元寇防塁(福岡市)
文永の役(1274年)の後、鎌倉幕府は御家人・非御家人を問わず、領地をもつ全ての武士に対して「異国警護番役」と「要害石築地役」という二つの役務を武士に課しました。警護番役は兵を出し戦に備えるものです。石築地役は海岸線に石を築いた防塁を造るためにお金を出させることです。(お金でなくても、そこへ行って作るのでもよい)こうして築かれた石塁(防塁)は総延長が20キロメートルを超えると言われています。工事に伴う負担は領地1反(約10アール)につき1寸(3.3センチメートル)と決められていましたが、遠くの武士はそこまで行くのも大変なので、お金だけを払って工事を任せていました。写真は今日博多周辺に残る防塁跡です。
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資料製作・著作 玉川学園研究員・玉川大学講師 多賀譲治
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