小学生とゲンボー先生のページ28
 
 
 
玉川学園・玉川大学


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先生へこんにちは。初めて質問します。下小田中小学校6年の渋谷です。

学校の宿題で「貴族」について調べています。いろいろな本や教科書で調べてみたのですが、日本の「貴族」が具体的にはどのような人々なのかよく分かりません。資格や階級(公侯伯子男のような?)はあるのか、いつ頃から、どのような形で出来てきたのでしょうか?豪族とはちがうものなのでしょうか?いろいろ教えてください。宜しくお願いします。

ゲンボー先生

渋谷さん、メールをありがとう。

貴族の元は飛鳥時代〜奈良時代の豪族です。この場合の豪族というのは天皇家を支えた有力者で広い土地と人々を支配していた人です。やがて、朝廷という天皇中心の政治の仕組みが出来たときに、貴族となったのです。

やがて平安時代になると、荘園という広い土地をたくさん手に入れて政治そのものを動かす中心になりました。しかし、鎌倉幕府が出来たのをきっかけに力が弱まり、やがて江戸時代には全く力のない存在になってしまいました。

ところが明治維新になると再び天皇の力が復活すると、貴族は侯爵とか伯爵とかの位をもらって特別な地位になりました。1945年に日本が戦争に負けて新しい憲法が出来ると供に爵位は廃止され、一部の皇族を除いて一般の人になりました。

これでいいですか?君はずいぶんくわしいことを知っているね・・・ 公侯伯子男だなんて・・

ゲンボー先生


南足柄小学校6年の和田です。鎌倉時代の人についてです。

ホントに小さなことなんですが、「農民」と「庶民」ってどう違うんですか?暮らしもやはり違うものなんですかネェ。。。こんなことを質問してすみません!!ヨロシクお願いします。

ゲンボー先生

和田さん、メールをありがとう。庶民というのはいっぱんの人という意味です。この時代は農民が80%程度ですから農民も庶民と言うことになります。同じように漁民、商人も庶民ですね・・庶民でないのは貴族などの豊かで政治に関わり庶民を支配する立場の人・・位の高い武士もこれの仲間です。と、奴卑(ぬひ)といって土地もたいした財産もなく下働きをする身分の人です。この人達は売買されていました。

では一般の武士はというと、その多くは農民ですから彼らも庶民と言うことになります。庶民に属すか属さないかというのは戦の時に馬に乗るか乗らないかの違いです。馬に乗れる武士はそれなりの領地を支配して、配下の農民を従えている人だからです。

庶民の暮らしは今の感覚で言うと、店をやっている人、会社で働いている人です。鎌倉時代だと自分の家と田畑を持つ農民や店を持っている商人などですね・・最もこの時代はお店といっても大部分は露天商(ろてんしょう=道ばたや広場でお店を開いて商売する人)や、商品を肩に担いで売り歩く人が大半でしたが・・収入によって生活状態はちがいますがそこそこの生活をしている人々です。

高貴な人たちは広い領地をもち豊かな生活をしています。食べるものだっていいものを食べていました。一方、奴卑は小屋に住み土地も持たず主人の畑を耕したり、まきわりや水くみ、馬の世話、そうじなどをしていました。

いつの時代も豊かな人とそうでない人がいますが、時代が悪くなると豊かな人は少なくなりますが思い切り豊かになり、あとの大部分の人は超ビンボーということになります。日本の歴史の中で一番貧富の差が大きかったのは奈良時代〜平安時代だったと先生は思います。鎌倉時代は庶民の力がついてきた時代で次の室町時代になるともっとそれがはっきりします。

ゲンボー先生


茅ヶ崎市小学校4年生の塩沢です

僕の小学校は海のすぐ前にあります。 この前、博物館で昔の塩作りの方法を見た時に、海が近い茅ヶ崎でも塩田とかで塩を作ってたのかなあと知りたくなりました。資料館に行って話しを聞いたり茅ヶ崎の歴史の本を読みましたが、わかりませんでした。鎌倉時代とかは、茅ヶ崎の人は塩をどうしていたのかわかりますか? 

ゲンボー先生

塩沢君メールをありがとう。

塩の作り方はいくつか方法があります。塩田と言って海水を砂の上にまいて水分を蒸発させ、塩分の濃度を高くしていく方法と、藻や木の枝をに海水をまき、枝を垂れ下がってくるあいだに塩分濃度を高める方法です。どちらも最終的には塩分濃度の高い水を煮て塩を作ります。どの方法も最後は土器や釜に入れて煮て塩を作ります。鎌倉時代もどれかの方法で塩を作っていましたが茅ヶ崎で作っていたかはまだ分かっていません。

返信ありがとうございました。ぼくも、海水をくんできて、おなべで煮て塩を作ってみました。 時間がかかったけど、本当に塩ができてうれしかったです。

ゲンボー先生

ご返事ありがとう

その塩が本当の天然塩です・・ミネラルが一杯はいっていてちょっと苦みもあるけど甘い感じもするでしょ・・・?何事も体験するということはとても大切なことです。君はいい体験をしました・・

ゲンボー先生


玉川学園6年生の愛奈です。鎌倉の名越にある「まんだらどう」には、武士は入れたけれど、農民は入れませんでした。それは、なぜですか?

