付属家屋

玉川学園・玉川大学


見てみよう
この建物の役割は分かっていません.収穫した農産物や農具,あるいは馬具などをしまった「納屋」(なや)かもしれません.また,仏様をまつった「持仏堂」(じぶつどう)かもしれません.もしかしたら引退した元の主人の住んだ隠居屋かもしれません.絵では隠居屋の感じにしてありますね.

鎌倉武士にとって一族が栄える基盤は広い領地を支配し,より多くの年貢を得て豊かになることでした.領地をめぐる争いに勝つことや,度々起こった大きな戦争で手柄をたてるためには強くて優秀な人を家族の長にしなければなりません.そこで,家督相続(かとくそうぞく:家の跡継ぎ)をする人を惣領(そうりょう)と呼び,家族の中でも優れた者を選び,一族をまとめさせました.ですから,ある年齢になると,若くて力のあるものに跡継ぎをさせました.


ところで,鎌倉時代も後になると平和が続き大きな戦がなくなりました.敵の土地を奪ってわけ与えることが武士の社会の基本ですから,各地の武士は子供が増えるにしたがって土地不足に悩みました.そこで,惣領にわけ与える以外にそれ以外の子供(庶子:しょし)にも土地をわけ与えましたが.結果として一つの家の収入が減り借金に苦しむ御家人も出てきたのです.今でも各地に惣領とか庶子の地名が残っているところがあります.東京の近くでは小田急線の新松田に見られますから,ちょっと詳しい地図で調べてみてください.


上浜田遺跡(上の絵の元になった遺跡の納屋かお堂の跡)

ゲンボー先生は柱の構造からすると納屋ではなかったか・・と思うようになりました.でも本当のところは分かりません.


鎌倉武士の館と生活の様子に戻る

注意 目次や項目のフレームが表示されていない人は,ここをクリックしてください.