Guest Speaker

2005年秋学期に開講している「国際理解教育」に、JICAにお勤めをされていた津川先生をお招きしました。津川先生は、2人のお子さんの子育てをしながら、現在は自宅で英語教室を開き、英語を通して子供達に異文化理解のきっかけを提供していらっしゃいます。

当日の内容

国際協力に興味を持つようになったきっかけ

お父様の転勤がきっかけでシンガポールに一時期住んでいました。ある時、シンガポールの歴史記念館で、見知らぬおばぁさんに「日本人帰れ!」と言われ、自分の歴史のことを知らないということを思い知らされました。それは、自分にとって衝撃的な出来事でした。シンガポールでは、中国語もできなかったのでアメリカン・スクールに通っていました。アメリカン・スクールには、卒論のようなプロジェクトがあり、各自がテーマをもって取りくんで行きます。シンガポールにおける日本人などについて興味もありましたが、現地ではあまりにインパクトが強すぎるので、「ハワイに移住した人達」というテーマで勉強しました。「英語で何を語れるか?」と大学進学考えた時、「自分で語れる日本がない。」ということに気づき、日本の大学に行こうと決めました。そして、文科人類学を専攻しました。

 

国際理解/異文化理解についての私見:

「自分と異なる者と、どうつきあっていくか」、その時に大切なのが「開かれた心」であると思います。また、自分を発信できないとつまらない。一般的に「国際人」と使われますが、私が考える「国際人」とは別に英語をしゃべれるとか海外で仕事をしているとかではなく、「ありのままの自分の姿を相手に見せられる人」ではないかと考えています。日韓ワールドカップの受け入れの時、言葉も通じない田舎のおじさんやおばさんが、気取らずにいつものままの調子で温かく受け入れている様子をテレビで見た時、「これだ!」と思いました。

 

JICA/OECD

1989年にJICAに入りました。その頃は色々なことが世の中でも起き、JICAの仕事内容も大きく変化した時でした。冷戦崩壊、金イルソン、毛沢東、昭和天皇が亡くなりました。特に冷戦崩壊の影響は大きかったです。冷戦が崩壊したことにより、それまでは東側、西側で援助対象が決まっていましたが、冷戦後にはそれまで対象外だった旧共産主義国も対象となっていきました。はじめの3年間は研修事業部にいたので、医療分野、環境分野の研修員のアレンジをしていました。今は、援助対象などが地域ごとになっていますが、当時は分野ごとに分けられていました。OECDにあるDAC(Development Assistant Commitee)が出している報告書DAC Chairman's Reportを読むと、主要ドナー(援助国)がどんな援助をしてきたかがわかります。また、援助される途上国リストもあるので、「なぜ、その国に援助がいくのか?」と考えていくと政治的理由、経済的理由なども見えてきます。

JICAでのやりがいは、JICAに男女の差別がないことです。子育てをしながら働いている職員も多く、育児休暇や育児時間を早くから取り入れていました。また、年間7〜8回は海外出張があったので、出張を通して、日本-現地で様々な人と出会えたことです。大変だったことは、とにかく仕事量が多かったことです。縦割りで、色々な省庁が関わっていたため、各省庁どうしのコミュニケーションがうまくとれなかったことです。はじめにお話したように、当時のJICAは分野ごと(医療、農業、建設、etc.)に分かれており、その組織はそのまますっぽりと当時の省庁組織にはまりました。でも、今は地域のスペシャリストをつくるため、地域別・国別に援助方針を作っています。当然、JICAの職員養成も変わってきています。JICAの英語名称は変わりませんが、日本語名称は「日本国際協力事業団」から「日本国際協力機構」に変わっています。

OECDでのやりがいは、色々な国の援助の方法をしることができたことです。国によっては、国益を反映させた援助をする国もあれば、小さなプロジェクトを大切にNGOと協力してきめ細やかな援助をする国もありました。ただ、OECD本部はお城の中にあるのですが、素晴らしいところではありますが(お城が象徴しているように)「卓上の空論」になってしまうようなもどかしさも感じました。

 

帰国子女としての経験

苦労したことは、「日本にいても何かが違う」、「海外に行ってもどこか違和感がある」といったIdentity Crisisでしょうか。はじめのうちは言葉で苦労しますが、言葉のハードルを乗り越えた後も、「どの国もよく知らない」という中途半端な気分やコンプレックスがありました。良かったことは、当時は英語ができると何かと有利だったことです。でも、今や英語ができる人はたくさんいるので、「英語で何を伝えるか」がないと難しいと思います。