みんなの広場「日本のお友達

玉川学園・玉川大学

ここは日本のお友達との交流の広場です.ゲンボー先生とのやり取りもここで行います.

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ゲンボー先生へ 鹿児島県の山口ゆとり です

このまえ、つくったピラフとてもおいしかったです。 あんなにながいじかんりょうりしたのは、はじめてでした。 その、かんそうをたんにんのせんせいにしゅくだいにしてかいたら、 「たべたくなるなぁ。」 と、かいてありました。ゲンボーせんせいにもたべさせたいです。 たまねぎのしつ問のことですが、教えてくださってありがとうございます。 ちいさいころは、お母さんが夕ごはんをつくっていたときわたしが、 「お母さん、たまねぎ目にしみない。ゆとちゃんはしみないよ。」 と、いったのを、今でもおぼえています。 でも、最近になって、 「うひゃー。目にしみるよー。」 っていって、さいごにはかおをあらいにいっていました。 それで、今、お母さんがメールを見たら、 「あぁ、それはお母さんが、コンタクトをしていたからだよ。」 と、言いました。また、私が、 「コンタクトしててもなの。」 って聞いたら、 「たまねぎが、つよいとしみるんだよ。」 私は、 「ふぅん。」 と、言っただけでした。 さて、料理の話に戻しましょう。 前のメールに書いたと思うけれど、私は、料理をつくるのは、初めてでした。 でも、今ふと気づくとピラフを、それも、ほとんど一人で作るのも、初めてでした。 お店に売ってあるれいとうエビピラフと材料を買って作るのはどっちがむずかしいか ?。」 と、聞かれると、「買ってきて作る方。」と、言う意けんが多いと思う。 でも、もし、 「じゃあ、さっきのやり方にして、楽しいのは、どちら。」 と聞かれると、 「買ってきて作る方だ。」 と、答える人も少なくないでしょう。私もそうです。 だってただ、その冷凍エビピラフを買って、袋に書いてある通りにするだけじゃあ何 だか 自分でこれを作ったんだと思えない。そりゃ、冷凍のピラフは初心者が便利だけど 便利でも、手作りの方が心のこもった物の方がおいしいと思う。 ちょっと作文のように長くなりましたが、料理の話はこれでおわり。まだ、ゲンボー 先生にメールを受信して、まだ4、5回だけど、遠い街の人に、メールのやりとりが できて、 うれしいです。 また、玉川学園のページは、とても、勉強になります。さような ら。

(平成11年2月23日) 

ゲンボー先生 より

何でも自分でやってみると,いろんなことが分るようになります.コンピュータは調べたり,まとめたりするのにはとてもべんりなきかいですが,いくら料理の作り方を知ったり,写真で見て『あ〜おいしそう!!』と思っても,自分で作って食べるのとは大ちがいですね.

ゆとりちゃんが実際に「包丁」をもって「野菜」をきったり「炒めたり」したから,「たまねぎ」が目にしみることや,包丁のもち方も勉強になりました.そして君のお腹や妹さんのお腹に入って栄養になったのです.妹さんが『あ〜おいしい』と言ってくれた時どんな気持ちでしたか?すご〜く嬉しかったでしょ?栄養は君の心にもいきわたりました.

(自分で作る+人に喜んでもらう)=幸せ です.これからもいろいろなことに「ちょうせん」してください.

(平成11年2月24日)


ゲンボー先生へ平井淳といいます

今度、社会科の授業で米の輸入自由化のことで「ディべート」という討論会をすることになり、そのために、輸入自由化のことを調べなければならないので、そのことについて知っていることがあればぜひ教えてください。

(平成11年9月28日)

ゲンボー先生 より

平井君へ。メールを有難う。米の輸入自由化は様々な問題を含んでいて簡単に説明するのは大変に時間がかかります。
ですから、大切なポイントだけをお話しましょう。細かい数字や年号は君が調べてください。

1.日本の歴史は「米不足の歴史」でした。縄文時代に日本に米が入ってから江戸時代はもちろん、明治、大正、昭和の近現代まで、日本人全員が食べられるお米を100%作ることは出来なかったのです。
自給率100%を安定的に達成するのは昭和40年代になってからです。

2.自給率を高める上で大きな役割を果たしていたのが「食糧管理制度」で、それを支える法律を「食糧管理法」といいます。略して「食管法」(しよっかんほう)といいます。この法律自体は戦争中の米不足を補うために1942年に作られましたが、1994年新食管法が成立するまで50年以上にわたって日本の米作りに大きな役割を果たしてきました。
この法律によって、農民が作ったお米は全て政府が買い入れ、販売ルートや値段まですべて国が管理していました。通常、野菜などの農作物は収穫された量によって変わります。とれすぎると安くなり、その反対だと高くなるわけですね。ところが米だけは政府が値段を決めて買ってくれますから、農家にとってこんなありがたいものはないわけです。こうして農家の安定経営にも役立つ法律として、長い間食管法が守られてきたわけです。

