有賀 雄大 講師ARIGA Yuta
Q & A
- 担当授業は?
- テクノロジーと科学、名著講読、真・善・美の哲学、議論ストラテジー、クリティカルシンキング、現代社会の諸問題、一年次セミナー101・102、キャリアセミナー
研究紹介
研究キーワード:デカルト、中世哲学、知識、真理、神
私の専門は西洋哲学です。なかでも中世および近世の哲学者の思想を題材にして問題を考えています。
哲学を研究すること
哲学研究の魅力は、個性に出会うことだ、と私は思います。「哲学者」と呼ばれる人たちは私にとって、学ぶべき叡智をもった偉人というよりも、人と違うこだわりをもってしまい、それを突き詰めた結果として独自のものの見方を作り上げてしまった人たちです。彼らの書いたものを読み、論理を辿るうちに、私たちは今まで持っていた常識的な考え方を揺るがされ、別の世界観と価値観へと誘われます。それは、これまで自分が住んでいた世界がひっくり返ってしまう恐ろしさと、新しい土地を訪ねるかのような新鮮な喜びとが合わさった、とてもスリリングな体験です。
彼らの刺激的な思想を、生命力をできるだけ保ったまま掘り出すために、テクストを原語で緻密に読み解き、相互の比較によって独自性を炙り出す作業を行なっています。このような仕事は、世間の誰もが満場一致で重要視するような問題の解決に直ちに寄与することにはならないかもしれません。しかし「こんなことが考えられるんだ」「こんなことを考えたっていいんだ」という新鮮な驚きを与えるような思考の自由と多様性を提示することは、やはり大切なことだと思います。
デカルトの哲学
私の第一の研究対象は、ルネ・デカルトという17世紀フランスの哲学者です。この哲学者がこだわったのは、確実な知識とは何か、私たちはそれを得ることができるのか、という問いです。
私たちは「ここに湯呑みがある」「明日は会社で会議がある」「お金を払えば食料が買える」「アメリカには核兵器がある」といった様々なことを信じています。こうして信じているものの集まりが、私たちにとっての現実に他なりません。その現実を大前提として、私たちは何かを願ったり、迷ったり、決断したりしながら人生を送っています。
しかし、私たちが信じている事柄のうち、100パーセント確実だと言い切れるものは一つでもあるでしょうか。デカルトはそれを確かめるために、疑えるものをあえて全て疑い、それでも疑えないものが残るかどうかをみるという、「方法的懐疑」と呼ばれる手法を実践します。たとえば、先ほどの例の中でもっとも確実そうな「ここに湯呑みがある」を取り上げてみましょう。いま自分自身の目で見て確かめているから疑いようもない、と思うでしょうか。しかし、よく考えてみると、湯呑みを眺める夢を見ている可能性があります。夢ならば、本当は湯呑みなどないのに、嘘を信じていたことになります。馬鹿げたことを言っていると思いますか。でも、よくよく考えてみると、夢でないという決定的な証拠はどうやっても一つも見つからないのです。
このようにデカルトは、私たちが当然のこととして信じてきたことがらを一つ一つ覆していきます。それにより、私たちの現実観や人生観もいったん崩されることになります。デカルトはこうした徹底的な破壊から始めて自分を再編成していく、いわばスクラップ・アンド・ビルドを遂行するのです。
キリスト教の哲学の伝統へ
ではデカルトは結局何を確実な拠り所としたのでしょうか。一つは「考える私の心が存在すること」です。これを表現した「我思うゆえに我あり」という言葉は有名で、倫理の教科書などを通して触れたことのある方もおられるかもしれません。もう一つは、驚くべきことに「神」の実在です。私たちは自身の心の存在を確かめ、続いて神が実在することを知る。これらが、どんな学問よりも先に認識するべき第一の真理だとデカルトは言うのです。
なぜ、ここで神が登場するのでしょうか。17世紀のヨーロッパの人はまだ信仰心を持っていたから、と片付けてしまってはいけません。私はここにはもっと普遍的な理由があると思っています。人が、自分が何を信じるべきかを一から決め直すときには、無数の根本的な問題に同時に答えを出さなければならないのではないでしょうか。自分は何者なのか、どうしてこの世に存在するのか、どのように生きて死にたいのか。「神」について考えるということは、こうした根本的な問題について考えることに他なりません。
「何を信じるべきか」という問いと「自分は何者なのか」という問いはどのように絡むのか。これが私のいま関心のある問題です。こうした問題について考えるとき、デカルトが受け継いだ中世の哲学の伝統の重要性が際立ってきます。中世の哲学はキリスト教と深く結びついて発展してきました。哲学者たちは、聖書に示された教えをまずは信仰によって受け入れたうえで、解釈し、理解し、より明晰な言葉で語り直す努力を積み重ねてきました。その中心的な関心の一つが、人生の目的であり、そのような目的から解釈された人間の本質であったと思います。では、そのような問題と「知る」ということとはどう関わるのか。言い換えると、知るということは人生にとってどのような意味があるのか。
こうした関心のもと、中世の哲学者たちの思想の再構成と、デカルトとの比較作業を進めています。
ゼミガイド
古典から「哲学すること」を学ぶ
- 精読の技法
- 哲学すること
テクストを一緒に熟読し、徹底的に議論します。
- 西洋哲学の古典を一言一句に注意を払いながらゆっくりと読み進めていきます。哲学者の思考を正確に再構成するだけでなく、ときに哲学者の考え方に疑義を呈するなど、哲学の問題そのものを議論する実践も行います。また、各ゼミ生はそこで学んだスキルを用いて、自身の考えたい哲学問題を見つけ、論文を執筆していきます。
「自分の思想」を育てる場
哲学者の個性的な思想に触れるだけでなく、それとぶつかり合うことを通してゼミ生一人一人が自身の個性的な思想を育み、また表現できるようになることを目指しています。