貴族と武士と農民の食事の違い

     玉川学園中学部 2年ロッキー組 Y.M.


食事の差で決まったといわれている源平合戦について

1185年の壇ノ浦の合戦では源氏と平氏それぞれ日頃の食生活が関係しているといわれている。

源氏型についた武士たちが栄養のバランスのとれた食事をしていたのに比べ、平氏たちは、貴族風の食生活をしていた。その食事は栄養のかたよったものだったので、両者では体力に大きな差があったというわけだ。下の図を見てもらえれば、すぐにわかります。

 

特に貴族はひどいものがあった。

  鎌倉時代の貴族の食事(上の位の武士)について            

強飯(むした米)、魚貝類や野菜などに、塩などの調味料があって、それを自分の好みで味付けして使っていました。

食品の種類も多かったが、保存食が多く栄養がかたよっていました。魚貝類や肉類の多くは、遠方から都に届くため、干物などに加工してあることが多かったようです。

食事が形式化して毎日同じメニューが続いたり、食物への迷信(例/乳製品と魚を一緒に食べると腸に虫が生じるなど...)などもあって、栄養がかたよった不健康な食事になりがちでした。

 一方、庶民の食事は質素でしたが、玄米飯に自分たちでとった新鮮な肉なども食べたので、貴族に比べ健康だったようです。

    早死にだった貴族

 平安貴族は、消化の悪い、栄養の片寄った食事をしました。

その上室内中心の生活で運動不足だったことから、不健康でした。貴族たちの多くが、栄養失調や皮膚病、結核、脚気、鳥目などの病気になりがち早死にするものが多かった。貴族が全盛期を迎えた、平安時代中期、貴族の推定平均寿命は、男性が50歳、女性が40歳でした。

 

 食べ物についてに戻る

 トップに戻る