玉川大学教育博物館 館蔵資料の紹介(デジタルアーカイブ)

教育博物館では、近世・近代の日本教育史関係資料を主体とし、広く芸術資料、民俗資料、考古資料、シュヴァイツァー関係資料、玉川学園史及び創立者小原國芳関係資料などを収蔵しております。3万点以上におよぶ資料の中から、月刊誌「全人」にてご紹介した記事を掲載しています。
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館蔵資料の紹介 1999年

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櫓時計

櫓時計

機械部 高26.5×縦9.7×横9.7cm
江戸後期制作


6月10日は「時の記念日」であったが、時の大切さを育成する目的で、天智10(671)年天智(てんじ)天皇がはじめて時を刻む漏刻(ろうこく)(水時計)を設けた日にちなんで大正9(1920)年に制定された。

所蔵の時計は江戸後期につくられた和時計で、漆塗りの櫓型の台に置かれているところから櫓時計(一挺天府目覚付櫓時計)(いっちょうてんぷめざましつきやぐらどけい)と呼び、総高84センチと比較的大型である。

時計(機械部)の最上部は時を告げるために鐘楼に似た鐘が取り付けられている。その下は天秤(一挺)で、当時の時刻が不定時法のため、昼と夜の時間の長さが異なることから、人手によって錘(10グラム)の位置を朝夕の2回かけかえて、時計の運転速度を変える工夫がされている。

櫓台の前面を開くと、時を刻む動力源となる紐でつって上下させる鉄製の錘(1,840グラム)と、鉄および真鍮材を使用した内部構造を見ることができる。

文字盤の時刻表示は指針板回転式で1日を昼と夜にわけ、さらに昼と夜を六刻(こく)に分割して一刻(現在の約2時間)とした。表記は十二支と和数字(九・八・七・六・五・四)の二種で、午(うま)の刻(正刻は現在の正午)とか、六(む)つ(明け)というような単位で時間をよんだ。しかし日本独特の和時計は、明治5(1872)年の改暦で定時法が採用されると急速に廃絶した。

「全人」1999年7月号(No.613)より

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