池田ダム

玉川学園・玉川大学

 

目次

吉野川の水は4県で配分されました 讃岐平野の農業はお米が主体です

香川用水の写真 農業用水は「ため池」に溜められます

 「香川用水」や「ため池」の維持と管理のしくみのページ

HOME「ため池」と讃岐農民のページに行く

必見!平成6年の大干ばつ「人々はどのように干ばつを克服したのか」のページ

「お米の学習」のホームページに戻る

讃岐農民の悲願

昭和49年5月30日,讃岐農民の悲願であった「香川用水」の通水式が行われました.香川用水は徳島県池田から香川県財田(さいた)までの8Kmを導水トンネルによって結び,四国三郎と呼ばれる吉野川の水を讃岐平野にもたらすものです.
一口に8Kmのトンネルといいますが阿讃山脈(あさんさんみゃく)は安山岩という格別かたい岩でできているため,大変な難工事でした.また,川から効率良く取水するために取り入れ口に「池田ダム」を作り,吉野川の水位が安定するように上流に「早明浦ダム」(さめうらダム)を作る必要がありました.このため,「香川用水」は昭和25年(1950年)の「吉野川総合開発計画案」の発表から実に24年の歳月と,総工費3,200億円という莫大な経費(うち香川県負担分1,154億円)をかけて作られたのです.

吉野川の水は4県で配分されました 

香川県には2億4千万7百万トンの取水が認められ,うち農業用水が1億5百万トン都市用水が1億4千2百万トンとわけられています.

 

讃岐平野の農業用水は主に「稲作」に使われています.

 

お米や野菜作りでは年間を通じて同じ量の水を必要としません.そのかわり水を必要とする「かんがい期」にはとても多くの水が必要です.6月から,10月に集中的に多く水を使っているところから「讃岐平野」ではこの時期に大量の水を必要とします.グラフは農業用水の主な利用先が「稲作」であることを表しています.

目次に戻る

「香川用水」の写真

   

阿讃山脈の向こう側(徳島県)吉野川に作られた「池田ダム」(左)と香川用水の水を取り込む「香川用水取水工」(右)

四国三郎と呼ばれる吉野川は日本でも有数の大河です,そこにダムを作り香川用水の水を取り込んでいます.この写真はホームページを作ってから7年後に「どうしても入り口の写真が欲しかった」ゲンボー先生がその場所に行って撮ってきたものです.

 

 

用水の出口は金毘羅トンネル(こんぴら)は歌で有名な「象頭山」(ぞうずさん)をくりぬいて作られました.出口からは冷たく透きとおった吉野川の水がゴウゴウと音を立てて流れ出てきます.この光景こそが数百年間讃岐農民が夢見たものなのです.まさしく讃岐の命の水です.

トンネルの脇にあった説明図です.香川用水から分水された水は,各地区の用水を通じて配水されます.用水は思ったより小さかったのですが,「ため池」に水を入れるための水路なので,この大きさで充分なのだそうです.

 

琴平地区を流れる用水分岐点の水門には鎖がかけてあります.この水門を開けることができるのは 土地改良区の方だけです.農家の方は操作ができないことになっています.一滴の水にこだわる讃岐の「おきて」というわけです.

目次に戻る 

農業用水は「ため池」にためられます

 

農業用水は1万4千余りのすべてのため池に溜められます.田植え前の「代掻き」や「出穂期」(しゅすいき=穂がでるころ)はお米にとって最も水を必要とする時期です.こうした時期にはため池ごとに水を流す日時を決めて,水門を開け田んぼに水をひきます.一定量をこえるととなりの田んぼに水をまわします.こうして次の田,また次の田と水を効率良くまわし.残った水は次のため池が受けます.こうして,他の地域では流されていく水も讃岐平野では一滴も余すことなくため池に貯えられるのです.

送られてきた水はひとまず各々のため池に貯えられます.そうしておいて水を必要とする時期に必要な量を引き出して田に配ります.ため池は貯金箱の働きをしているのです.

香川用水は現代の知恵と技術が作り上げたものですが,ため池のシステムは江戸時代から続いてきたものです.この二つがドッキングして今日の素晴らしい水利用のシステムが出来上がりました.

美しい打越池

目次に戻る

お米のホームページに戻る