インターネット教材「ため池と讃岐農民」

マイタウンマップコンクール「アラブ首長国連邦賞」受賞によせて―

玉川学園月刊誌「全人教育」2000年5月号記事

 

玉川大学・玉川学園全人教育研究所  多 賀 譲 治

・ コンピュータはやってくるが・・

 

学校へのコンピュータ導入は加速度的に増加し,数年先には全ての教室がネットワークでつながる環境が出来るという.したがって,全ての子供達にコンピュータがいきわたる日もそう遠い話しではない.今もホームページを開けば,学校紹介や子供の学習の様子が,目の前の画面に映し出される.

しかし,私はこうした状況にあって一抹の不安を感じている.インフラが整備されつつある今,「学習の中身はなにか」について問われる事があまりにも少ないからである.コンピュータは文章を書いたり絵を描いたりするのに大変便利な機械である.また,今まで本で調べていたことが簡単な操作で画面上から取り出すことも可能である.しかし,それでは本の代用品にすぎないし,まとめのノートや摸造紙の代用品でしかないのである.

コンピュータはコミュニケーションの道具として使われたとき,今まで考えもしなかった学習が展開され効果が期待できるのだが,問題はその中身にある.「やあ,こんにちは.そっちの様子はどうだい?」「桜の花が咲いたけど,あなたの方はどうですか?」といった学習はあまりにも多い.確かに現在は学校教育におけるコンピュータ黎明期であるため,「まずはつなげてみよう.」「発表してみよう.」という状況なのだが,ことの本質はコンピュータを利用することではなく,それによって学習の質をどのように高めるかにある.この部分が良く理解されていないために,既存の学習をネットワークに乗せただけの「・・・・・・・・・・・先進的学習」が大手を振っている.結局はどのような便利な機械が導入されても,学習方法や先生の意識が変わらないうちは,形は変わっても中身は変わらない.見た目が,ちょっと「かっこいい」だけである.

こうしたことから,私はコミュニケーションの道具である利点を生かした,学習方法の確立を目指し「鎌倉時代の勉強をしよう」と「お米の学習」を試作した.今回,受賞した「ため池と讃岐農民」はこのうちの「お米の学習」中の学習資料である.

・平成六年の大干ばつ.

 「平成六年の大干ばつは飯野山の自然木が枯れ出すという,大変な渇水であった.管内七か所の溜池は水を減らし,八月中旬には底をついて失った.飯野地区は浅井戸が多く,池の水が枯渇に近づくにつれ,既設の井戸91か所の上に,新たに34か所の井戸を掘削し,138台のポンプがフル運転された.緊急総代会では異常干ばつへの対応として,1.飯野地区水田170へクタールのうち3分の1を犠牲田として潅水を中止する.2.井戸水は水利組合長の管理下におき個人の潅水は認めない.3.盗水した者は氏名を公表し以後の配水を停止する.等の厳しい掟を定めた. 

これは香川用水土地改良区30年史に書かれた一節である.

瀬戸内式気候という降水量の少ない気象条件下にある香川県にとって,平成六年の水不足は全県をあげての緊急事態であった.高松市では「朝,顔を洗えない」「お風呂に入れない」「トイレはお風呂の残り湯で流す」「洗濯は三〜四日に一度」という,状況が三ヶ月以上にわたって続いた.実に今回の干ばつは,過去最悪といわれた昭和十四年の降水量を更に下回るという,百年に一度の大干ばつであった.

五時間給水という,文化的生活を営む上でぎりぎりの給水で耐えぬいた市民ではあるが,その背後に農民達の血の滲むような努力があったことも忘れてはならない.農家では稲が育つ上で最も水の必要な田植えや出穂期に,農業用の水を上水道に融通している.農民達は稲作を行うために最小限の水で干ばつに立ち向かったのである.

・よみがえった江戸時代のおきて

瀬戸内の中でも,大きな川がない讃岐地方は古代より多くの「ため池」が作られ,現在も一万六千余のため池が農業用水確保のために利用されている.満濃池はその代表格である.

大部分のため池は「野池」あるいは底の浅い形状から「皿池」とも呼ばれ,江戸時代に松平家により米の増産を目的に作られた.とはいってもその殆どは,庄屋層などを中核とした農民の自己資金,あるいは労働奉仕によるもので,ある農民は土地の殆どを提供したために田を失ったと記録に残っている.

