研究室ガイド

玉川大学 入試Navi

徒然なる話-研究編-

Louis Pasteur (1822-1895)

大学は、学生を教育するとともに研究の拠点となるところ、ということである。そこで、よく耳にするが漠然とする「研究」とは、いったいどういうものなのか?徒然なる話を一席。

大前提として、研究や発明は、人間の想像の範囲を超えることはできない。人間が認識して、それを証明しようという努力がないと、何も進まないからである。だから研究には、多くのバックグラウンドの上に成り立つ突拍子もない思いつきが大切になっている。恐らく研究する人たちは、妄想とも思える想像をめぐらせるのが好きで、それを証明することにわくわくし、いろいろな手法を駆使して実験という作業を続けるのだと思う。でも、私が考えつくことは誰かも考えていることであり、競争相手は世界中にいて(宇宙にはいないことを望んでいる)、いつのまにか見えない相手と成果を競うことになってしまう。そんな中、時々学生に「何々の研究をしたい」ではなく、「遺伝子を使って研究をしたい」とか言われるとびっくりしてしまう。え、それって逆じゃないの?

研究を志す人は、特別な人ではないと思う。私が身を置く植物病理学の分野では、「安全な方法で植物の病気を防除して、飢餓で苦しむ人を助けたい。」そんな動機で始める人も多い。続けるために唯一必要だと思うことは、一見関係の無いような事象や現象、考え方についても興味をもつことと言えるのではないかなぁ。それがなんだか急に、論理の展開や研究のきっかけと結びついたりするのである。細菌学者のパスツールが「偶然は、準備のできていない人を助けない。」と言ったらしい。大学教員は、日々研究やら授業やらの「準備」に追われる毎日である。もちろん、研究や授業にも。