インターネットを利用した新しい学習形態の模索

             -マルチウエイ遠隔学習の実験と展望-(注1)

 

                             全人玉川学園教育研究所

                               研究員 多賀譲治

 

はじめに

 

 教室という物理的な制約や時間割りと言う時間的制約が学校教育の中から無くなろうとしている.近年のマルチメディアの技術進化は目を見張るばかりであり,こうして原稿を書いている今もなお新たなハードウエア・ソフトウエアの発表が日々の紙面を飾っている.

 学校におけるコンピュータの導入は情報の収集や整理,あるいは発信の方法に大きな変革を与えようとしている.今や様々な学校での実践報告や研究会の報告発表中に,インターネット関連のテーマが無いものを見つけること自体が困難と言わざるをえない状況にある.方法や学習形態あるいは教材の内容も多種多様であり,業者開発の教材に至っては百花繚乱の観を呈している.こうした状況も様々な試行錯誤の後,やがて収斂され,より優れた学習方法や教材が出現するであろうが,多くの学校で行われている学習実験そのものが,「先生が教え」「生徒が学ぶ」式のカリキュラムを踏襲する限り,機械やシステムを十二分に生かした新しい形態の学習の普及は難しいのではないかという危惧もある.

 そこで,私は「新しい学習の方法」を摸索し実験するために,単なる双方向の学習を超えた「マルチウエイ遠隔学習」の教材開発を目指した.このレポートはその実験の経過報告と,そこから得られたことを基に思考した将来の展望である.

 

氈Dマルチウエイ遠隔学習の概念がうまれるまで.

 

 学習方法の改善にネットワークを活用する方法として,私は従来多く見られた「ドリル型」の授業から,簡単で便利に情報処理・情報交換が行われるコンピュータという機械の特色を生かした『将来型の問題解決学習』とも言うべき教材の開発を目指した.総合学習教材の「お米の学習」と歴史教材「鎌倉時代の学習」がそれである.これらの教材は当初より遠隔学習を想定して試作したものであるが,玉川学園中学部社会科での「個別学習期間」中に展開されていた「問題解決学習」がその基盤となっている.

 中学部の社会科で行っているテーマ学習の特色は,時代や地域についての基本的学習に時間をかけて行なう点にある.テーマの設定に至る前段階で,学習をおこなう生徒の理解に大きな差が出ないようにすることと,動機付けを効果的に行うためである.

 

 生徒には学習範囲内での複数の疑問を整理させ,それを,個々にとっての興味の度合い,あるいは資料収集や見通しのつけやすいもの,または,仮説が立てられるものなどいくつかの条件を考慮した上で,その生徒にとって適切と思われるテーマを教師との面接で決めている.

 生徒達のテーマは多岐にわたり,学習の進度や理解度もまちまちであるが,授業時間中あるいは放課後など,できる限り生徒と接する時間をとり,学習の方法や資料についてのアドバイスを行った.

 中学2年生で行っていた「鎌倉時代の学習」を例にとってみよう.

 『鎌倉時代の人は"なに"を履いていたのだろう』『刀の形や腰への差し方が江戸時代と違うのはどうしてだろう』『よろいやかぶとがきらびやかなのはなぜだろう』『子ども達はどんな遊びをしていたのだろう』『いったいどんな物を食べていたのだろう』・・・・

 これは,歴史学習における個々のテーマの一端である.40人の学級であるなら40通りのテーマがあり,その内容も多種多様である.これらを,発表し互いに学び合うところにこの教材の意義がある.個々バラバラの学習を発表し合うことによって情報が結び付き,鎌倉時代のより詳細で具体的なイメージが頭のなかに構築されていくからである.

 「御家人が馬を大切にしていた理由」「よろいが派手な理由」「弓矢がうまくなくてはならい理由」「戦の前に名乗りをあげる理由」.これらが将軍と御家人との関係と密接に関連し合っていることは,生徒自身にはなかなか見えない部分である.しかし,他の生徒の発表を聞くことによって自分の学習との関連性に気付き,やがて相互に結びつき,一つの時代がイメージとして構築されていく.教科書に書かれている抽象的な事柄が具体的に理解される時である.

 「関東地方と近畿地方とでは食生活が違うこと」「地頭のイメージが東国と西国とでは随分違うこと」「衣服が階級や地域によって異なること」「産業の発達が御家人の生活にも大きな影響を与えたこと」これらすべてが,相互に関連し合い影響し合っているとの理解がなされた時,歴史学習の本来の楽しさを生徒達は味わうことができる.また,そこに至る「事実に基づいて」「資料を重んじ」る学習の過程を大切にすることも「学ぶ」ことのトレーニングとして重要なことであろう.コンピュータを使う使わないに関わらず,情報の取捨選択と統合化は学習を行う上での大きなポイントである.

 

 こうした問題解決学習への生徒の反応も良く,感想にも「人々の生活が具体的に分かった」「鎌倉時代が100%武士の時代ではないことが分かった」「気候と政治に関連性が有るとは思わなかった.この学習を行ってなんだか得したような気分だ」「昔の人もけっこういろんな物を食べていることがわかった.それが農業だけでなく地域や文化によって異なることもわかった.武士は完全には日本を支配しきれてはいないなと思った」「ほかの人の発表がとても参考になったし,あれともこれとも関係することが分かって,な〜んだみんな一つのことを勉強していたんだということが分かりました」と言った感想にそれを読み取ることが出来よう.

 このように,生徒達は互いに学びあうことによって,自己の学習の位置付けとテーマに対する理解を深めることが出来たのである.

 

 このような形態の学習を年間1〜2回程度行っていた.しかし,以下のような問題点も生じていた.

 

@学習の展開状況によって年間カリキュラムで設定していた授業時間数を超過する場合が ある.

A一人の教師が多人数の生徒を指導する場合,時間的にも物理的にも負担が大きい.

B時間をかけて行う学習だけに,教師の指導力による差が生徒の理解度の差に大きく影響する.

 

.マルチウエイ遠隔学習のコンテンツ作り

 

・第1段階

 

 これらの問題点を克服した新しい授業形態の模索をするうえで重要なポイントがコンピュータの利用であった.しかし,参考にしようと思った既存の学習教材ソフトは相変わらず暗記を主体とした系統学習に基づくもので占められ,教師と生徒,あるいは生徒同志の双方向による問題解決学習を核とした教材は皆無に等しく,これまでの授業実践を下敷きにしながらも全く新しい概念を具体化する未知の作業に取り組まざるをえなかったのである.私が中学部から教育研究所に異動になった平成7年度の当初には,ネットワークにつながるコンピュータがなく,コンテンツ作りはまずワープロを使ったペーパー上で行われた.その時最初に作った概念図が以下のものである.

 

図1 CD-ROM教材「鎌倉時代」

当部分は割愛しました

 

・CD-ROMからホームページに

 

 当初の教材は「CD-ROM教材」と謳っているように既存の教科書,もしくは辞典,あるいは副教材的な役割が強いものであった.その一つの現れがレポートの提出と教師による評価の部分である.

 また,年表・地図・内容・索引・概略といったリンクボタンが示すように,まず,知識としての歴史学習がそこにあり,そこで学んだ後にテーマ決めを行い個々の学習に入っていくといった,それまでの授業の焼き直しといった感のものである.

 双方向性ということで「先生」というリンクボタンが設定してあるが,これもあらかじめ予想される質問に対するアドバイスが用意してあり,「いつでも」「どこでも」学習することはできるが,教師による学習誘導が前面に出たものであった.やはりペーパー上で行うだけでは不十分と言わざるを得ないものである.

 

 いよいよ,平成8年度に本格的なコンピュータが研究所に導入され,具体的なコンテンツ作りが開始されたが,ホームページと言う新しい舞台にこの学習を載せてみたところ,CD-ROM 教材の概念を超えた「不特定多数」「ボーダーレス」の情報とやり取りに遭遇した.ここで私は今までの学習概念を修正し,教師が教え誘導する学習ではなく,教師は個々の興味にそったテーマ作りと適切なアドバイスをする補助的役割に徹し,児童・生徒の主体性を重視した学習を展開することとした,その一手段として,まず,複数の指導者による学習指導が可能かどうかを目指すことにした.一人の教員・指導者による偏りを無くしアドバイスの内容に多様性と深まりを持たせるためである.

 更にインターネットの利点である双方向性のコミュニケーションをより重視し,使いやすい教材にするために,もう一度新しい教材のコンセプトを整理し考えなおす作業を行ってみた.そのコンセプトは以下のようなものになる.

 

1.適切な指導(学習の動機付けとバックアップ)

 

 一つのことを調べ,まとめ,発表するためには,児童・生徒自らが明確なテーマを持ち学習の筋道が立てられていなければならない.この要件を充足するためには綿密な計画に基づく優れた事前授業の展開が要求される.こうして一つの項目や単元が理解されたとき初めて,児童・生徒は深い内容をもったテーマ(疑問や知りたいこと)を設定することが可能となる.

