まとめと提言を行いたいと思う.
 今回訪問したいくつかの学校では,コンピュータが有効な学習の機器としての役割を果たしていた.特に情報を収集する能力やそれらを整理し,まとめるための能力育成にコンピュータは便利で必要な機械である.しかし,学習の見通し,必要な情報の取捨,整理,統合,まとめ,といった論理的思考法や,それに対する批判力の育成はコンピュータ導入以前から米国の学校,特にプレップスクールにおいては日常的に行われていたことに注目したい.調和のとれた人格形成を目指し,個に対応し,個の能力を可能な限り引き出すといった教育システムのあり方を追求し続ける過程において,コンピュータの有効性が着目され導入されていったのである.
 更に,私達の見てきた学校ではコンピュータを大いに活用しながらも学習・生活・進路指導等,個々の生徒に対する人間的バックアップは実に密であった.むしろ,コンピュータを有効に使えば使うほど,教師と生徒との距離が短くならなければならないことを深く感じたのである.

 私達が伝統ある全人教育の今日的姿を模索し,新たな教育システムを構築しなければならないと考えた時,大学準備教育,すなわちK−12のプレップ,プレプレップ化を念頭に置いた各部間の教育課程の見直しと,一貫教育の利点を生かした幼小中高のカリキュラムの再編が必要であろう.年齢における特質を考慮し,その発達段階に応じた教育を各部のセクションを超えて再検討し,減らすべきものを減らし,膨らませるべきところは膨らませた柔軟で無駄のないカリキュラムが望まれるところである.私達は,そうしたカリキュラムを専門に検討し,権限を持つカリキュラム主任(仮称)を置くことを提唱し,これを第1の提言としたい.
 第2に,個に対応し個の伸長を促す評価のあり方と,入試制度の見直しがある.カリキュラムの一貫性は当然評価のあり方にも大きな影響を与えるが,要点は評価の一貫性と個々の生徒の成長に資する教育的効果にある.更にそれが進級・進学あるいは指導上の客観的資料となりうるためのコンセンサスも今後必要である.当然,夏の「幼・小・中・高・教育研修会」でも話し合われてきた「学内における入試制度のあり方」は,これらの事を推進する上で重要な「かぎ」となり,そのためには私達が育てようとする生徒像をより明確にする必要もある.こうした点を考慮し,更にカリキュラム主任(仮称)との連携を持ちながら評価の一貫性と進学制度を検討する機関の設置を提唱し,これを第2の提言とする.
 次に,学級編制及び授業生徒数の問題であるが,欧米のように15〜6人といった少人数学級の実現は,現在の状況からは無理であると言わざるをえない.しかし,カリキュラムの総合化あるいは細分化.柔軟性を持たせた時間割と日課,または他教科との連携により,必要に応じて少人数編成の授業を行うことは可能である.私達は第3の提言として,教科間と学年内あるいは学年間に,これらを可能にするためのシステムの構築を提唱したい.
 また,カリキュラムあるいは授業に柔軟性を持たせることと関連して,特殊技能など,専門性を持つ父母が授業や講義等を行うこと,あるいは大学院生が授業の補助者として参加することは,学校の活性化という観点から大いに検討されてしかるべき事項ではなかろうか.これが第4の提言である.
 更に,分業化による個へのより良いアプローチという観点から,専門職としてのカウンセラーの設置や,中等教育段階における進路指導担当の専門職も必要であろう.また,授業での利用や教材開発など,直接教育に関わるコンピュータのサポート部門の設置も望まれ,これを第5の提言としたい.
 更に,私達はこれらの事柄を支える大切な基盤として二つのことに言及しなければならない.
 その第1として,教師の資質・能力向上の必要性をあげたい.「教育は人である」との教えを謙虚に受け止め直したい.学校の主人公は児童・生徒であるが,その能力を引き出し伸ばすのは教師の力である.教師の授業力・指導力・教材開発等の能力を更に高めるために,大学院を含む研究施設での研修,資格取得の助成,各種セミナー・研究会・海外研修への参加などをシステム化することを検討することが必要ではないだろうか.
 最後に大学との連携について述べたい.
 米国大学の学部教育では教養教育が中心で「教養ある米国人」の育成を目指している.米国の学部過程の教育は,指導的な米国市民・職業専門教育・大学院進学の準備教育を三本柱としている.つまり,研究部門としての役割を大学院に委ね,コミュニケーション能力・論理的思考・米国的価値観・道徳・社会の理解・専門分野の知識・これらを総合した分析力,応用力に大学教育の目標を置いているのである.これこそが初等・中等教育において総合的発育を目指すカリキュラムを編成する素地と言えよう.
 全米で1.2の高進学率を誇るPhillips Exeter Academyのようなプレップスクールにおいても,なお学習力の育成のみに偏らず,スポーツやミュージカル,あるいはボランティア活動と,幅の広い人格形成の教育が行われていた.なぜなら,それが大学の求めている人材だからである.
 私達は今,第4・5回の海外教育事情(連携)視察で得た成果をまとめ,それを提言のかたちで私達の現場に還元しようと試みているが,玉川学園におけるK−12の教育を大学準備教育化する上で,避けて通れない重要事項として,私達が育てようとする生徒像をより明瞭にすることをあげたい.そのためには,今後玉川大学の目指す教育,求める人材について幼小中高と大学が,互いに話し合い理解し合うことがどうしても必要である.私達が新たな社会状況に対応した全人教育の枠組みを模索し,真に個に対応し個を伸ばす教育を展開していく上で,大学での教育を抜きにそれらを推進することは,到底不可能だからである.今後,私達がK−12を超え,K−16を念頭に置いた一貫教育の有るべき姿を追求せねばならないと考えるとき,全学園規模での変革が求められていると深く認識し,本報告を終えたいと思う.