3.そういうわけですから北から南まで,お米が作れそうなところでは、どんどん水田が作られていきました。すると、今度は「米余り」という現象が起こりました。全量買い上げが原則ですから、売るあてのない米も政府は買い上げていったのです。1年残った米を「古米」といい2年残ったものを「古古米」といいました。政府の管理する米倉は毎年、古米、古古米。古古古米がたまっていきました。
古くなった米を何とか使おうと、豚のえさにしたり、おせんべいにしたり。それはもう必死に色々考えましたが。それくらいでは焼け石に水です。
ついに、古くてだめになった米は、捨てるはめになったのです。
つまりお米は税金で買ったわけですから。その税金を捨てたのと同じです。こうして政府の赤字はどんどん増えていきました。
このころから、食管法にたいする批判が出始めました。

4.あわてた政府は、お米から他の作物に転換することを奨励しましたが、多くのところでは面倒な事をするより、お米のほうが収入も良いので、うまくいきませんでした。
それで、政府は「減反」(げんたん)といって、水田の面積を強制的に減らすことや他の作物を作ることをそれぞれの地域に命じました。もちろん補償をするという条件の上でです.減反は今も続いています.政府は米価を維持するためにどうしてもこの方法しかない、といっています。平井君はどう思いますか?

5.食管法で稲作が守られているうちに、日本の米は世界一高い米になってしまいました。長い間日本人はお米の値段に鈍感でした。それはどこにいっても同じ値段だったからです・・・ところが海外の事情がわかってくると、消費者が批判し始めました。日本の米は「競争」という資本主義の原則から離れた価格のつけ方をしていたため、国際競争力のない商品になってしまったのです。
そこで政府は「自主流通米」制度といって、味や農民の努力によって多少の値段の変動があってもいいという法律の手直しをしました。それまでは農民が勝手に業者に売ることを「闇取引」(やみとりひき)とか、そうして売買された米を「やみ米」といって厳しく罰していました・・・・「こしひかり」とか「あきたこまち」なんていうブランド米が売られるようになったのは自主流通米の制度ができてからです。(とはいってもそれ以前から、やみ米として公然と売られていましたが)

6.そこに目をつけたのがアメリカです。アメリカはお米の大生産国です。広い土地で大量に作りますから当然安い価格でお米を作っています。日本に対して「安い商品を輸入しないのは、自由な貿易を行うという条約の原則に違反している」と、抗議してきました。他の農産物輸出国もこれにのりました。国内的にも政府のこれまでのやり方に対して批判が高まっていたときですから、日本はお米の輸入を認めることにしました。このときに取り交された覚書(おぼえがき)が、会議の行われた地名を取ってウルグアイラウンドと名づけられたのです。

7.ウルグアイラウンドで日本は、1995年から2000年までの6年間は関税(かんぜい=国内の産業を保護するために、輸入品にかける税金のこと。関税を高くすると輸入品が高くなり、国内の生産者を守ることができます)をかけないで、量を規制することにしました。国内消費量の3%未満です。それ以後のことについては徐々に輸入量を増やすか、関税をかけて輸入されたお米を、日本のお米程度の値段に高くしてしまうかを2000年に決めようということにしました。

8.政府は2000年以後に「関税をかける」ことに決めました。この方法でも年々関税率を下げていき、将来的には国際価格で販売することになります。この間に日本の米作りを近代化して味でも価格でも負けないようにしようということです。

9.こうして君が大人になるときには「お米」の値段は今よりずっと安くなっているはずなのです。先生が子供のころバナナは超高級果物でした。輸入量が制限されて高かったからです。牛肉やオレンジも高いものでした。でも、自由化のおかげでいまでは安く食べられますよね。

でもその代わりに失うものもあります。米作りに非能率的な山間部などは水田は姿を消すといわれています。山間部の農村が消滅するかもしれません。また、水田はダムにも匹敵するほどの貯水量を誇っていて、洪水を未然に防ぐ役割もあったのですが、大雨が降るとこれまで以上に水害が広がる恐れがあります。また今は細かく区切られている水田も、トラクターが入る道を除いて無くなるでしょう。水田の景観が変わるということです。お米を作る人の数は確実に減ります。機械化が進むからです。そうなると農村のお歳よりはどうなるんでしょう?
なにか対策を考える必用があります。最近「棚田」で出来るお米がうまいということで注目されていますが、これも、「おいしい米」としての生き残りのためのひとつの方法です。

10.日本人と米は長い間大きなかかわりを持ってきました。日本の歴史は米の歴史といってもよいくらいなのです。それが今大きく変わろうとしています。ゲンボー先生としてもどうなることやら、とても気にしています。君もそのことを君自身の考えでまとめてください。

ディベートは討論会ですから、いろんな立場に立って考えることが大切なんですよ。頑張ってください。

ゲンボー先生より

(平成11年9月29日)

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