 もちろんテーマを持てただけでは学習は停滞する.そこに教師による適切な指導が要求されるのである.教師による丁寧な指導とステップがあってこそ,内容のある学習が展開され,児童・生徒の要求を満たすことが出来ると言えよう.そして,そのような充分な動機付けとバックアップの体制が構築されて,はじめて学習は時間と場所の制約から解放されることになる.児童・生徒は機械さえあれば好きな時に,好きな場所で学習することが可能になるのである.

 学習効果を更に高めるためには多くの情報を収集しそれを取捨選択し整理する能力が求められる.従来のように限られた参考書や資料では理解をより深めることにはおのずと限界がある.コンピュータは容易に情報を収集するには最も適した道具といえよう.また,調べ上げたことに図を加えたり,グラフ化することなどにも優れた能力を発揮する.

 今日こうした情報の件数は日々増加し,各国,各地域に優れた情報が構築されている.しかし,情報をどこから得るか,それをどう生かしまとめるかは人間の作業になり,教師による適切な指導が要求されるのである.

 

2.指導は複数で.

  このような形態の学習を行うためには複数の指導者がいることが望ましい.指導者は小学校や中学校あるいは高等学校という従来の学校の枠組みを離れて児童・生徒に対応し,場合によっては教師以外の専門家も加わり,より具体的な生の情報やアドバイスを受けることができる.また,内容によっては教科の枠をこえての支援や協力も必要となろう.一人だけの教師からは得られない多角的な切り口,あるいは多様な指導を受けることができるという点で児童・生徒にとって大きな利益となろう.

3.学び合うことの大切さ.

 従来のクラスや学年,あるいは学校という限られた枠の中からはなれ,多様な学校や研究者との交流が深まれば,更に学習効果を高めることが可能となる.更に,こうした学習の輪が広がれば広がるほど,その学習についての充実したデータベースが構築されることとなる. 本教材の最大の特色は,自ら学び,相互に学び合って学習効果を高めると同時に,従来のように教室で1回限りの発表で終わっていた生徒の作品がそのままデータとして蓄積されるところにある.マルチメディア教材としても,単なるドリルや辞書・辞典,指導者等による一方向の教材とは一線を画すものである.

4.人間が中心

 今日,さまざまな形態の学習がネットワーク上で行われているが,本教材は上述のように共に学び会うことに重心をおいて試作されるものである.また,コンピュータは大きな可能性を秘めた便利な機械ではあるが,その機械の前にいる人間に焦点をあわせていくことを忘れてはならない.

 コンピュータを使った便利な学習を進めるにあたって,私達は常に「実体験」の必要性を念頭にいれておくべきである.額に汗して手を土で汚すことや,人と向き合い人間としてのコミュニケーションから得ることはあまり多いからである.この両者のバランスをとることがカリキュラムの中に求められなくてはならない.

 このようなコンセプトに基づいて行われる学習に私は「双方向学習」という呼び名から,学ぶ者,指導する者が複数で垣根がないために「マルチウエイ遠隔学習」という名称を与えてみることとした.その特色を簡単にまとめてみると以下のようになる.

 

-マルチウエイ遠隔学習の特色-

1.クラス・学年・学校・地域を超えた学習.

2.相互の学び合いによる多様性のある学習展開.

3.社会人(専門家)を含む,複数の指導体制.

であり,これらの条件を念頭において新しい教材作りをおこなった.

 

・第2段階

 インターネットを通じ多様な学校間で学習を行うには様々な問題はあるが,平成8年度9月より試作にとりかかった.対象は玉川学園内である.

 当時は図中の任意の場所にリンクボタンを配する便利な機能などは一般化されておらず,1枚の図を幾つにも切り分け,それをまた1枚に合成するなど苦労もあったが最も大きな問題点は「著作権」の克服であった.

 歴史学習を行う上で情報としての「図」「絵」「写真」は不可欠な資料であり,それぞれに著作権が存するのは周知のとおりである.様々なシンポジウムや研究会に参加して,いつも痛切に感じていたのが著作権のクリアである.試作品である「鎌倉時代の学習」にも多くの写真資料が必要であり,資料の使用については,まず各々の出版社に打診してみた.

 当時はインターネットに関する著作権についての考え方も出版社によって大きく異なり,学習用であるということから許諾してくれる会社や,ホームページ自体に著作権が有するかどうか分からないが故に許諾してくれるところなど様々であった.もちろん厳密に写真使用料や個々の資料についての所有者に対する許可を必要とするところもあった.こうしたことから当初は学内だけに公開される閉鎖されたホームページとならざるを得なかったのである.

 

 当時は,フレームと言う画面を分割して表示する手法がホームページに取り入れられた時期でもあったために「項目」「年表」を左側に配し,学習の中身は右側のフレームに配することとした.つまり児童・生徒の作った学習ページは,年表側からも項目側からもアクセスするようにしたわけである.もちろん「農業」や「食生活」のような年代から呼び込むには無理な内容は「項目」からのアクセスのみとなるため,本ページの核となるのは「項目」ページということになった.

 その項目ページに,サンプルのページとして私は「鎌倉武士の生活」というページを作成した.鎌倉武士の基本的な生活に関わることを簡単に説明したページであり,学習の方法やページの構成についての参考となればと考えて作ったものである.海老名市で発掘された上浜田遺跡の復元図である「鎌倉武士の館」という図を使用し,この図中をクリックすれば関連項目にリンクするように作た.

(中西立太氏の情報画が掲載されているページ.9のブロックに分けられ各々関連項目へのリンクがはられている.)

 

 

・玉川学園小学部の学習

 

 やがて,平成9年5月に小学部恒例の6年生による鎌倉での実地学習に参加する機会を得て,藤組B班の児童達と行動を共にした.子供達は既に鎌倉時代についての学習を一通り終えており,「頼朝はなぜ鎌倉に幕府を開いたか」というテーマにそって当日の役割やルートを決めていた.「祇園山ハイキングコース」や「頼朝の墓」,あるいは「材木座海岸」「和賀江島」など久しぶりの鎌倉探訪に心が弾んだが,なによりも新鮮だったのは子供達の感覚の初々しさである.「お墓のある場所をなんで『やぐら』って言うの?」「八幡宮ってどうして八幡宮っていうの?」といった,大人なら気にも止めないことに子供達が興味を持つことや,引き潮の和賀江島で,ズボンやスカートをたくしあげて一生懸命に「青磁」の破片を探す子供らの眼であった.その時,こうした子供達の素朴な疑問や熱中する気持ちに,我々教師は充分に答えきれているだろうかと私は考えた.たまたま,私や社会科担当の先生が同行したグループなら,子供達の疑問にある程度答えることはできるが,そうでないグループではその場の質問には答えきれないのでは無いかと思ったからである.

 そしてこれが複数による指導体制をコンテンツに盛り込む最初のケーススタディとなったのである.

 

・ゲンボー先生誕生

 

 児童・生徒から見える先生を「バーチャル先生」にすることは当初から考えていたことであったが,誰にお願いするか,ネーミングをなんとするかで迷っていた時,早速小学部のM君から『僕は今,社会で鎌倉見学のまとめで銭洗い弁天の事をやっています.

 そこで銭洗い弁天の入口に,「宇賀福神」という言葉が,目にはいったんですけど,いみがわからなくて本で調べたんですけど,どの本にものっていませんでした.』という質問がメールで飛び込んできた.当時は「コスモスオンライン」という学内LANが小学部を中心に広まりつつある時期に該当し,M君はその「コスモスオンライン」でメールを送ってきたのである.

 そこで,咄嗟につけたのが現在「鎌倉時代の学習」と「お米の学習」で生徒の質問に答えたりアドバイスしている「ゲンボー先生」である.猛禽のチョウゲンボーは我が玉川学園のマスコットであるため,子供達にも親しまれるであろうからと考えてのことである.当初は本格的に運営が始まったら別の名前にしようと思っていたものであるが,今となっては外部の学校からも「ゲンボー先生」宛にメールが来るので,完全に定着してしまったネーミングである.

 

 次の問題はゲンボー2号・3号といった複数の指導者の確保である,既に渡瀬先生にはお願い済みであるが,学外にも指導者を求めることが実験上必要であった.学内においては社会科の先生方にいつでもお願いできる環境にあるからである.

