ゆとりちゃんレポート

鹿児島県金峰町の阿多新田

ゆとりちゃんは小学校4年生の女の子です.家は鹿児島市内にあります.今日はお母さんと一緒に「日本で一番早い稲の収穫」をしている,鹿児島県金峰町にやってきました.後はゆとりちゃんの説明と写真を見て下さい.


昨日、お母さんと妹と私で、金峰町に行きました。お父さんが、どうして行かなかったかというとテニスの試合があって優勝しちゃったから夜遅くまでいませんでした。

この前、用水路を習ったけれど最初の授業だったので、あまりよく分かりませんでした。それで、お母さんが見に行こうといったので社会科の、のびゆく鹿児島に載っている阿多新田の用水路を見に行くことになりました。阿多新田は、金峰町にあります。町は、ほとんどが田んぼでお米がなっているかなと思ったら、田んぼにはなにもなくてきれいにされていました。

用水路に着いてから、高札橋(こうさつばし)という橋がありました。その橋は、享保のときにつくられ、人々は、それを大切に使っていたと看板にかかれてありました。また、人はこの橋に、決まりをつけて、牛、馬を引き込んではいけない、洗濯等をしてはいけないなどとしていたともかかれていました。水門もありました用水路に流れる水はとてもきれいでした。デジカメで水門と用水路の水を撮りました。お母さんに、「ここの田んぼにはイネがないでしょ。なんでだかわかる。」と、聞かれました。

「台風が来たから、もう全部刈っちゃったんじゃないの。」と、聞き返しました。お母さんは、「ううん、ここの金峰町のお米は、早期米でもう、七月から八月の間に全部刈り取るのよ。」と、いわれました。良く思い返すと、倒れているイネがほとんどありませんでした。帰りに、いなほ館によって温泉に入りました。ひらがなで「いなほ」と書いてあるから別に単なる名前かと思ったら,漢字で書くとわかりやすいけど,「稲穂」。いねのことでした。金ぽう町の用水路などの見学感想は、昔の人が,ものを大切にしてきたことです。いねも,7月から8月ぐらいまでだから,台風のえいきょうが少なくていいおこめがとれるんだなとおもいました。  ゆとり

このあとデジカメで撮った写真をお母さんに送ってもらいます。(赤字はゲンボー先生の説明)

金峰山と畑

金峰町のたんぼです。きれいに整地されています。稲刈りのあとはありません。

金峰町は日本で一番はじめに稲の刈り取りができる地域です.暖かい気候を利用して3月中旬には「田植え」「7月下旬」には稲刈りという早さです.

これは鹿児島市内の中山町のたんぼです。いまむらともよさんの家の近くです。まだ刈り取ったイネの株が残っています。

一般的な鹿児島の10月の田んぼ風景です.刈り取り後の「株」が残っています.金峰町の田んぼ(ひとつ前の写真)はすでに整地してあります.

高札橋の説明看板

高札は新聞や回覧板など無かった江戸時代に,役所の命令や知らせを告げる大切な情報手段でした.ですから,人が多く通る場所(町のなか/十字路など)や,必ず通らなければならない場所(関所や橋のたもと)にありました.高札橋は,その名の通り,比較的人通りの多い橋だったために高札を立てた橋だったのでしょう.

 

高札橋と水門

 

水門 

 

用水

これらの水門や用水路は亨保の改革(1716〜1745)の時に,全国各地で行われた「新田開発」時に作られたものと,ゆとりちゃんのお母さんが知らせてくれました.もちろんコンクリートや鉄製の水門は現代のもです.当時,米はお金と同じ意味をもっていましたから,薩摩藩でも農民/武士/商人が協力して,こうした用水を作りました.しかし,亨保の改革頃を境にして「米」も「商品」の一種類ということになり,穫れ高によって価格が大きく変わるようになりました.「米」をお金に換えて生活していた武士には厳しい時代へと変わっていったのです.

用水路の近く「麓」地区にある武家屋敷です。鹿児島にはたくさんあります。このまえいった感応禅寺がある野田町や出水市知覧町などは有名です。金峰町の阿多は少しだけ残っています。

薩摩の武士は「質実剛健」(形式的な細かいことにはとらわれず,中身を大切にすること)を尊び「文武」に励んでいました.しかし,江戸時代の中期後半までは「火山灰土質」ということもあって,米の収穫量はさほど高くはありませんでした.ですから,テレビで見るような良い生活をしていた武士はホンの一握りで,大部分の武士は貧しく,自らが畑や田を耕していたといわれています.しかし,江戸時代も後期になると藩政改革(藩=大名の支配する小国.の政治)に成功し,薩摩藩は経済的にも軍事的にも力をつけていきました.このような経済的な力と,「質実剛健」な薩摩武士が明治維新の中心的な存在になったことは理解できますね.うえはそうした武士の屋敷跡というわけです)

 

万乃瀬川です。この川の上流から用水路は引いてあるそうです。山の中みたいで行くことはできませんでした。 

ゆとりちゃん,ありがとうございました.また鹿児島のレポートを送って下さいね.(ゲンボー先生)


金峰町のホームページ

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