|   大型住居と大型柱構造物
       |   縄文時代の集落には時々このような大型の建物が発見されます.
 |   屋根の形は想像ですが多分こうであったと思われます.これは「入母屋」(いりもや)という形です.
      
       |   このような大型の物は珍しいのですが,こうした大きな柱を持つ構造物は日本中で発見されています.
 |   それにしてもこれだけ大型の木を切り出すのは大変な作業ですね.しかも石器で・・
 |   大型柱構造物の遺構です.
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      |   穴の底にはまだ木材が残っています.おそらく栗の木でしょう.
 |   発掘当時のじょうたいで残されている住居の内部.
 |   白っぽく見えているのは住居のあと.縄文時代前期は四角い形の住居が主流です.
 |   土器の捨て場もこのように保存してあります.
       |  倉庫群の復元家屋  
       |  大型住居の入り口  
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      |   チョットくらいですが,中の人の大きさを見てください.
 |   出入り口を中から撮りました.
 |   大型住居内の炉のあとです.ここで火を囲みながら何を話していたのでしょうか?
 |   校倉(あぜくら)という木を組み合わせて作った復元倉庫.正倉院と同じですね・・ただしこれは想像です.
      
       |   屋根の形も正確には分かっていないため,三内丸山遺跡ではいくつかのパターンで復元してあります.これは「切り妻」という形の屋根です.
 |   柱の組み合わせ方は他の遺跡で分かっています.頑丈そうですね.
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      |  住居の入り口.  
       |   この住居は円形の竪穴式ですから,多分縄文中期頃のものでしょう.
 |   住居群の遠景・・4〜5千年前の風景です.
 |   発掘当時の土層を保存してありました.
 |   発掘風景の模型です.広い場所を多くの人が調査しました.
 |   これは「マダイ」の骨・・デッカイなあ!!
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      |   円筒式という東北地方独特の土器です.
 |   これは木か竹を編んだ敷物?
 |   同じ編み方で作られたポーチ?
 |   うるしぬりの技術は縄文時代にほぼ完成していました.これは模型です.
 |   イモや栗の種を植えるための棒です.
 |   こちらは裁縫する時に必要な「針」・・ちゃんと穴があいています.骨や角で作りました.
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      |   これは「キリ」・・何を穴開けたんだろう?
 |   これは「わからない」木製品・・なんでしょう?
       |   石で作った「やり」
 |   昔は「石さじ」と呼ばれていた石器.これは皮をなめすスクレーパーです.
      
       |   石で作った「やじり」三内の人は海で魚や貝を捕り,山ではイノシシや鹿をとっていました.
      
       |   これは「なぞ」の石器??何に使われたのでしょう?
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      |   これも「なぞ」の石器・・
 |   こちらは磨り石.栗やトチの実を粉にする道具です.
 |   底に穴を開けた子どもの「かめ棺」.
 |   配石に使われた石.お墓や住居や,焼き石料理などをするときに石をたくさん使います.
 |   「石棒」はたくさん物がとれますようにというおまじないの道具です.
 |   土偶(どぐう)は女の人をかたどった人形です.これも「豊作」を祈るための物と言われています.
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      |   耳飾り(左)やペンダントです.
 |   土偶には様々な表情があります.
 |   この人の顔・・いいなあ・・
 |   何に使われたのかわからない「石器」.一応青龍刀型石器と呼んでいます.
 |  大型の土器です.  
       |   これは「ヒスイ」製の首飾り.きれいですね・・日本でヒスイがとれるのは新潟県の糸魚川だけです.ということは・・そう,そこから運ばれてきたのです.
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      |   組みひもも発見されました.左はその復元図.
 |   ヒスイは新潟県.黒曜石は北海道と長野県から・・縄文時代にもこれだけ広い範囲で物の移動がありました.それは交易があったことを物語っているのです.
 |   土器の復元や石器の実測図はこうした部屋で行われます.
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