 そうこうしているうちにB君から『ゲンボー先生.滑川はどうして滑川というのですか?』という質問が入ってきた.大概のことなら答えられるがこの質問には浅学の私には無理である.そこで,鎌倉探訪の折に知り合った「某幼稚園の園長先生」にFAXで問い合わせたところ『滑川は十二所(じゅうにそう)と二階堂の谷奥に源を発し,由比が浜から相模湾に注ぐ,鎌倉市内を流れる川では最も大きな川です.上流では川底が凝灰砂岩という石ころの少ない岩の上を,滑るように流れるためにこの名前がつきました.また源流から海に注ぐまで6回も名前が変わっています.胡桃川(くるみがわ),滑川,座禅川,夷堂川(えびすどうがわ),炭売川(すみうりがわ),閻魔川(えんまがわ)です』という解答が返ってきた,方法は違うがこれもマルチメディアの一方法である.そして,この方が外部のゲンボー先生第1号となったのである.これに『一本の川にこれだけ名前があるなんて,”歴史の古い所なんだ”という感じがするね.』というコメントをつけて,ページ上の「みんなの広場」に掲載していった.子供達の質問はメールで,ヒントやアドバイスはホームページ上でという約束はこの時に確立したのものである.

 

 質問には『鎌倉見学に行って頼朝の墓も見てきました.そこに,安永8年 薩摩藩 源重豪が建て直したと書いてあり,また墓には○に十と笹りんどうの2つのマークがありましたこれはいったいなんな のですか?』とか『若江島で拾った,うつわのかけらについてです.この拾ったかけらは,他のかけらと違う点がたくさんあります.その違う点とは,まず色です.他のうつわは,茶色っぽい色なのにこのなぞのかけらは,緑っぽい色なのです!! それに,ほかのかけらには見られない,白い点々と,白い線があります. これは,なにに使われたうつわなのでしょう?』等々,子供達の素朴な疑問に満ちていた.もちろんこれには小学部の先生方がゲンボー先生に質問を送ってみようというバックアップがあったればこそのことである.

図 みんなの広場「小学生とゲンボー先生のページ」

・ホームページの公開と兵庫小学校

 

 やがて,最大のネックであった「御家人の館」の作者である,中西立太氏のことをネット上で知り,実際にお会いして資料使用の許諾を得ることが出来た.中西立太氏は充分な時代考証と精密な技法による日本では数少ない情報画家のお一人である.氏の描かれた「御家人の屋敷」の絵は私の作る教材に無くてはならないものであり,出版社からはいろよい返事の貰えなかった資料でもあった.

 氏とは数度お会いしたが,一枚の絵が作られていくその裏に膨大な資料の収集と時間をかけた緻密な考証がおこなわれていることを目の当たりにして幾度も頭の下がる思いがした.また,そのお人柄と歴史に対する洞察力,観察力の鋭さには勉強させられることも多く,一枚の絵を前にして数時間も時を費やすことは珍しいことではなかった.氏と話をしていると時のたつのを忘れることもしばしばであった.

 また,幸いにも原資料である「一遍上人聖絵伝」「男衾三郎絵詞」などの絵巻は東京国立博物館のホームページから掲載されることを許され,著作権をクリアしながら教材は作られていった.

 

 そうしているうちに「小学部生からの質問」としたコーナーを「小学生の質問」と替えなければならないメールがゲンボー先生に届いた.福井県神戸小学校の子供達からの質問である.

 

 『こんにちは,こちらは福井県の兵庫小学校6年生のM,O,Hといいます

なぜ源氏の将軍はどうして三代で絶えてしまったのですか?』このメールを皮切りに『こんにちは.こちらは,兵庫小学校6年Yです.いまから,鎌倉時代の質問をしますのできいてください. 北条 政子はなぜ源氏をうらぎったのですか? 』『こんにちは 僕たちは,福井県坂井郡坂井町兵庫小学校の6 年生Nです.源平合戦は,なぜ起こったのですか 』

 これらの質問がゲンボー先生のところに届いたのは平成9年11月に子供向けサーチエンジン(検索ページ)の「yahooキッズ」が「鎌倉時代の学習」と,当時製作中であったもう一つの教材「お米の学習」が,学習の優良ページとして彼等のリストに掲載されたからであった.これを見て子供達は質問を送ってきたのである.これは後に兵庫小学校の先生から伺ったことである.

 

 さて,兵庫小学校の子供達の質問であるが,その内容から「テーマ学習」をおこなっているのではなく,鎌倉時代の一般的な通史を学習するうえでの質問であることがわかる.

 また,兵庫小学校では子供達の学習結果をホームページに載せるところまでは計画していなかった.つまり,ゲンボー先生がヒントやアドバイスをしても彼等が問題解決学習を行うかどうかは「あちらさま」次第であり,その上学習成果もWEB上で見ることができないのである.これでは「インターネット版電話相談室」ということになってしまうではないか.個々のテーマを組み,それを調べ発表しあうことによって,より詳細で具体的な時代や地域を理解しようというところに「マルチウエイ遠隔学習」の意義があるからである.

 しかし,こうした形態ではあっても子供達にとっては「見たこともない」「変な先生」との初めての出会いである.きっとドキドキしながらメールの返事を待っているに違いないのだ.これこそ「未知との遭遇」である.そこで私も,理念とかコンセプトとかにこだわらずに兵庫小学校の子供達の質問に丁寧に答えることにした.

 

 やがて,学習が進んでくると彼等からも細かい事象についての質問が送られるようになり,子供達の学習進度や様子が,遠く離れていても眼に浮かぶようになった.彼等はより深く知ろうとしているのである.

 例えば『こんにちは.兵庫小学校6年 T,O,M,K,Kです.鎌倉幕府が徳政令を出して借金を帳消しにしたのに,なぜ生活が楽にならなかっ たのですか? 』とか『こんにちは.こちらは,兵庫小学校6年 4班です. 鎌倉時代の市には,どんな物がおいてあったのですか?』『平家物語は誰がつくったのですか?』『鎌倉時代の人は,どんな遊びをしていたのですか? 』といった質問である.

 彼等とのやり取りは「みんなの広場」「小学生の質問」として,玉川の子らと同じページに掲載した.やり取りそのものが読む人にとっての「基本的な学習」の参考になると考えたからである.

 

・中学部生との実験

 

 このころ玉川学園中学部社会科の五島先生の計らいで数名の中学2年生を紹介された.彼等は歴史学習でおこなった「鎌倉時代」の発展学習をホームページ上に載せたいという積極的な学習意欲を持っていた.

 彼等との学習はまず,「テーマ作り」と「学習を進める上でのヒント」のやり取りから始まった.『指導者は個々の興味にそったテーマ作りと適切なアドバイスといった補助的役割に徹する』としたコンセプトどおりの接し方に徹するよう努めた.その結果一人一人のテーマが決まり,学習が始まった.ここにその中の一人Y君の学習完成までのやり取りを紹介したい.

 

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質 問

 

平成9年10月14日 10時30分

ゲンボー先生こんにちは.玉川学園中学部 Yです.

 

 この間は,ありがとうございました.調べる内容が決まりましたので送ります.僕は鎌倉時代の農業と食べ物の事について調べようと思っています.農業については使う道具,主に作っていた食べ物(野菜など),肥料,時期,田,畑の大きさなど,また,食べ物については作ったものを,どのように調理したのか,魚,水,野 菜,動物) 今の食べ物とはどのように違うのかなどを,調べていきたいと思っています.

 

ゲンボー先生より

 

 Y君へ

 

 すご〜く面白いテーマだと思います.まず,食べ物から調べるのがよいでしょう. それも,武士だけでなく貴族や農民も調べてみると当時の社会が見えてくると思います. (貴族だと近畿地方の,武士だと関東地方の食材がある程度分かると思います.) 注意しなくてはならないのは,貴族の場合は地方からの貢ぎ物があるので,全てが近畿地方とは限らないことです.

 

学習の手順は,

第1に:階級別の食事(食材)を調べてみる.(この部分で調理法も調べられるでしょう)

第2に:機具や農業技術を調べてみる.(農村の様子も分かると思います)

第3に:その上で近畿地方と関東地方の差をあきらかにする.(農民支配の様子が異なることが分かります)

最後に:鎌倉時代の社会構造が東西で大きく異なることが分かればこの学習は大成功です.

今の食事とどこが違うかも,こうした観点から調べると科学的で説得力がありまね・・・

 

では,どうすれば成功するのか・・・

 

ヒント1.学習の目標を明確にすること.

ヒント2.良い資料を調べること.

ヒント3.先生に聞くこと.(何を調べたらいいのか,調べた資料をどう生か

すかなど,なんでも聞いてください.)

 

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連 絡

 

玉川学園中学部 Yです . ところで,ゲンボー先生2号,3号ってどなたのことですか?

 

 えーっと,鎌倉幕府のスタックから抜き出したのと,社会の教室にある本から調べたことです.農業のこと,食事のこといろいろ調べましたが,食事のことについてが,調べやすかったです.(まだおわってないけれど...食事のことについての本があったので)

もっとたくさんの資料をさがしたいとは思いますが...うまくいっていると思います.

