大庭御厨(おおばのみくりや)

頼朝に敵対した武将「大庭景親」(おおばかげちか)の荘園(藤沢市)

玉川学園・玉川大学・協同 多賀歴史研究所

大庭の御厨は現在の藤沢市大庭にありました.御厨(みくりや)というのは,神社に寄進(きしん=あげてしまうこと)した荘園のことです.あげてしまうといってもそれは形の上だけのことで,実際にはそれまでどおりの荘園の持ち主が支配していました.

御厨として寄進すると税金がかからなくなります.次に土地をうばったり,むりやりタダ働きをしろという国府の役人の命令を聞く必要もなくなります.また,領地争いもぐっと減ります.ですから,この時代の豪族(ごうぞく=広い土地を支配する大農民=武士)はこぞって,自分の土地を力のある貴族や寺や神社に寄進しました.厨(くりや)とは調理場のことです.御厨は神様の食べるものを作る場所という意味が込められています.ですから収穫されたお米の何パーセントかは,特産品とともに名目上の持ち主に届けられました.大庭の御厨の場合は伊勢神宮(いせじんぐう=三重県)に送っていました.

つまり大庭氏は伊勢神宮に収穫されたものを送るみかえりに,領地をまもってもらっていたというわけですね.

図にするとこうなります.

 

現在の大庭の庄の水田と(鎌倉時代もここにあったと思われます)、大庭の御厨でもっとも大切な「引地川」.この川の水が水田をうるおしました.今はごらんの通りコンクリートの水路になってしまいました.この上流には渋谷氏という豪族の荘園がありました.

 

近くにある小高い山.これが大庭城です.  城山の上はきれいな芝生でした.

 

梅雨時でしたので「がくあじさい」が咲いていました。城跡から下を見ると「現代の住宅地」.鎌倉時代は田んぼだったはずです.

 

大庭城址の対岸にあたる台地上にある大庭神社(左)と稲荷神社のタブの木。このあたりに鎌倉時代の館跡があったと言われています。

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