こうして作られたため池の水は,厳しい取り決めと管理のもとにおかれ,一滴の水も無駄にしない独特のシステムを作り上げた.「線香水」はその最たるもので,「ゆる抜き」と呼ばれる放水の際には,田に取り込む水の量を,線香の火が燃え尽きる時間で調節した.線香の長さは耕地面積や,ため池への貢献度によって田ごとに異なり,これを「水ブニ」と呼ぶ.「あの家はブニのある家だ」などと,家の格を水の権利量で決めるほどである.

水の管理は「水配」と呼ばれる役員がおこない,盗水やごまかしには村八分などの厳しい罰則が待っている.しかし,このような古くからのしきたりや罰則は,昭和四九年の香川用水完成と共に次第に緩やかになり,現在では殆ど運用されることはなかった.

海に向かって緩やかな傾斜を持つ讃岐平野では,上部に比較的大きなため池が作られ,この池から更にいくつかの池に水が送られる.これらの関係を「親池」「子池」と呼び,親池から放水された水は次々に田に引かれ,残った水が次の池に溜められ,更に次の池にという具合に下流域の田を潤していく.溜め池は言わば貯金箱の役目を果たしているといってよい.香川用水が上流域に作られているのは,親池に水を入れれば,全ての田に水が行き渡るからなのであり,現代の技術と昔ながらのシステムが見事に融合している.現在でも「ため池」の水は一滴たりとも瀬戸内海に流されることはなく,まさに讃岐農民にとって水の一滴は血の一滴といっても過言ではない.

では用水があるのになぜ渇水になるのかといえば,香川用水は徳島県を流れる吉野川の水を四国四県で分配している一部であり,年間の使用量が決められている.平成六年には全県が水不足となり,香川県にだけ多く水を送る状況にはなかった.

そのため,江戸時代に作られた取り決めが一気に蘇ったのである.さすがに線香は使われはしなかったが,時計によって水量が決められ,更に「走り水」「かけ流し」などの灌漑が復活した.

「走り水」とは田の土の上を水が走る程度で給水をとめる方式で,田の一番高いところに立てた旗に水が届いたら給水をとめてしまう.「かけ流し」は「走り水」より更に厳しく,「走り水」で灌漑され,田に溜まった僅かな水を更に次の田に流す方法である.これだと田んぼは「湿った程度」になるだけで「究極の灌漑」と呼ばれている.平成六年はこの「かけ流し」が復活するほどの状況であったが,それでも回りの田を守るために給水を止めてしまう犠牲田も現れた.こうした農民達の壮絶な努力の結果,都市住民の生活が守られたのだが,この事を知る人は意外に少ない.それどころか「溜池には水が余っている」「農業用水を上水道に回わすのは当然」という新聞記事が出る有り様であった.

・インターネット教材のこと

地理の学習は,人間の営みから社会の成り立ちや未来を見つめる学習といってよい.私は,県庁の所在地や,各地の特産物が何であるかということが,地理の学習だと思いこんでいる子供達のためにこの学習資料を作った.子供達の「なぜ?」「どうして?」を,自らの力で解決していくには,的確な指導と質のよい資料がどうしても必要である.今回の資料は「大干ばつ」をテーマにしながらも,水と人との関わりや,水の利用を学ぶ上で格好の教材であった.

インターネットを利用した学習には学校間の壁も地域の壁も無い.立場や年齢,あるいは地域ごとに異なる様々な意見や発見を相互に発表し合い,広まりと深まりのある学習を行うことが可能である.「お米の学習」はそれを目指し指導者も複数で臨んでいる.また,子供たちからの質問も地域を超えて寄せられている.更に農業のことが教科書から消えようとしている今,こうしたことを学ぶ上でインターネットは極めて有効な手段であると私は確信している.

今回,多くの省庁や国が後援するマイタウンマップコンクールで賞をいただいたが,同じく水不足に悩み,独特の水管理のシステムを持つアラブ首長国連邦からの賞であったことに,私は大きな栄誉と喜びを感じている.

今後も更に「良質」の学習教材を作ることと,新しい学習のあり方を目指して精進,努力を積んでいきたいと思う.最後に教材作成にあたってご協力いただいた香川用水土地改良区,中国四国農政局,農家の方々に心より感謝申し上げて稿を終えたい.


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