 

 

ゲンボー先生より

 

Y君へ 

 

 ゲンボー先生は一人ではありません.それ以外はヒミツです.学習が終了したら分かるかもしれません.

 食事の内容が階層によってどう違うか,地域によって異なるか?がポイントです.このことによって当時の武士や貴族あるいは庶民の生活が読み取れます.また,地域の差は京都を中心とする貴族の勢力と,関東を中心とする幕府の勢力のありかたを農作物の観点から読み取れると思います.オモシロソ〜!!!頑張ってよい資料を集めてください.

 

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質 問

 

玉川学園中学部のYです.

 

 学習のことでの質問です. 階級別の食事というのはどんな階級ですか? (農民と武士だけなら調べられました.) また,武士と貴族の違いならわかりましたが...(貴族のことは主に平安時代と比較したのですが,鎌倉時代の貴族は,平安時代のころと食生活はちがうのですか?)

 

ゲンボー先生より

 

Y君へ

 

 君のいうとおり,貴族,武士,農民のことです.貴族は基本的に平安時代とさほど変わりはありません.ただし,鎌倉時代は農業技術が進歩した時代ですから農作物にも変化がでてきました.

 君は食物から社会を読み取る学習をしているわけですから,こうしたことも並行して調べてみてください.教科書にも農機具の進歩や二毛作のことがでています.

また,農民には年貢以外にも様々な税が科せられていました.この仕組がわかれば,農民の食事が貧しくて上級の武士や貴族の食事が良い理由も分かるはずです.

 

 貴族は平安時代の以前より広い領地から多くの租税を集めて裕福な暮らしをしていまた.一方武士の大半はもともとは農民で質素な生活をしていたわけです.

その中の有力な農民が自分達の土地を守るために武装して武士になりました.そしてそれらの武士団の統率者に,皇族や貴族といった血筋である人々がなったわけです.それが源氏や平氏あるいは藤原氏なのです.そうした人々も貴族とは違った食事をしていたのは君が調べたとおりだと思います.

 ただし,平氏は貴族的な暮らしをしていたために源氏に破れました.もし君に余力があったら平氏と源氏の食事の差について調べても良いと思います.

 

 調べたことだけでよいので原稿を送ってください.もっと具体的に指導出来ると

思います.

 

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質 問

 

  玉川学園中学部 Yです

 

  平安時代の庶民たちは質素な食事でしたが,鎌倉時代の武士と比べて見てどちらが質素でしたか?またどんなでしたか?

  「鎌倉時代と平安時代の庶民は同じように自分たちの畑でとれたものを食べていた」という説明を読んだのですが,どうですか?

 

ゲンボー先生より

 

Y君へ

 

 鎌倉時代の武士は大なり小なり支配者です.(ただし下人はちがう).と,いうことは農民から年貢をとっていたわけです.君は「阿て河の荘」の農民の訴状を見たことがあるでしょ.(教科書にも出ています)荘園に配置された地頭が自分達の年貢をとりたてるために,いかに農民を苦しめていたかを・・・すべての地頭がこのようにひどかったわけではありませんが,武士が農民を支配していたことは分かると思います.

 また近畿地方の貴族や寺社が持っていた荘園の農民は二重に支配されていたということになります.

 そうなると当然食生活だって変わりますね.また,支配者としての武士の生活が向上したことも理解出来ますね.

 

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質 問

 

玉川学園中学部 Yです 昨日はお世話になりました.今まで調べてきたことは,まだほかにたくさんありますが,1部分を送っておきます.何かあれば教えてください.

 

ゲンボー先生より

 

Y君へ

 

君の原稿を見ることができました.以下に感想を述べます.まず,時間がないのによく調べました.頑張ったね!

 

1.武士の食事と貴族の食事を表にしたのは見やすくてとてもよいと思います.更に,   各々の具体的なメニューが加わると分かりやすくなります.その上で貴族の食事が片  寄っていたこと,平氏もその貴族の食事に近かったことを述べれば説得力が増しま   す.

 

2.醤(ひしお)についての説明を加えたほうがよいでしょう.また,この時代に魚醤   (ぎょしょう)があったか,調べてみると面白いとおもいます.魚醤はタイ,ベトナ  ムといった東南アジアから日本の東北地方にまで広く分布する,独特の調味料です.  秋田県では「しょっつる」といい,冬の鍋に欠かすことができない調味料です.(オ  イシイよ〜)君も聞いたことはあるでしょう?これ調べると面白いよ.インターネッ  トで検索してみてください.先生も調べてみます.もしこれが鎌倉時代にもあったら  食生活の見方がまたひとつ変わります.

 

3.食材についてはもう少しつっこみが欲しいですね.当時,西日本では二毛作が行われ  ていましたから,いろんな種類の野菜が作られていたと思います.そして,特に米に  ついて調べられませんか?この時代は早稲(わせ).中稲(なかて).晩稲(おく   て)の3種類があったそうですが,今の我々が食べている短粒(たんりゅう)のジャ  ポニカだけでなく.米の種類の選別が完全に終わらなかったので,長粒(ちょうりゅ  う)のインディカも少しまじっていたようなのです.

 

※稲が日本に伝わった縄文時代の終りや弥生時代はもっとばらばらでいろんな種類がひと つの田んぼに,ごちゃ混ぜになっていたようです.

 さらに,鎌倉時代の武士を含む一般庶民は「玄米」を蒸して食べていました.これを強 飯(こわいい)といいます.現在は「おこわ」といっていますね.一方貴族は精米した 白米を食べていました.これを「姫飯」(ひめいい)といいます.

 姫飯の方が柔らかくて食べやすいのですが,澱粉質ばかりで栄養が片寄ります.一方強 飯のほうはビタミンBを大量に含む胚芽(はいが)が含まれていたために,とても栄養 バランスがよかったのです.

 もしかして,平氏には「鳥目」が多かった,なんていう仮設を立ててみるのもすご〜く 面白いと思うなあ!(これは1.と関連していますね)

 

4.農業との関連ですが「お米の学習」の「お米の歴史」に,「鎌倉時代の米作り」を載  せました.ここを参考にしてください.特に君には,下地中分や地頭の進出と農業の  発展を先生より詳しく調べて欲しいのです. これができたら.君のページには,お  米ページからも同時リンクを張りたいと思います.

 

いよいよ,正念場ですね頑張ってください.

 

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質 問

 

玉川学園中学部 Yです

 

 1つ質問があるのですが,鎌倉時代は荘園制であったのに,笛や,ドラを鳴らしたいわゆる共同作業なのですか?教えてください.

 

ゲンボー先生より

 

Y君へ

 

 当時の農作業は,水路の建設や開墾といった土木作業や農作業には家畜の力も利用しましたが,田植えや稲刈りなどは全て人手に頼っていたわけです.特に田植えは期間が限られていることもあり,相当な重労働でした.最近では田植え機やコンバインなどという便利な機械がありますが,昭和30年代まではこうした作業はほとんど人力で行われていました.

 農村では古くから互いに助けあう制度ができていて,こうしたときに共同作業がおこなわれていたのです.

 特に「田植え」「稲刈り」は大切で,苦しいけど,収穫に結びつく嬉しい作業でもあるわけです.ですから,少しでも苦痛を和らげるために鐘や太鼓で拍子をとったり,気を紛らわせたり喜びを表現していたのですね.

 こうした農作業に関わる舞楽のことを『田楽』といい,ここから庶民の音楽や芸能が発達したといわれています.

 君の質問ですが,そういう訳で荘園制と共同作業の有無はあまり関係ありません.荘園の中にも農村があったわけですから当然いま述べたような農民の共同作業はあったわけです.

 

 以上のやり取りの末Y君が作り上げたのが以下のページである.

 

 Y君はテーマの中心となる「食べ物について」「農業について」と時代のまとめである「鎌倉時代とは」と「さいごに」の4項目に分けて各々へのリンクを貼っている.

以下がメインテーマの『鎌倉時代の食べ物について』のページである.

 

 

この中で,Y君は更に調味料である「醤」(ひしお)に着目して次のページにまとめた.

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 ご覧のとおり,彼のページの随所にゲンボー先生とのやり取りが形となって表れているが,注目すべき点は「醤」(ひしお)の学習のように,「草醤」や「穀醤」あるいは「肉醤」など,ゲンボー先生のアドバイス以上のことをY君自らが調べていることである.

 彼は,鎌倉時代の食生活が意外にバラエティーに富んだものであると感じている.ここには掲載してないが「しょっつる」や「いしる」と呼ばれている「魚醤」や,醤油の前身である「溜」(たまり)を調べたのもそうした理由からである.

