哲学しちゃう?

 

    高校生からの質問

    Aさん:
    「日本人が抽象概念をはっきりとした言葉や形で表現できないものだと考えるのにたいして(座禅とか、言葉、無いでしょ)、欧州では哲学でも宗教でも言葉で規定しようとする傾向がある」こんなことを聞くと今度は東洋の美術との違いにも注目してみたくなってきました。

    Bさん:
    私は、"言葉"にこだわることを考えば西洋哲学的な思考なのかしら?と、思った。私は、基本的に知識欲が低いのだけど、この文を読んで、"哲学"に関する知識は知りたいなぁ。なーんて、ふと思いました。

    よくわかります。「言葉」、特に英語について色々と考えて行くと、そこにはその言葉が育った文化や歴史が関わってきますので、西洋哲学的な思考がよく反映されていると思います。じゃあ、「日本語」ではどうなのかしら?と考えると、日本語には仏教や儒教の影響を受けた東洋哲学的なバックグラウンドがあるんだろうと思います。日本語で「いただきます」と簡単に言うけど、この一言だって、単に食事を作ってくれた人に対する感謝だけでなく、食事を与えた万物の神や命を与えてくれる動物に対しての感謝も含まれているんですよね。(違ったら教えてください。)それを、英語で表現するとなると、とても一言で説明できない。なぜなら、英語では日本語のように全てを含んだような言い方が難しいから。Aさんが言うように、言葉で表わしにくいものでも「言葉で規定しようとする傾向がある 」からでしょう。それは、万物の神を崇める多神教から始まった日本に対して、一神教の影響が強い西洋では「考える感覚」の育った土壌が違うからかもしれません。(でも、ヨーロッパだって中世までは魔物も住んでいると考えられていたし、人間に測りしれないことは自然の神が司っていると考えられていたようです。だから、もともとは多神教だったんですよ。でもその後のキリスト教の影響が大きかったと思います。)

    高校生からの質問

    Bさん:
    けどねー、どうも知識人間にはなりたくないんです。自分のこころの感覚を大切にしていきたいので・・・。ようは、自分が知識に振り回されない器になればイイんですけど。(^^;)

    色々と「考えること」事態が、もう哲学の始まりだと思います。Bさんは知識に振りまわされたりしないと思いますよ。だって、そうやって「考える」ということができるんですもの。Bさんの言う「直感的な心の感覚」、とても大切だと思います。