鎌倉時代の人もこの峠からこうして富士山を見ていたのでしょうか.(足柄峠)

玉川学園・玉川大学・協同 多賀歴史研究所

鎌倉時代の東海道は現在の国道246号線,JRですと御殿場線沿いのルートでした.険しい箱根をこえるルートは江戸時代になって完成したものです.足柄古道は神奈川県の山北から駿河小山,御殿場を越えて沼津,三島に抜ける東海道の間道(かんどう=脇道)として古くから利用されていました.足柄峠をこえるとそこはもう関東ではありません.当時の人々はこの峠をこえ,この富士山の姿を見ながらどんなことを考えていたのでしょう?

現在の古道は江戸時代に作られた矢倉沢往還(やぐらざわおうかん)と重なる部分もありますが,まだ,平安・鎌倉時代のルートが所々に残っています.初秋の1日この足柄古道を歩いてみました.

 

足柄神社脇の古道.当時の面影が残っています.名将八幡太郎義家の弟,新羅三郎義光もこの道を通ったのでしょうか.

その新羅三郎義光が笙(しょう=ふえ)を吹いたと言われる「吹笙の石」.鎌倉に幕府ができる100年ほど前の話です.

時として道は深い森の中をぬけ・・・鎌倉時代の旅人の息づかいが聞こえてくるようです.

明るい尾根に出ます.この道を何人の人が歩いたのでしょう.足柄峠は東国の出入り口です.幕府はそれまで京都に行くメインルートだった碓氷峠をこえる東山道に加えて東海道を整備しました.足柄道は旧東海道そのものなのです.

古道から見える足柄の町.坂田の金時(金太郎さん)はここで育ちました。

足柄の山々.今はみかんやお茶の産地です.緑の点は「みかん」.

足柄茶の畑です.

「足柄の関所趾」.足柄峠は東国の門です.東国にはいる重要な通過点が足柄峠です.

その横にたたずむ室町時代の宝篋印塔(ほうきょういんとう=供養塔)と(左),お墓.いったい誰を供養してあるのでしょうか?

峠の頂上から望む日本一の富士山.峠でこの山が見えたら東国を出たあかし.この山が見えなくなったら東国に入ったあかしでした.訪れた日は雨上がりの爽やかな晩秋.富士山頂に傘雲がかかろうとしています.昔の人はこの山をどんな気持ちで見ていたのでしょうか?


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制作・著作 玉川大学・玉川学園・多賀歴史研究所 多賀譲治