 最後に第4・5回の「海外教育事情(連携)視察」に際して,機会とアドバイスを与えてくださった小原芳明学園長をはじめ,米国の先進校に関する様々な情報を提供し,第4回の調査に同行していただいた教育学科の田中義郎先生,バックアップしてくださった数多くの方々に感謝の意を表すとともに,今後,私達が学んできた成果を一つでも多く還元していく決意を新たにして本稿を締めくくることとする.
 なお,本稿の執筆にあたっては主に第2章−菅野・高橋・佐藤.第3章−榑松・川崎.第4章−菅野・高橋・多賀.第5章−阿部・平山が担当し,第1章と原稿の統合,文体の整理には多賀・藤樫があたった.「第6章・総括と提言」は参加者全員がこれにあたった.

 第4回「海外教育事情(連携)視察」派遣者
  期間 1995年10月26日〜11月9日
   ・小学部  菅野勝治郎,高橋 聰
   ・中学部  阿部敏雄,藤樫大二郎
   ・教育学科 田中義郎

 第5回「海外教育事情(連携)視察」派遣者
  期間 1996年4月27日〜5月13日
   ・中学部   佐藤二郎,平山雅行
   ・高等部   榑松史人,川崎以久哉
   ・教育研究所 多賀譲治

 参観校
  ・Dalton School(NY)
  ・Buckingham Browne & Nichols School(MA)
  ・Middlesex School(MA)
  ・The Harker School(CA)
  ☆Graham & Parks Alternative School(MA)
  ☆The Open Charter School(CA)
  ☆UCLA Elementary School(CA)
  ○Phillips Exeter Academy(NH)
  ○Harvard Westlake School(CA)

  (☆は第4回の調査校.○は第5回の調査校.・は共通の調査校)


1)平成4年度,国際教育室,小学部・初中教学室.平成5年度,学術教育研究所.平成6年度より教育研究所の主管業務.
2)玉川大学学術研究所刊
3)玉川学園教育研究所刊
4)Preparatory Schoolの略.大学準備教育のための学校.主に中〜高等学校段階だが,小学校高学年段階の学校もある.それらは一般にプレ・プレップスクールと呼ばれている.
5)Helen Parkhurstによるドルトンプラン発祥の学校.
6)『教育研究第1号』「新しい学びの場を創る」に詳しい.
7)これらのシステムが確立していたのはThe Harker SchoolとDalton Schoolであった.
8)『玉川大学学術教育研究所所報24号』「アメリカ・カナダにおける21世紀へ向けての教育」『教育研究第1号』「新しい学びの場を創る」に詳しい.



資料1 Samuel Summer君(BB&N; 7年生)の日課表.スポーツは必修

写真1 ハローウィンでの一こま(BB&N;にて)









写真2 少人数での理科の授業(Dalton Schoolにて)









写真3 総合学習で使用する自動車(Middlesex Schoolにて)









写真4 お母さんと一緒の音楽の授業(BB&N;にて)









写真5 大学院生によるアートの授業参加風景(BB&N;にて)









写真6 ハークネステーブルでの授業風景(Phillips Exeter Academyにて)









写真7 Phillips Exeter Academyの中庭をのぞむ









写真8 低学年のコンピュータ利用の学習風景.手前のコップがサイン(The Harker School)









写真9 教室のコーナーにおかれたコンピュータ(Dalton School)









写真10 生徒間の真剣な討議風景(コンピュータの授業Phillips Exeter Academyにて)