玉川大学教育博物館 館蔵資料の紹介(デジタルアーカイブ)

教育博物館では、近世・近代の日本教育史関係資料を主体とし、広く芸術資料、民俗資料、考古資料、シュヴァイツァー関係資料、玉川学園史及び創立者小原國芳関係資料などを収蔵しております。3万点以上におよぶ資料の中から、月刊誌「全人」にてご紹介した記事を掲載しています。
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館蔵資料の紹介 1993年

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寺子屋教育(江戸期)

寺子屋教育(江戸期)

(左)寺子供幼遊び
作者不詳
慶応頃の様子を明治期に描いたものと思われる
35.9×48.5cm

(右)子供手習いの図
錦朝楼芳虎(歌川)画
弘化4(1847)年~嘉永5(1852)年頃
34.8×24.4cm

江戸時代には、庶民の間で、日常の商品の生産、売買が盛んになり、読み書きの必要性が生じ、文字の手習いの要望が高まってきました。そのために、手習いを経営する 「寺子屋」が土地の篤志家や知識人、庄屋などによって、自然発生的に全国各地につくられるようになりました。その数が増えたのは、「天保の改革」により、庶民教育に力が注がれてからで、明治初年までに全国の農山漁村に至るまで、ほとんど隈なくつくられました。

寺子屋における教育内容は、一般的には習字と読書が主でしたが、商家の子どもは、この外にそろばんを習いました。女児の場合は、琴、三絃、裁縫、お茶、活花などを家庭の経済や、格式などの事情によって、習うかどうかが選択されました。一日の学習時間はおおよそ午前7時半から2時頃までの 6、7時間でしたが、女児のほとんどは、家事手伝いや琴などの稽古があるといって、午前中で帰りました。

文字の手習いでは、文字の読み書きを覚えるだけでなく、この字句に関する意味や知識を幅広く教わることもできました。

次に掲げる2枚の錦絵はさまざまな学習風景を想像する手掛かりになりましょう。いずれも子どもらしさがよく表されています。

子供手習いの図(図版・江戸期)
師匠が寺子の手をとって筆の持ち方、運び方を指導しており、寺子の用紙は練習で黒々となっています。指導の文字は寺子の進度に合わせて師匠が手本を書くのが普通です。手本に「源平藤橘」(源、平、藤原、橘の各氏)とありますが、これは一般に、初めに習う字です。

寺子供幼遊び(図版)
誇張した絵ですが、これに近い状態で師匠を困らせた寺子も珍しくなかったようです。「こいつらァまことになかがわるくってこまるぞもうけんくゎハよしにしろ」師匠はキセルで寺子の頭を叩(たた)いて止めようとしています。この場面は休み明けの最初の遊び時間でしょう。

No.177 寺子供幼遊び(てらこどもおさなあそび)

「全人」1993年3月号(No.537)より

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