 具体的にはホームページを参照いただければ幸いである.

アドレスはhttp://www.tamagawa.ac.jp/sisetu/kyouken/kamakura/「食生活から分かる鎌倉時代」.

 

「承久の乱はなぜおきたか」も中学部生であるN君の学習成果である.こちらもY君と同様に作られ,本教材コンセプトのねらい通りの学習展開が実験された.

 惜しむらくは数名の生徒が最後の発表と言う形までに到達し得なかったことである.学習が行われた3学期は既に江戸時代に入っており,行事の立て込む時期でもある.担当の五島先生や主任の佐藤先生には御尽力いただいたにもかかわらず,こうした生徒が出てしまったことを申し訳なく思っている.

 

 

・ホームページの概要

 

 このように児童・生徒との具体的なやり取りを通して「鎌倉時代の学習」ページは何度か修正を加えながら骨格は出来あがっていった.

 左側フレームには「年表」と「項目」の切り替えページを設けたのは前述のとおりである.その項目ページの構成には以下のように「年表/項目の切り替え」・「ホーム」・「みんなの広場」・「サンプルページを含む各テーマ項目」・「リンク」・の目次を構成してみた.

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リンクページには玉川学園小学部生のピックアップページと「鎌倉を巡る歴史のおさらい」「wwwで歩く鎌倉」「博物館リンク.リスト」「歴史データ館」「歴史データベースon Web」など,学習をすすめる上で便利なページを,製作者の許可を得て掲載した.また,子供向け検索ページの「yahooきっず」の検索もできるようにして,平成10年3月には,ほぼ本学習ページの体裁が出来上がったのである.

 

・養護学校生徒の学習参加

 

 「鎌倉時代の学習」ページがほぼ出来上がったところで,「お米の学習」についても手を加えていた9月.鹿児島養護学校中学部2年生のK君からゲンボー先生宛にメールが届いた.K君とはこの後メールを通してのやりとりが続き,12月には彼自身のホームページを作るに至ったのである.現在K君は「鹿児島の鎌倉時代」をまとめており,これもホームページにアップする予定である.

 以下にK君それにK君の担任・教科担当の先生方とのメールのやり取りを紹介し,コンピュータという機械を利用することによって「いつでも」「どこでも」「だれでも」が同じ土俵のうえで学習できることの証としたいと思う.

 

 

・K君のメール(平成10年9月14日)

 

『初めまして,僕は鹿児島養護学校中学部2年のKです.僕は夏休みに自由研究で鎌倉幕府について調べることになり,インターネットで鎌倉幕府に関するホームページを探していたところ,そちらのホームページを見つけました.写真が沢山使われていて,説明もわかりやすく,なによりも教科書に載っていないような詳しいことまで書かれていたのがよかったので自由研究に使わせてもらいました.ありがとうございました.ところであの写真や絵はどのようにして手に入れたのですか?もしよかったら教えてください.本当にありがとうございました.』

 

・ゲンボー先生のメール(平成10年9月16日)

 

『「ゲンボー先生です.先生の「鎌倉時代の学習」が君の役に立ててとても嬉しく思います.これからも勉強のことで分からないことや困ったことがあったらいつでもメールを下さい.

あの絵は作者の「中西立太」先生の許可を得て載せています.先生の絵は時代考証も行き届いていますので,ただの挿絵とは違います.君もきっとどこかの本で見ているはずです.写真はH社をはじめとして各出版社の許可を得て載せているものです.

 ところで,先生はあの学習に積極的に参加してくれる人を探しています.君の自由研

究はホームページにのるのですか?君の友達や君が参加してくれると嬉しいなあ・・・』

 

 

・K君と教科担当のG先生からのメール(平成10年12月1日)

 

『こんにちは.九月にメールを出した,鹿児島養護学校中学部二年のKです.

今度,僕の学校のホームページに僕の自由研究を載せることになりました.

そこでお聞きしたいのですが,玉川学園の資料をホームページに載せてもよろしいでしょうか?

 

 はじめまして

 鹿児島養護学校の教諭をしていますGです.今度本校のホームページに貴校の研究資料を使った,自由研究発表を小野君が載せることになりました.

しかし,資料の著作権等の問題があり今回おたずねすることにしました.

 自由研究には,鹿児島の鎌倉時代の様子も少しですが載せる予定です.よろしくご指導ください.』

 

※研究所長の澤柳先生もすぐに快諾されて,即座にOKのメールを出した.以後K君とのやり取りを「みんなの広場」に掲載したい旨を伝えた.私は彼のホームページを心待ちにするようになった.

 

 

・K君のメール(平成10年12月9日)

 

『こんにちは.資料をホームページに載せるのを許可してくださってありがとうございます.僕は,とてもうれしく思いました.

僕のメールは,そちらに掲載しても結構です.

 

僕の研究は鹿児島養護学校のホームページの一部に載ることになっているのですが,研究はまだ,完成していないのです.早く完成させたいのですが.来週までテストがあり,制作ができないのでホームページに載せるには,まだ時間がかかると思います.

 

研究を載せる予定の鹿児島養護学校ホームページのアドレスは

http://www.minc.ne.jp/kayooko/index.htmです.』

 

 

・K君のメール(平成10年12月9日)

 

『こんばんは.そちらのホームページの「みんなの広場」を見させてもらいました.僕のメールが載っていて嬉しくもあり,照れくさくもありました.なにも差し障りはないのでこのまま載せても結構です.

 

今日,学校で担任の先生がメールをうってくれました.

届いていると思います.

 

今週の金曜日,あさってで期末テストがすべて終わります.

これで集中してホームページ作りができると思います.』

 

・K君の担任N先生のメール(平成10年12月9日)

 

『こんにちは.はじめまして.     

私はK君の担任をしておりますNです.

ゲンボー先生には社会の自由研究の資料提供などしていただき本当にお世話になっています.先日,K君と先生のメールの交換を見せてもらい今度は是非,私の方からK君の紹介など・・・と思ってメールを送らせてもらっています.

 

では・・私から見たK君は,本当に素直で優しい男の子です.どの友達に対しても公平に接することのできる思いやりのある人間だと私はおもいます.

(自分ではちがうといっています.)

私のクラスは男の子4人なのですが,休み時間はK君の周りにみんながよってくるぐらいの人気者です.勉強の方もまじめで「手抜き」と言う言葉を知らないほどコツコツと取り組む努力家です.

しかし,最近では私のつまらないジョークに対し,それなりに返してくれるおもしろいところもあるのですよ.将来も,パソコンを通した仕事をしたいと言っていますのでこれからもよろしくお願いします.

今日のメールの送り方も全てK君がおしえてくれました.』

 

 

・K君のメール(平成10年12月12日)

 

『こんにちは.

昨日,とうとう僕の研究が鹿児島養護学校ホームページに載りました.

まだ,鹿児島の鎌倉時代は,できていないので準備中になっていますが,完成したら載せようと思います.ぜひ,見てください.』

 

 

・ゲンボー先生のメール(平成10年12月14日)

 

『見た,見た,見ましたよ!!!!嬉しいなあ!

 

先生の最も望んでいるかたちでK君の学習が進んでいることがとても嬉しいです.

今回,行っている「学習」のひとつのポイントが『いつでも』『どこでも』『誰でも』だからです.

遠く離れた(遠くでもないか・・・)鹿児島に住むK君がこうしてこの学習に参加してくれたことが,ひとつの証でもあるからです.

君もいっているとおりコンピュータは便利な機械です.この機械を利用して君の知識を深め,広い世界へ飛び出していってください.

 

「鹿児島の鎌倉時代」とても楽しみにしています.頑張って下さいね.

 

そうそう,「和賀江島」が「加賀江島」になっていますから,あの部分は直しておいたほうがいいかと思います.

 

ところで,学習以外のことでもメールのやり取りをしませんか.気が向いたらいつでもメールを出して下さい.』

 

 

・K君の教科担当G先生のメール(平成10年12月13日)

 

 

『12月も半ばになりやっと寒い冬になりました.いかがお過ごしでしょう.

先日からK君のメールの一つ一つに大変ありがたいご指導をいただき恐縮しております.

 おかげさまで研究を一応まとめて学校のホームページの一部に掲載することになりました.もし先生のホームページを覗かずに学習を進めていたら,今こんな成果を出すことはできなかったでしょう.本当にありがとうございます.

 

実は先生もお気づきかもしれませんがメールのやりとりはK君自身からの発信という形をあえて取らせていただきました.それは『主体性』という側面から,できるだけ子供の手で研究を進めていきたいという願いが私にあったからです.そのため先生には「担当の先生はなにかんがえてんのかな?」と思われる節が多々あったのではないでしょうか?大変失礼なことをしてしまったのではないかと反省しております.

