実朝の暗殺

         2年アンデス N.O.

頼朝の死後頼家が将軍となりましたが、頼朝が頼家をかわいがり過ぎてしまうため、頼家はわがままな将軍になってしまい、御家人の信頼がなかったので北条氏は頼家に将軍をやめさせ3代目として弟の実朝を将軍としました。頼家の頃から御家人達で決めていこうという合議制になり,そこで中心になったのが北条氏でした。しかし、北条氏に反発する御家人もいました。

北条氏はその御家人らをうち滅ぼしそして、将軍につぐ執権となったのです。北条氏は2代目将軍頼家を殺し、それは実朝のせいだと頼家の子、公暁に言いました。実朝は政治を北条氏に取られてしまったので好きな和歌に取り組み、また朝廷の高い位につきたがりました。そして、27歳で右大臣という高い位につきましたが、鶴岡八幡宮での儀式の帰りに「いちょう」の陰に潜んでいた公暁に殺されました。公暁は叔父の実朝を頼家のかたきだと思い込んでいたのです。後に公暁は自分こそ将軍だといって、三浦義村をたよっりましたが,逆に三浦義村に殺され源氏の将軍は3代で滅んでしまいました。この後も将軍はいましたがそれは京から連れてきた飾りの将軍でした。北条氏は初め将軍に後鳥羽上皇の子がほしいと言っていましたが上皇は将軍と上皇が親戚関係だと内乱が起こると言って断わりました。結局次の将軍には九条の子である三寅(当時三歳)がなりました。

写真 鶴岡八幡宮  写真 大銀杏

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