談話会報告

第76回 談話会 (2012年2月29日/グローバルCOE 第44回 若手の会談話会)

乳幼児の日本語音声特徴の獲得過程

麦谷 綾子 氏(NTTコミュニケーション科学基礎研究所・研究員)

本講演ではNTTコミュニケーション科学基礎研究所より麦谷綾子氏をお迎えして、乳幼児の日本語音声特徴の獲得過程についてご講演をいただいた。講演当日はあいにくの大雪となってしまったが、予定時間を大幅に超過するほど活発な議論が展開された会となった。

ヒトの乳幼児が発達の過程においてどのように言語を獲得するのか、という問いは、言語を問わず世界の研究者共通の大きな問題である。現在、第一言語獲得の際の音声システムの獲得過程を明らかにするための知見は蓄積されつつあるが、得られている知見は主に英語を第一言語とする乳児を対象とした検討に基づいたものがほとんどであり、英語圏特有の獲得過程を描いている可能性がある。英語とは音韻や韻律などの音声構造に大きな違いがある日本語における音声システムの獲得過程を明らかにすることで、言語獲得の普遍性と個別性を解明することに関心のある麦谷氏は、日本語音声の生成・知覚発達の両側面から、乳幼児が日本語に応じた音声システムを獲得する過程を明らかにする研究を精力的に進められている。

まず、日本語音声の「生成」に至るまでの過程に関連する話題として、大規模乳幼児音声コーパス解析による言語リズムの獲得についてお話しいただいた。世界で話されている言語は言語リズムの特徴から3種類に大別できるという。子音の連続が多く現れ、相対的に母音の割合が少ないストレスリズムを持つ英語やドイツ語。逆に子音の連続が少なく、母音の割合が相対的に多いモーラリズムを持つ日本語、それらの中間的な特徴を持つ音節(シラブル)リズムをもつフランス語やイタリア語である。麦谷氏は、コーパスに含まれる母親と対象児の会話から、言語リズムを特徴づける子音の持続時間と母音の割合を抽出し、母親の言語リズム体系と児の言語リズム発達過程との比較を行った。その結果、児が25カ月を過ぎる頃から児の言語リズム特徴が母親のリズム特徴にほぼ包含されるパターンを示すことを明らかにした。母親の発声が児の音声システム獲得のリズムテンプレートになっている可能性を示唆する知見である。

こう聞くと母親の発話が音声システム獲得にどのような長期的な影響を与えるのかという興味深い疑問がわいてくるが、実際にこの問題について検討している研究はほとんどなく、母親の発話の長期的な影響についてはまだよく分かっていないとのことだった。今後のデータの蓄積が望まれるところである。ただ、乳児期にみられる音声の聞き取りに関する成熟度の差や男女差は2歳半ころに解消されるという知見があることを考え合わせると、乳幼児は母親の音声システムを最初こそ足がかりにするが、その後はさまざまな人との会話や自らの学習能力によって相補的に言語獲得を進めていくのかもしれないと感じた。

次に、日本語音声の「知覚」発達に関連した話題として、促音・長母音・ピッチアクセントといった日本語特有の音声特徴の知覚構造化過程ならびに学習過程を明らかにする実験的研究についてお話しいただいた。たとえば日本人はrとlの聞き分けができないという有名な話を持ち出すまでもなく、音声処理システムは使われる言語特有の処理体系に調整されている。このような調整がいつ・どのように進むのかについて、日本語を第二言語として学習する人が躓きやすい日本語音声の特徴として、促音(例:/toki/(時) vs /tokki/(突起)の聞き分け)・長母音(例:/toki/(朱鷺) vs /to:ki/(陶器)の聞き分け)・ピッチアクセント(例:/toki/ (朱鷺) vs. /toki/(時)の聞き分け)を題材とした大規模な弁別・単語学習実験についてご紹介いただいた。広範囲の月齢を対象とした網羅的な検討を通じ、音声種によって知覚可能な時期が異なることが示された。中でも興味深かったのは、長母音の弁別実験において、10カ月児が長母音⇒短母音、短母音⇒長母音双方向の弁別が可能であったのに、18カ月児では、長母音⇒短母音の弁別能力は高かったが逆は弁別できていないといった非対称的な結果を示したという点である。このような非対称性は発達に応じて、弁別の方略が音声の物理的特徴にもとづくものから日本語特有の音韻知識にもとづくものに切り替わり、知覚体系が再構造化される段階で起こる一過性の能力の低下だという。複雑な言語を効率よく身につけていくための発達の秘密をのぞき見たような興味深い知見であった。

最後に発達障碍児の療育に向けた取り組みについて少しお話いただいた。まだ先駆的な取り組みであるために詳細に触れることは避けるが、発達障碍児の認知・知覚世界を明らかにすることは、適切な療育に結びつけるために必要不可欠な取り組みであると感じた。

日本語音声システムの獲得の検討を通じて、発達・学習過程の裏にある乳幼児のしなやかで適応的な認知の仕組みを垣間見ることができた。今後の研究の発展がとても楽しみである。

日時 2012年2月29日(水)11:30〜13:30
場所 玉川大学研究管理棟5階507室
報告者 宮﨑 美智子(玉川大学脳科学研究所・グローバルCOE研究員)

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