(平治物語絵巻より)(図版資料/碧水社「復元の日本史」より)

いざ鎌倉
 
玉川学園・玉川大学


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戦闘のとき基本となるのが武士団で,本家を中心に一族と家の子と呼ばれる分家がまとまって戦います.それぞれの内部にはまた親子・兄弟がいて,その下に血のつながりのない家人(けにん)・郎党(ろうとう)などの部下が従っていました.ここまでが戦の際,騎馬にまたがる戦力となります.この絵では真ん中の白いたてがみの馬に乗っている「えぼし」をかぶった人が大将.周りに従う裸足の兵が下人(げにん)・所従(しょじゅう)と呼ばれる家来たちです.
よくみると先頭の下人が敵将の首をぶらさげています.だからこの絵は戦が終わった後なんだね.
鎌倉幕府は将軍と御家人の主従関係(しゅじゅうかんけい)で成り立っていました.将軍は御家人の土地を保障する「本領安堵」(ほんりょうあんど)し,そのかわりに御家人たちは幕府で役人として働いたり,幕府のために戦いました.この戦に出ることを「いざ鎌倉」と呼び,この関係を「御恩(ごおん)と奉公(ほうこう)」といいます.
戦で大切なことは,一番乗りと高い位の敵将の首をとることでした.この時代の武士が常日頃から戦争の訓練するのはこのためなのです.こうした訓練やその心構えのことを「弓馬の道」(きゅうばのみち)と呼んでいました.
だから,良い馬を持つことやきらびやかで目立つ鎧(よろい)が必要だったのです.現代の戦いではできるだけ目立たないように迷彩服を着るのに面白いですね.
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