 

今日は少し長くなりますが,K君に関することそして私自身のことも含めて少しお知らせしようと思います.

 本校のホームページをご覧になり,どんな学校なのか大枠ではわかっていただけたと思っていますが・・・・

 K君は中学部二年生で,二年生の中で唯一義務制の学習指導要領に合わせた授業が可能な生徒です.つまりK君の授業は音楽,体育,美術といった教科以外の教科学習はマンツーマンなのです.

 そのため話し合い学習や意見の交換といったもっとも必要な環境が用意できません.本人のやる気や能力を伸ばす手だてが限られています.

 

中略

 

さて私の自己紹介を少し・・・

教員になってずっと特殊教育に携わっています.

正直,教科を教えるのは初めての経験です.

不思議に思われるかもしれませんが今までは知的障害の子供たちの学校に勤務していました関係で教科領域を合わせた指導の形態という形で授業をしていました.

 中学校も新しい学習指導要領には総合学習の時間がもうけられることになりましたが

すでに障害児の学校ではそのような授業の形態を取り入れています.

 ですから教科そのものを教えることはありませんでした.今年度の異動で本校へ赴任して教科としての社会(歴史)の学習を指導せざるを得なくなったのです.

 新しい学力観といったことが今の学習指導要領でメーンになりましたが,今の学校では障害の程度に応じた教育という観点からなかなか指導法の研究が進んでいません.

 とても恥ずかしいおはなしですが能力を持っていてもそれを生かす教科研究ということが遅れているようで,K君に関しても新しい取り組みにチャレンジしたという事例はありません.K君には機能的な制約があるため.私は何とかして普通の子供がやっていることを体験させたいと考えました.学習も「本当に考えるって事はね・・・」と説教するよりやっている同年代の中学生の姿を見せたいと願っていました.それで夏休みの自由研究を思いついたのです.

 今思えば自分の指導力不足は棚に上げてよく言ったものだと恥ずかしくなるばかりです.

 しかしK君が見つけてきたホームページに,私が期待した生徒と先生のやりとりが生き生きと映し出されこの研究を参考にさせていただきましょうということになりました.

 

本人は江戸時代がいいと言っていたのですが,今となってみると学習の焦点化は鎌倉時代のほうが良かったと思います.

 

もう一つ パソコンの利用です.

K君の書写能力(はやさ)と40分しかない授業時間を考えると,授業の効率化は課題でした.K君が自宅にパソコンを持っていること,インターネットを経験していること,文章のワープロ制作が可能であることなどがわかり授業の中でもパソコンの使用が可能となりました.

 私のパソコン歴はK君と大差なく家電製品のように扱っている程度でしたが高等部の先生の協力が得られ今回やっとホームページへの掲載が可能になりました.

通常の授業では予習のための資料をフロッピーに入れそれをK君は家のパソコンで読み込んでプリントアウトしてノートに張り授業を受けます.

出来るだけ毎日パソコンに触るよう私も家からメールを送ったりします.

 

 私の手持ちのパソコンは3年ほど前のものでインターネットをするとカリカリ音を立てて苦しそうです.

 

 私のことは・・・・

家族は 小学校の教員の主人と小3と4歳の女の子.

家に帰ると10;30頃までは 主婦です.

インターネットや 仕事はそのあとになります.

主人はインターネットに関してはあえて無関心で,教科を教える力が無ければ絵に描いた餅だといいます.目先の新しさで学力は伸ばせないと考えているようです.

ですからこのことに関しても成果をきちんとした形にして論議したいと思っていました.

今回の自由研究のことでずいぶん認識が変わってきているようです.

 

 玉川学園の教育をかいま見てあープロだなと感じました.先生がおっしゃるとおり結局中身の問題です.そのことはこれからずっと私の課題となるでしょう.

わからないことがあったらK君同様よろしくご指導ください.

 先生の丁寧で温かいメールに何度も励まされて私もがんばろうという思いを新たにしました.

 

寒さも厳しくなってきました.どうぞお体を大切にご自愛ください.

今日は少し長くなりましたがお礼まで』

 

・K君のメール(平成10年12月20日)

 

『こんにちは。

BBSに感想を入れてくださってありがとうございます。

 

今日は、黎明館へ鹿児島の鎌倉時代についての資料を見に行きました。

僕は、今まで島津氏の祖先は鹿児島の人だと思っていたのですが、黎明館に行ってみたら、鎌倉の人が祖先だったと分かり、とても驚きました。

 

それから、黎明館で今度、自由研究に載せたい資料のことを聞いてみたのですが、黎明館の資料は複製で本物は東京大学に置いてあり、東京大学に問い合わせてみないと載せていいかは分からないということでした。

許可がおりればいいなあと思います。』(注2)

 

 

・ゲンボー先生のメール(平成10年12月21日)

 

面白いね.武士の領地はその人の「はたらき」によって決められたとことが良く分かる例だと思います.

もともとあった土地も「開拓した土地」と「奪った土地」や「名目上の領地」があったりしました.

これらの土地を幕府から認めてもらい,他の武士から侵略された時は助けてもらうシステムが御家人制度の根本です.

こうして支配地を幕府(将軍)に認められることを「本領安堵」といいました.

 

また,戦のはたらき具合によって,奪った敵の土地を分け与えられることもありましたから,御家人はできるだけ目立ちながら,勇敢に戦ったわけです.「弓馬の道」「名乗り」「一番乗り」などが大切だったことが良く分かりますね.

さて,島津氏の御先祖様はどうして鹿児島を支配したのか????先生も知りたいなあ.

わかったら教えて下さい.

 

>それから、黎明館で今度、自由研究に載せたい

>資料のことを聞いてみたのですが、

>黎明館の資料は複製で本物は東京大学

>に置いてあり、東京大学に問い合わせてみないと

>載せていいかは分からないということでした。

 

中身のことを調べて,君の言葉でまとめるのなら著作権の侵害にはなりません.絵とか資料をそのまま撮影したりコピーするのは許可がいります.

 

それによって,東京大学に問い合わせてみたらいいと思います.

以下が住所です.

 

以下,東京大学史料編さん所 住所』

 

 

・私が鹿児島養護学校のホームページに送った「K君の学習」の感想.

 

 『K君の学習を見ました.出来映えが素晴しいのでびっくりしています.

また,私達の作った「鎌倉時代の学習」がお役に立ててとても嬉しく思っています.早速,「鎌倉時代の学習」からリンクをはりました.

あのページはとかく暗記学習に偏りがちな歴史の勉強から,「自分で学び,考える」楽しい歴史を目 指して作ったものです.

「いつでも」「どこでも」「だれでも」がそのコンセプトです.

K君のホームページを見て,コンピュータという機械が「知識を広め」「世界を広める」便利な道具であることを,もっと多くの人に知って貰いたいと思っています.

冬休みには「鹿児島の鎌倉時代」を調べるとのことですが,是非頑張ってください.ゲンボー先生(バーチャル先生)も,君のことを応援します.

いつでも,連絡を下さいね.』

 

 

 以上が平成10年の暮れまでのメールのやり取りであるが,個人のプライバシーに関する部分は割愛してある.また,メールを公開することについては,御本人達の了解を得てある.

 

 最初のメール(9月)から次のメール(12月)まで,随分と時間があいているのはその間が,K君がハンディを克服しながらホームページを作っていた期間だからである.彼や彼の担任の先生のメールから読み取れるK君は,テストのことに悩みジョークも言うごく普通の中学生であるが,実際のK君が大きなハンディを抱えているであろうことは教科担当の先生のメールから察することができた.しかし,私はこの学習の基本的な理念のうえからもK君を普通の中学生として対応してきたし,今後もそれは変わらない.

 

 教科担当のG先生のメールにあるように『主人はインターネットに関してはあえて無関心で,教科を教える力が無ければ絵に描いた餅だといいます.目先の新しさで学力は伸ばせないと考えているようです.』というのがコンピュータを使った学習に対するごく一般的な反応であることは私の経験からも充分に理解できる.しかし,私は「いつでも」「どこでも」「だれでも」が可能なのがコミュニケーションの機械としてのコンピュータであると確信している.問題は御主人の言うとおり教える力,すなわち学習の『中身』の問題なのである.

 前述したように多くの教育ソフトが相変わらず暗記中心であったり,ドリル的であったりするうちは「アンチョコ」や「学習の手引き」のデジタル版に過ぎない.私達が目指している「新しい学習」の形態はコンピュータに関係なく,こうした旧態依然とした学習方法からの脱却である.このような学習を行うのにたまたまコンピュータが一番適しているから使っているに過ぎないのである.

 以前,佐賀県の過疎村にある小学校4年生の「ごんぎつね」の学習で感動を受けたことがある.4年生はAちゃんという女の子一人しかいない小学校で,彼女は一生懸命ごんぎつねの感想文を書いた.しかし,悲しいかなそれに答えてくれる同学年の子供は彼女の学校にはいないのである.

