三上皇の配流

        2年アンデス N.O.

承久の乱の後、後鳥羽上皇、順徳上皇は、配流となりました。土御門上皇は罪にとがめられませんでしたが、土御門上皇は自ら流されました。この後、後高倉院が院政を行いました。後高倉院という人は、弟の後鳥羽上皇が華ばなしかったのに対しこの人は、ほとんど世に現われなかったといわれています。


六波羅探題

承久の乱の後、京都には六波羅探題が置かれました。これは京都を謀反が起きないように監視するものでした。六波羅を本拠地として京都の警固、西国の幕府関係の裁判までしました。六波羅の地位は執権につぐ北条一門の最有力者によって占められることになりました。

ちなみに,六波羅にはかつて平家の屋敷がありました.

 

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