ゲンボー先生

愛奈さん、メールをありがとう。

まんだら堂(曼荼羅堂)は武士の墓所でがけに掘られた四角い穴のことを「やぐら」といいます。やぐらの中には五輪塔を安置しますが、下に骨があるものとそうでないものがあります。曼荼羅堂の場合は多くの人骨が出てきました。そのほとんどは武士のものですが、彼らが戦で死んだのかどうかはわかりません。

江戸時代になるまで、庶民のお墓は「ない」と言った方がよいでしょう・・死んだ人は穴に埋められて石ころがおかれる程度です。土地の余裕がない都市では河原にすてたり、集団で穴の中に入れられました。

「道に捨てられている死体はちゃんと穴をほってうめなさい」という「きまり」が出されるくらい、死人を目にすることはさほど珍しいことではなかったのです。鎌倉の由比ヶ浜にはそうして集められて埋められた人々の骨がたくさん出てきます。先生のページにもくわしく出ているので見てください。

君たちは「お墓ぐらい」と思うでしょうが、穴をほったり墓石を置くにはお金がかかることなのです。ですから一定以上の人だけにお墓があったと思ってください。でも写真を見ればわかりますが、小さな子供をていねいに埋めたり、お金を持たせたりと・・親子の愛情を感じさせるものもあります・・・死に対する感じ方が今とは大きく違っていた時代ですが、肉親の愛情にはかわりがないということかな・・

ゲンボー先生


玉川学園小学部6年生の亜璃紗です。

鎌倉の滑川のことなんですが、滑川はものを運ぶためにあったけど、川まで運ぶのはどうやっていたんですか??

ゲンボー先生

亜璃紗さん、メールをありがとう。

滑川は見たとおり川幅もせまく水量の少ない川です。鶴岡八幡宮や将軍の御所を作るときに滑川を使って木を運んだと書いてありますが、それは水量の多い梅雨とか夏の時期のことで、おそらく「いかだ」を組んでひっぱったと考えられます。

和賀江島や材木座海岸に荷揚(にあげ)げされた、商品は一たん、川の近くにある倉庫のような建物に入れられました。そこから馬や人や船に乗せて鎌倉市中に運んだのです。材木の場合は貯木場(ちょぼくじょう=木を大きさや種類に分けて置いておくところ)においておきました、

日本の川は浅いので船底が平なのが普通です。鎌倉時代の絵を見ても川船はそこが平です。滑川を行き来していた船もそうしたものだったと思います。さて、どんなものなら船で運ぶ方が良かったでしょうね・・皆さんで考えてみてください。

ゲンボー先生


ゲンボー先生,今日は。 私は武岡小学校6年の「のどか」です。

武士は豪族からできたと習いました。貴族の数と,武士の数はどちらが多いのですか。また,貴族の仕事は政治以外あるのですか。教えてください。よろしくお願いします!

ゲンボー先生

のどかちゃん、久しぶりです・・お元気ですか?もう6年生になったんだあ・・早いなあ・・

貴族と武士の数ですが、武士の数の方がず〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っと多いのです。貴族は大和時代から続いた豪族の家柄で、数は多くありません。上級貴族は元々天皇を助け政治を行っていました。領地も大変に広く豊かな生活をしています。絵を描いたり、和歌を作ったり、楽器を習ったり、日記を書いたりしているのはこうした貴族です。しかし、貴族にもいろいろあって、下級貴族は役人としての仕事をしていました。毎日決まった時刻に役所に行って、税金のことや裁判のことのような 事務的な仕事をする人や、都の警備をする人たちはこうした人々です。

一方、武士はもともと農民や漁民が自分たちを守るためにできたものですから、庶民出身ということになりますね・・・これも貴族同様に広い土地と人々を支配している上級の武士と、その人たちの家来になる中級、下級の武士がいました。上級の武士は戦いの時には馬に乗り美しいよろいを身につけていました。 中級の武士は上級の武士の家来ですね・・彼らも馬に乗っていましたが、下級の武士ははだしでかけまわっていました。

このことは先生のホームページにある、「武士と荘園」かんたん編に出ていますからこれも見てください。

ゲンボー先生


下田市立大賀茂小6年 悠斗

源頼朝は、なぜ伊豆の蛭ヶ小島に流されたのですか?どうして蛭ヶ小島だったのですか?

