古代出雲を歩く「荒神谷遺跡」(島根県)

写真をクリックすれば大きい写真を見ることができます.

玉川大学・玉川学園

dsc00001.jpg

出雲は大和とならぶ古代国家のあった国です.

dsc00002.jpg

荒神谷遺跡はあの山の中にあります.

dsc00003.jpg

古くから「たたり」のある場所としておそれられてきた場所も今は歴史公園になりました.

dsc00004.jpg

駐車場から遺跡に向かう道です.

dsc00005.jpg

荒神谷遺跡からは弥生時代の銅鐸6個,銅矛16本.銅剣358本が出土した珍しい遺跡です.

dsc00006.jpg

銅剣や銅矛はまとめられてこの谷の中腹にうめてありました.

dsc00007.jpg

正面が銅剣.右側が銅鐸と銅矛です.これらは別々に発見されました.

dsc00008.jpg

銅鐸と銅矛(どうたく)(どうほこ)

 

dsc00009.jpg

銅剣(どうけん)

 

dsc00010.jpg

整然と並べられた銅鐸と銅矛

dsc00011.jpg

おびただしい数の銅剣

dsc00012.jpg

銅剣や銅矛はこれまで,お墓から発見される例がとても多かったのですが,今回のような例は非常に珍しいとされています.

dsc00014.jpg

荒神谷裏山の道

この道の左側に遺跡はあります

dsc00018.jpg

遺跡を下りたところには田んぼがありました.

dsc00019.jpg

山から湧いた水が流れています.2000年前も同じだったと思います・

dsc00021.jpg

出土した銅鐸の複製品.銅鐸は楽器ですが,権力者の持ち物でした.

dsc00030.jpg

銅矛も実用品と言うより権力者のシンボルだったと思われています.

dsc00022.jpg

銅矛

 

dsc00023.jpg

これも銅矛

 

dsc00024.jpg

銅矛

 

dsc00025.jpg

銅矛

 

dsc00026.jpg

銅矛や銅剣もできた当時はこのようにキンキラキン・・

dsc00027.jpg

銅鐸だってこんなに輝いていました.

dsc00028.jpg

権力者の持ち物だということがわかりますね・・

dsc00029.jpg

銅剣

 

以前から銅鐸は人の住んでいた集落と言うより,人里はなれた谷とか崖に埋められていることが多かったのです.中には粉々に割られた状態で発見されたものもあります.恐らく銅鐸をまつっていた勢力が大和の支配下に移るときに自分たちのシンボルを埋めたからだと思われます.今回発見された荒神谷遺跡では銅鐸のみならず銅剣や銅矛までもが埋められていたことに学者は注目しています.
出雲には昔から「国ゆずり」の伝説があり,出雲王朝が大和王朝の支配下に入ったことを連想させます.詳しいことはこれからの研究にゆだねられますが,島根県・鳥取県からは弥生時代の遺跡が数多く発見されおり,古代出雲の国の発展ぶりがしのばれます.荒神谷遺跡は同じく銅鐸を破棄してあった「加茂岩倉遺跡」とおもに出雲王朝の謎を説くカギとなる遺跡なのです.

銅鐸が大量に発見された「加茂岩倉遺跡」のページに行く. 教材ライブラリー,トップページに戻る

資料製作・著作 多賀譲治

(注意)これらの写真は学校の学習で使う限りは自由に使用できます.本への掲載やWebへの掲載,営業を目的として使用する場合は著作者の許可を必要とします.お問い合わせは・・