 Aちゃんの感想文は先生の力によってホームページに載った.それから暫くして日本中の学校から「感想文の感想」が送られてたのである.

 いまでは「絵」あり「まんが」ありのとても充実した学習ページになっている.彼女は一人ではなかったのである.もちろんAちゃんの先生がコンピュータができるだけの人でなく,コンピュータの本来の使い方を知っていたということが最大のポイントであることは言うまでもない.これもコンピュータがあればこそのことである.

 

 私はK君ともこうした学習をしたいと思っている.彼の新しいページに同世代の子供の意見ややり取りがあれば素晴らしいことだと思うからである.

。.CHaT Netとの関わり

 

CHaT Netは玉川学園K-12,すなわち幼稚部から高等部までの児童・生徒・父母・教師間のネットワークであり「行事」「学校連絡」「学習」「情報交換」が行われ,玉川学園の教育の基盤となる情報システムである.CHaT Netのシステムと運営の実際については既に本誌にも紹介済みであるためここでの説明は省くが,玉川学園の教育すべてに関わるシステムであるため,当然,実験中の本教材と学習方法が有機的に結合することは言うまでもない.

 特に平成11年度から導入が予定されているFCIS(First Class Intranet System)では

ネットスケープやインターネットエクスプローラ等のWeb Browserでもアクセス可能になるため,CHaT Netとホームページが一体化し,ネットワークにつながるコンピュータさえあれば,いつでも,どこでも情報の交換や学習をすることが可能となるからである.

 今後は各学年・各教科での「遠隔学習」に供するための教材の開発が必要となっていくであろう.このことから,今回の実験結果から得た学習の要点を以下に挙げておきたい.

 

・教材作りの要点

 

1.「遠隔学習」に適する教材の開発.

 こうした学習を行うのに適切と思われる単元や授業で「遠隔学習用プログラム」を組み,その多くを教材化することが理想的ではあるが,まず,始めは情報の収集,意見の交換等,インターネットを利用することのメリットがより顕著な教材を選び各教科で開発することが望まれる.

 また,総合学習など学際的な学習が今後も増加することを考えれば,一教科内で完結する学習以外に教科のクロスによる単元の開発も必要となる.

2.教材開発のバックアップシステムの構築.

 すべての教員がコンピュータに習熟している訳ではなく,現場の限られた時間内に教材作りをこなうには物理的な無理が生じる.そこで,教材作りのプロデュースと実際のコンテンツ作りを行う部門を設けることが必要となろう.

 各部・各校にいる若干名の「コンピュータ名人」にたよっている現行のやり方には限界がある.

3.「遠隔学習」指導者確保と指導システムの構築.

 複数で指導することの利点については既に述べたとおりである.指導者間ではネット上で行われる学習についての意義と,学習内容に関する共通の理解が必要である.このようなスキルを持った教員や専門家を取り込むことが必要となる.

また,児童・生徒からの質問やアドバイスに答えるルールや,ホームページの管理者を決めておく必要もある.つまり学習の中心となる指導者と管理者ということになる.

4.指導者のスキルアップと,学習者のコンピュータリテラシーの向上.

 これからの指導者はコンピュータの操作に慣れることはもちろん,コンピュータをどう教育に取り込んでいくかのポリシーを持たなくてはならない.電話やテレビ,映画と同じようにコンピュータは生活や教育になくてはならない機械になることが明白だからである.まず,各部毎に行われている教員に対するコンピュータの講習会を一元化し,体系的なプログラムに則る講習会とする必要があろう.

 また,各部・各学校で行われている児童・生徒への「情報教育」も今後は教科を超えての取り組みとなることが望まれる.教科や授業の特性を生かした具体的な情報教育の学習展開ができるからである.もちろん,それはカリキュラムの中に組み込まれていなければならない.

5.良きパートナーの発掘

 より良い学習を展開する上で様々な「学校」「機関」とのつながりを持つことは重要なポイントである.しかし,無差別に連携を持つことが学習の深化に結びつくわけでは無い.特に指導者間の共通の理解は必要で,目に見えない同志ではあっても一つのものを構築していく共同体としての意識の醸成はもちろん,学習に対する価値観が互いに理解できる状況を作り出しておく必要がある.

 小学部とハーカー校がOur Trees Projectで良きパートナーとなっているのは,こうした教師間・学校間での相互理解が行われているからである.

 インターネットが普及し日常のものになったとしても,人間関係がその根底にあることを忘れてはならいのである.

6.リアル(実体験)とのバランス

  古くは「ナイフで鉛筆が削れない」にはじまり「折れたカブト虫の足を接着剤でつける」「ふすまや障子がはずせない」といった子供達の実体験の希薄化の事例は枚挙にいとまがない.

 私も「釘が打てない」「卵の殻が割れない」「天窓のガラスを踏み抜く」など,様々な出来ごとに遭遇した.これは全てその子供達に実体験が不足していることから生じる現象である.バーチャル農業と称して「稲作」や「トマト作り」を画面上で行うホームページもある.確かに現代の子供達に「田植え」や「稲刈り」をする機会は少なく,年間を通した稲の生育状況や農民の努力などを,ある程度仮想体験できることには大きな意義があると思う.しかし,実際に耕し栽培するのとでは「生きた知識の収得」「感動」という点で大きな相違があることは言うまでもない.自然体験・社会体験・生活体験から学ぶことはあまりにも多いからである.今後はバーチャル上で学習することの利点と,リアルの世界から学ぶべきことを整理し,より効果的なカリキュラムを構築するする必要があろう.

 

「.これからの展望

 技術の進歩は目覚ましく,昨日まで不可能だったことがもう今日は現実のものとなり,明日は陳腐化するといったこともそう珍しいことではない.

 今までの学習の概念が大きく変わろうとしている今,技術に溺れることなく技術の利点を生かしながら,これまで不可能だった学習を現実のものにすることはさほど困難なことではない.これから述べようとしている学習も「そこに手の届く」学習である.

 

1.ANY TIME ANY PLACE

@.不登校児童・生徒対象の遠隔授業

 

 いわゆる「登校拒否児」の増加が社会問題として取り上げられてから既に10数年が経過しようとしている.その間,様々な研究や取り組みがなされて,一定の成果をあげているが,その数は減少するどころか毎年増加の傾向にある.

 文部省が毎年行っている学校基本調査では,1997年度中,全国で30日以上欠席した不登校の小中学生は,前年度比で約1万1000人も増加し,初めて10万人を突破した.統計を取り始めた91年度以降、毎回増えており、特に中学生の増加率が高いといわれている.

 本題からはずれるので,ここではその原因や対処について語ることはしないが,当事者達にとっての悩みを列挙してみよう.

 

・学校へ行かないこと自体への罪悪感

・学習の遅れ

・友人関係(友達がいない・少ない・いなくなる)

・進級進学の問題

・将来への不安(大人になった時の)

・親子関係の軋轢

・親戚や近隣の評価

 

 等々である.現在ではこうした子供の受け皿として有償,無償の機関やサークルができ

,さらに,教育委員会や学校の柔軟な対応から「学校へ行くこと」自体が人生の選択肢ではなくなってきている.また,出席数が満たなくても,いわゆる「卒業資格試験」によって進学の問題がある程度クリアできるようになってからは,不登校児にとっての悩みが少しだけ軽減されたといってよい.

 問題として残るのは親や友人との関係の再構築といったメンタルな部分と,学習そのものの補いの部分であろう.両者が密接に関係していることは言うまでもないが,ここでは本題の学習についてのみ述べたいと思う.

 

 一言に「不登校」といってもその様態は様々であり,状況もまた様々である.数カ月後に登校を再開する子もいれば,そのまま成人してしまう者もいる.しかし,そうした子の多くが「学校へ行きたくないから行かない」のではなく,「学校へ行きたくても行けない」状態に陥っている状態であることが,研究が進むにつれて徐々に分かってきた.できれば,みんなと一緒に勉強したいというのが彼等の本音といってよい.不登校の児童・生徒の増加とともに各地に出来たフリースクールやサポートスクールの状況がそれらを物語っているといってよいだろう.

 インターネットによる学習はこうした子供達にも光明を投げかけるものである.特に直接人間と対面しなくとも済む学習環境が,えてして人間関係の構築が下手な不登校の子供達に受け入れられやすいことは容易に予測できるところである.しかも,メールなどのやり取りを通した適度な人間関係は,こうした子供達の揺れ動く心に負担をかけずに済むであろう.

