玉川大学教育博物館 館蔵資料の紹介(デジタルアーカイブ)

教育博物館では、近世・近代の日本教育史関係資料を主体とし、広く芸術資料、民俗資料、考古資料、シュヴァイツァー関係資料、玉川学園史及び創立者小原國芳関係資料などを収蔵しております。3万点以上におよぶ資料の中から、月刊誌「全人」にてご紹介した記事を掲載しています。
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館蔵資料の紹介 1991年

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「亜鈴」と「球竿」

「亜鈴」と「球竿」

「小学生徒体操之図」
木版(彩色)
橋本周延画
明治19(1886)年
35.3×24.0cm

(上)「球竿」
木 明治 長122cm
(下)「亜鈴」
木 明治 長22cm 一対


写真は明治時代に普及した体操器具の「亜鈴(あれい)」と「球竿(きゅうかん)」です。写真の亜鈴は長さ22センチメートルの木製です。わが国には米国から伝えられ、亜鈴(dumbbell)の重みで運動にはずみをつけたり、球と球を合わせて音を出し、その音のリズムに乗って楽しく体換をするというものです。写真の球竿(wamd)は長さl22センチメートルで木製です。両器具の条件として『小学校体操教科書』(明治41・教師用教科書検定済・坪井玄道・可兒徳共著)には「亜鈴を用ゆる主意は其重量に由り筋に抵抗を与ふるにありされど……略……敏捷なる動作を主とするものなるが故に重量鉄亜鈴の如くなるべからず一対の重量は百匁乃至百二十匁(375~450グラム)を度とす……略……球竿は……略……身体の矯正特に脊の湾曲胸廓の歪を矯正することを主とする者なり球竿の長さ児童の指極を以て標準すべく其の直径は約7分(2.1センチメートル)重量120匁(450グラム)以下なるべし」と記してあります。

学制以前のわが国の体育は武道によりましたが、身体の発達を目的とする体操は、西洋音楽と同様、先例がなく、指導者も体操用語もなく、その啓蒙は困難を要しました。明治5年の学制頒布によって初めて、「体術」を教科に定めましたが、徒手運動ばかりで生徒も教師も意欲がもてず、同6年の「改正小学校則」で「体操」とし、『体操書』(明治7・仏国文部省体操職ベルギュ著の訳)がでてやっと、まとまった内容が示されるようになりました。器械体操の部に球竿、棍棒、吊環などが紹介されましたが、不慣れなため、その普及は中央の一部に留まりました。

明治11年に体操伝習所が設立され、米国からリーランド(Leland、G.A.)を招き、体育を科学的に研究、認識を深めることになりました。内容は「普通体操」と称する亜鈴、球竿、木環、棍棒など軽器具を使った「軽体操」でした。同19年小学校令が公布され、体操科は必修科目となり、普通体操が定着してきました。この年、亜鈴・球竿体操が珍しがられ、錦絵に盛んに描かれました(=写真)。

明治24年には富国主義を背景に兵式体操が加わり、同34年頃からは科学的な基礎理論をもったスウェーデン体操が紹介され、普通体操のマンネリ化が問われ、その狭間(はざま)に遊戯研究熱が高まり、問題はあいまいさを残したまま、明治末まで亜鈴、球竿体操と遊戯は主流のス体操に併用された形で行われました。

「全人」1991年11月号(No.521)より

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