ゲンボー先生

悠斗君、メールをありがとう。

いまでこそ、関東地方は開けていて東京や横浜などの大都市がある地域ですが、そのころは未開の原野や森林が多く残る遅れた場所でした。

そこで、京都にいる平氏から監視ができて。ぎりぎり遠いところ(関東に近いところ)で三島の蛭ヶ小島に流したのです。ここには伊豆の目代(もくだい=知事代理みたいな人)がいたり、北条氏という平家の武士がいたからです。

しかし、実際のところは頼朝の血筋がいいので、周辺の武士達は頼朝を囚人としては見ていなかったようです。その証拠に7年間伊東氏(伊豆の有力武士)の家に住んでいたり、伊豆や関東の武士達と狩りに行ったりしています・・・

ゲンボー先生

はじめまして。僕は、小学校6年生の児童です。今度10月24日に鎌倉へ修学旅行で、行くことになりました。ついては、その前に少しでも鎌倉のことを勉強したいと思いますので、いくつかの疑問があるので教えてください。

1.鎌倉には、なぜ沢山の人が訪れるのでしょうか?

2.鎌倉は、どんな人のために作られた都なのでしょうか?

以上です。 よろしくお願いいたします。高崎市   町田

ゲンボー先生

町田君、メールをありがとう。

鎌倉の修学旅行楽しみだね・・天気が良ければ最高だね・・・

1.鎌倉に人が訪れるのはそこが古都だからです。東京や大阪や名古屋、それに高崎もそうですが、歴史はあっても戦争や地震で作り直されたり、どんどん新しい建物が建って「どこにでもあるような」町になってしまいました。それに比べて京都や奈良、それに関東では鎌倉はお寺や神社など昔の建物がそのまま残っているので、人々がホッとするような、また歴史を感じるような町だからです。君も鎌倉に行けば分かりますが、お年寄りや外国人がとても多くいます。それは今書いた理由からです。それと君のような小学生も多いよ・・それは6年生の学習で鎌倉時代をやるからで、関東地方の小学生の多くが鎌倉を訪れます。ただ、君の年齢だとお寺や神社を見てもそれほど感動はしないよね(笑)とりあえず八幡宮をと大仏を見てあとはお守りとかお土産とか、ソフトクリームだよね(笑)

でも、せっかく鎌倉に行くのだから「三方が山、一方が海」と言われる地形を確認したり、切り通しとよばれる鎌倉の出入り口を見るなど勉強と関係のあることもしたほうがいいと思いますよ・・(^_^)

先生がアドバイスしましょう・・八幡宮まで行ったら近くに頼朝の墓があります。本当のお墓は階段下の「白旗神社」です。歴史上の有名人物ですから一度は見てみるといいね・・そこから15分ぐらいのところに「釈迦堂(しゃかどう)の切り通し」があります。ここには鎌倉時代がそのままのふんいきで残っているよ・・途中わたる滑川(なめりかわ)は鎌倉で一番大きな川と言われているが、実は小さい(笑)しかし、この川を利用して幕府の建物に必要な材木を運んだんだ・・・

そっち方面でなければ由比ヶ浜に出るという手もある・・潮の干満でうまくいけば鎌倉時代の人工島「和賀江島」(わかえじま)を見ることができるかもしれない。そのあたり行けば今でもお皿や茶碗のかけらを拾うことができる・・もちろん、現代の貝殻やうまくすればヒトデの仲間もね・・和賀江島にはヤドカリもいたなあ・・そこから山を見るとまわりが囲まれてるのがよく分かる。

2.鎌倉は日本の歴史上はじめて武士が団結して自分たちのための政治を行った場所です。特に関東・東北地方や中部地方の武士の領地を守ったり、戦で仲間を多く集めるために幕府はありました。もちろん高崎もその中に含まれていて、近くの佐野には「鉢の木」の話しで有名な「佐野源左衛門常世」がいたところです。常世神社はその人をまつったところです。

ゲンボー先生


鎌倉時代に、入ってきた洋食は何ですか??

ゲンボー先生

メールをありがとう。この次からは名前や学校名を書いてね・・・

洋食というのは主にヨーロッパの料理のことで、日本ではトンカツとかハンバーグとかオムライスなどのことを言います。鎌倉時代にはヨーロッパとの交流はありませんでしたから、外国といえばそれは「中国」であったり「朝鮮」であったりしたわけです。ですから、鎌倉時代に洋食はありません。

そのかわり「中国の料理」はあったのです。とは言ってもこの時代の中華料理は今とずいぶん異なっていて、シューマイだとかチャーハンとか、フカヒレのスープなんていうのはなかった。では、この時代に入ってきた中国の料理はというと・・

うどん・ようかん・がんもどき・唐揚げ・納豆・お茶(料理じゃないけれど・・)

現代のお寺やお葬式の時に食べる「精進料理」(しょうじんりょうり)はこの時代に中後から伝わったものです。

ゲンボー先生


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