 不登校児童・生徒との学習には「カウンセラー」の介在が必要である.こうした子供達との学習には単に学習をするだけではなく,学習を通しての人間関係の構築,コミュニケーションの方法の習得を常に意識していく必要があり,ナーバスな心の揺れやチャンスを見のがしてはならないからである.このように普通の精神状態の子供に対するアプローチとは異なる接し方が必要なのである.

 マルチウエイ遠隔学習においては複数の指導者で学習を展開することが基本となっているので,こうしたカウンセラーやスクールアドバイザー,あるいは心理学者をスタッフに組み込むことに何ら違和感はない.

 

 検討を要するのは評価と単位の認定であろう.それが励みになる場合とプレッシャーになる場合の二面性を持つからである.現在のところ「インターネットを利用した遠隔学習」はどの学校・機関でも実験段階にあり,通常の学習カリキュラムには組み込まれていない.しかし,近い将来に学校単位あるいは教育委員会単位で運営されるようになった時,この問題が浮上してくることは間違いないところである.

 

 

A.海外在留子女対象の遠隔学習

 

 自ら留学を希望する生徒を除いて,親の海外赴任に伴う海外在住の日本人小・中学生の数は平成8年5月現在でおおよそ5万人といわれており,これらの子供達を一般に「海外在留子女」と呼ぶ.

 こうした子供を持つ親の最大の悩みは,滞在中の教育と帰国後の学校選びである.一般に小学生段階での帰国では公立小学校に進むケースが多いが,そうした子供も中学になったら私立に進学するというケースが増加する.

 文部省では海外日本人学校の拡充化を進めており,機器や教科書の無償給与を行っており,特に在外教育施設と国内関係教育 機関及び各在外教育施設間の情報交換を円滑に行うため,在外教育施設パソコン 通信ネットワークシステムを実施している.このことによる影響は帰国子女の様変わりに表れており.ひと昔前に見られたような英語は堪能だが日本語の「語彙」の少ない子供が減少している.

 つまり,赴任先が大都市の場合は「日本の学校に通い」「日本人の友達と遊び」「日本のテレビを見て」「日本食を食べる」機会に恵まれるために,以前に比べその国の文化や風俗あるいは言葉を理解する子供が減少していると言われている.とはいえ海外滞在の5万人の子供のなかで,そうした日本人学校に通う子供の数は1万8千人に過ぎず,あとの1万8千人は補習校,残りの1万4千人は現地校に通っている.

 また,前述のとおり中学からの私立学校受験が視野に入っているために,いきおい受験教科である「国語」「算数/数学」にウエイトがおかれ,社会や理科といった応用教科が手薄になっていることも事実である.そのまま海外の高等学校あるいは大学に進学する場合を除き,こうした子供達にインターネットを通じて良質な学習の機会を与えることは,帰国後の学校生活を円滑に行う準備になるのはもちろんのこと,彼等とつながりを持つことで,「国際人としての基礎的な感覚」を身につけた,「外国語に堪能」な児童・生徒の確保にもつながる.

 これからの社会の担い手としての素養を一概に述べることは出来ないが,「外国語の修得」と「コンピュータの操作」は,ごく基本的な事項に組み込まれることは常識となろう.

 

B.問題解決学習型の教材開発と作成

 

 中教審の答申を見るとおり,文部省は従来の暗記型学習から「考える」学習への転換を計ろうとしてる.玉川学園は建学の頃より「自学自律」「自ら考え学ぶ」ということを学習を行う上での柱としてきた.

 玉川学園が長年にわたり蓄積してきた各教科の教材をリニューアルし,上記のような「遠隔学習」に適した新しい教材作りを目指すことは,まさに今,この瞬間に求められていることである.

 学習の展開は今まで述べたことが基本となるが,あらゆる最新の技術を取り入れたものになることはいうまでもない.私達はCHaT Netセンター,アーツネットセンター,小・中・高の現場と連携を計りながら計画を立てていきたいと思う.平成11年度にはまずサンプルとして,社会科の「農業」に関する教材作りをおこなう計画である.

 

本学習の特色を以下にまとめる.

 

  (1)ビジュアルに資料を見ながら,文部省指導要領に準じた「問題解決学習」を行うことができる.

  (2)疑問・質問に対する複数の指導者による学習が可能.

  (3)学習のまとめをWEBにまとめて発表し互いに学びあうことが可能.      

  (4)サイトそのものがデーターベースになっていく.

  (5)資料や自分で調べた資料をまとめ,発表することができる. 

 

 また,将来的にはCD-ROM版の作成を目指したい.これは「ビジュアル教科書」とでもいうものになるが,本稿での説明は省く.

 

2.REAL TIME-ANY PLACE

 

@.ティームティーチングによるリアルタイムのモバイル,フィールド学習

 

 コンピュータを利用する学習が「時」と「場所」(地点)を選ばないことは既にの述べたが,空間を超えることも付け加えたいと思う.

 社会科や理科ではフィールドに出て学習をするという形態がよくとられる.いわゆる社会見学とか野外授業と称するものである.また,最近盛んに行われるようになった「環境学習」では,校外に出て観察や聞き取りの学習をすることがごく普通に行われるようになってきた.こうした時,グループに1台づつモバイルキットを持たせるとしよう.

 現地からは新しい発見や疑問が文章や写真で送られてくる.こうしたレポートをリアルタイムでホームページに載せていくのである.ページ上ではゲンボー先生のようなバーチャル先生による指導や,グループ間の情報交換が行われるだけでなく,その様子を見ている父母にも参加してもらう.父母の中には学習に関する専門家もいるであろうことから,生徒/父母/教師による三位一体のコラボレーション授業の展開が可能となる.

 こうした多様な参加者によるリアルタイムの学習も,コンピュータがあればこその話である.現在,私達はこのような REAL TIME-ANY PLACEの授業実験を計画中であり,技術の進歩にともない動画と音声をリアルタイムにやり取りする授業も視野に入れている.こうしたことにより,教室という限られた空間から学習が飛び出し,地域そのものが教室になるのである. 

 

本学習の特色と学習のイメージ

 

  (1)フィールドがそのまま教室になること.

  (2)複数の指導者による適切な指導ができること.

  (3)父母をはじめとする,参加者誰もが学習に加わることができること.

       学習の概念図

 

」.最後に

 

 はじめて,コンピュータに触れてから10年以上が経過しようとしている.金釘流の私にとってコンピュータはテストやプリント作りの福音ともいうべき機械であった.やがて試行錯誤と失敗を繰り返しながら成績処理のシステムが構築され,事務的な処理が随分と楽になったことを記憶している.こうした使い方からコンピュータが世界中のどことでもコミュニケーションがとれる便利な機械となってからは,あらゆる仕事の可能性が広がったように思う.学習に関して述べるなら,これまでは「組」や「学年」あるいは「学校」という各々の単位が活動の範囲であったが,今や私の中ではその枠が完全に取り払われたといってよい.

 これからの学習では,決められた空間で教科という枠組みの中で行われるだけではなく,同じ学習を学年や学校や教科,あるいは時間や場所を超えて学びあう授業が増加するであろう.そのためには機械やシステムといったインフラの整備はもちろんのこと,各教科での教材開発や,教科を超えた有機的な結びつきを持つ学習教材の開発を行うことも必要である.

 更に,これまでの概念を超えるこうした学習が,効果的に展開されるカリキュラムの再編成も必要となり,やがて評価を始めとする諸規定や日課等の学校運営のシステムにも大きな影響を与えるであろうことは容易に想像のつくことである.

 現在,玉川学園のK-12ではCHaT Netという優れたコミュニケーションのシステムを持っている.やがてはこのシステムを利用した「学習」が頻繁に行われるようになる.そのために微力ではあるが,今後も「よりよい遠隔学習」のあり方を摸索していきたいと私は思っている.

 

 最後に本稿を書くにあたり,様々なサゼッションを与えていただいた澤柳教育研究所長,清水研究員.技術的なアドバイスをいただけたアーツネットセンターの荻野氏,波里氏,小林氏.本稿をまとめるにあたって機会を与えていただいた島川継続学習センター長.児童・生徒の指導でお世話になった小学部・中学部の先生方,そして後ろで支えていただいていた関水前事務長にこの場をお借りしてお礼を申し上げ,本研究の中間報告としたい.

 

注1 平成11年度より「遠隔」の2文字を取り,学習方法の一形態としての「マルチウエイ学習システム」-Multiway Learning System-の呼称を与えている.

 

注2 K君の「鎌倉時代の鹿児島」の学習は本稿執筆終了後に完成し,平成11年3月16日に篭島養護学校,玉川学園教育研究所,それに全国を結び付けてのK君の学習発表とシテ,リアルタイムのコラボレーション学習を行った.この実験についての報告は次回の研究発表で行う予定である.

 

※平成11年度より,玉川学園教育研究所は改組され,玉川学園全人教育研究所となっている.