心へ木を植える

木を循環する Case 3

創立期の古写真を見ると、キャンパス内は緑豊かであったとは言いがたく、今のようになったのは、創立期から労作の一つとして植林を行っていたことによります。「植林とは山に木を植えるほかに心へ木を植える」と玉川学園創立者・小原國芳は考えました。

植林活動

植林は適地に適切な木を植えることであり、手入れが不十分だと苗木が枯死するなどの問題が生じます。このため、植林は「植えた後は自然に任せる」のではなく、植林後の手入れもまた植林事業において欠かせない要素になります。

「Tamagawa Mokurin Project」は、「木を植え、育てる」ことから始まり、その後「木を管理する」段階を経て、「木を切る」作業に移ります。切り出された木材はキャンパス内で乾燥させ、美術の授業や建材として活用します。
また、木材として利用できない木は炭に加工され、炭素隔離を促進するために森林に撒かれ、健康な樹木の育成に寄与しています。

玉川学園では、植林の際に、その敷地や環境に適した多種多様な樹種が選定され、キャンパス内にはその多様性が反映されています。この一連のプロセスに関わることで、地球環境保全への貢献を想像し、実現する意識が醸成されていきます。

小原國芳が説いた「心へ木を植える」とは、植林が単なる環境保全の行為だけでなく、人々の心にも平和や豊かさを育むことにつながるという信念を表しているのだと、私たちは受け止めています。

以下に、本学が発行している広報誌『全人』1951年(昭和26)4月号に掲載されている井上安治の論文を一部ご紹介します。現代にも受け継がれている植林に対する考え方をご理解いただけますと幸いです。
※適宜、改行を補いました

(全人 1951年(昭和26)4月号 「學校植林コンクールによせて」井上安治より引用)
山林が計量的に治められれば洪水も起こらない、又農作物は豊に稔り食料は次第に豊富になって来て、かの農業国デンマークの様にやがては東洋にも豊かに栄える平和な農業園が生まれることであろう。
元来森林施業案の編成には恒続的に林産物の生産を目的とするのである*から、その土地の状態や林木の状況その他運搬に関する調査を重視して適木を適所に植え付ける事が必要である。然るに多くの場合は土の色も知らず樹種も知らないで唯いたずらに植え付けるのみで、従って植林の際の真実味が足りないのが常である。

これを例えれば我々が家を建てる場合、一応予備的知識を必要とする。

即ち始めに土地を見付け、日当たりを考え、水理関係、道路や交通機関を調査し、しかも予算の範囲内で理想的建物を想像しながら之を設計してから建築にとりかかるのが常である。建てたら最後20年から30年は住居を移動しないのが常識である。

山林においても同様で、植付けた一尺に満たない小さな苗木はやがて成長して収穫期に至るまではそこに止まり根は岩と戦い枝葉は風雪、雑草と戦い営々と宿命的に働き続けなければならないのである。
これが人の場合は休暇を得て観劇に温泉に又すきな所に出かけられるが植物は移動できないのである。従って根付けは極力丁寧に苗木の育成には心から愛撫の手入れをさしのべるべきである。

特に平地林の場合には冬期間落葉の総てはかき集められて、堆肥として他所に持っていかれているものである。この落葉こそ、苗木に封して唯一の肥料分を與え、又適温適湿を保ち、土壌を膨軟にするとともに、水源として必需品なのである。
次に植林後一般的弊害としては今年植付けした林に年月を経るに従ってその手入れの度合いが次第にうすらいで来るものである。
植付け当時、根土の押さえ方の足りなかったものは夏迄には枯死している。又ごみ類を入れて根の発育を阻害したものは秋迄には完全に枯死しているはずである。一応良い条件のもとに成長しはじめた苗であっても一寸の不注意から下草刈の大鎌に刈り取られたものがあったとしたら苗木の成長には完全に終止符が打たれるのである。また、枝打ちや間伐も同じことである。植付け後の手入れの善悪は植林事業の一つである。

*恒続的に林産物の生産を目的とするのである(=恒続林)
恒続林は、ドイツの林学者アルフレート・メーラーが唱えた「森林を一つの生き物と捉え、自然のサイクルに則って林業を営む」という思想です。地域の特性に応じた種類の樹木が、異なる樹齢及び高さの状態で存在し、適時かつ適切な方法による保育及び択伐による継続的な木材生産により環境が維持される森林を指します。メーラーは「最も美しい森林は、最も収穫多き森林でもある」という言葉を残しており、美しい森林は環境と経済が両立できていると考えました。

環境美化の様子
1950年(昭和25)中学部入学記念植樹