玉川大学教育博物館 館蔵資料の紹介(デジタルアーカイブ)

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館蔵資料の紹介 2013年

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手島和庵(てしまわあん)肖像(部分)

手島和庵(てしまわあん)肖像(部分)

作者・制作年不詳 絹本著色  90.1×43.8cm 軸装

手島和庵(1747−1791)は、江戸時代中期の心学者である。和庵が学んだ心学は、陽明学を心学ということから、それと区別するため、石門(せきもん)心学と呼ばれた思想であった。石門とは、創始者である石田梅岩(ばいがん)(1685−1744)の門流という意味である。

梅岩は神道・儒教・仏教にもとづく道徳を基本に、人として踏み行うべき道義を庶民に説いた。江戸時代後期には大流行して全国に広まった。

梅岩の没後、石門心学の中心的存在となったのが、和庵の父堵庵(とあん)(1718−1786)であった。堵庵は心学者を育成するため、京都の自宅に学舎である五楽舎(ごらくしゃ)を設立した。その後門人が増えたため、脩正舎(しゅうせいしゃ)、時習舎(じしゅうしゃ)、明倫舎(めいりんしゃ)を各地に開設した。

和庵は、宝暦12(1762)年に家督を継いだ後、五楽舎や明倫舎の舎主をつとめるとともに、指導者としてしだいに組織化していく心学教化活動を支えた。絵師名は不明であるが、頭のこぶやつき出た前歯など和庵の特徴ある相貌をとらえ、偉ぶることなく庶民と接した彼の性格がよく表われた肖像画である。

「全人」2013年6月号(No.773)より

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