シナプス可塑性は、人間や動物における学習・記憶の基礎であると考えられています。シナプス前側の電気刺激によって生じるシナプス可塑性に関する知見は、1970年代から積み重ねられてきました。これらの知見から、後シナプスのスパイン内カルシウムイオン濃度に基づく単純な原則がシナプス可塑性を決定しているのではいか、という仮説が示唆されています。最近、シナプス前側の刺激に加え、シナプス後ニューロンも同時に刺激し、両者のスパイク発生時刻を詳細に制御して、シナプス増強・減弱がシナプス前後のスパイクタイミングの順序に依存する現象が発見されました (Markram et al. 1997; Bi and Poo 1998)。この現象は、STDP (Spike-Timing-Dependent synaptic Plasticity, スパイク時刻依存シナプス可塑性)と呼ばれています。STDPはスパイクの相対的タイミングのみで記述できる単純なシナプス可塑性ルールを示唆しており、これまで観測されてきた様々な状況でのシナプス可塑性の基礎ルールとなるのではないか、と期待されました。しかし、観測されたSTDPのタイミング依存性は、カルシウム濃度則と矛盾することが指摘されています。この問題を解決するため、我々はカルシウム濃度に基づく別の原則を提案し、観測されているSTDPを再現しました (Kurashige and Sakai, 2006)。
シナプス前側のスパイクの後にシナプス後側のスパイクが発生したときシナプスは増強され、シナプス後側のスパイクの後にシナプス前側のスパイクが発生したときシナプスは減弱されます(図B 実線)。両者のスパイク時刻の間隔を長くしていくと、シナプス変化の大きさは単調に減少し、数十ミリ秒程度で0に近づいていくことがわかっています。
STDPと古典的なカルシウム濃度則を再現するシナプス可塑性の原理の提案。
A: 古典的なカルシウム濃度則。高カルシウム濃度ではシナプス増強が起こり(領域P)、閾値θより低いカルシウム濃度ではシナプス減弱が起こり(領域D)、さらに低いカルシウム濃度ではシナプス強度変化は起こらない(領域N)。
B: 実験的に観測されたSTDPのタイミング依存性(Bi and Poo 1998; Zhang etal. 1998; Feldman 2000; Froemke and Dan 2002)を定性的に描いたグラフ(実線)と、古典的なカルシウム濃度則から予測されるタイミング依存性(破線)。
C: 提案した原理に基づくシナプス可塑性モデルが示すSTDPのタイミング依存性。
D: 提案した原理に基づくシナプス可塑性モデルが示すSTDPの初期強度依存性(実線)と、実験的に観測された初期強度依存性(Bi and Poo 1998)を定性的に描いたグラフ(破線)。
STDPは「カルシウム濃度則」によって生じていると考えられてきました。「カルシウム濃度則」とは、シナプススパイン内に多量のカルシウム流入があったときシナプスは増強され(図A 領域P)、少量のカルシウム流入があったとき、シナプスは減弱され(図A 領域D)、さらに少ない場合には何も変化しない(図A 領域N)という原則です。シナプス前側からスパイクが到達し、グルタミン酸が放出された後、シナプス後側に活動電位が生じると、細胞体から逆伝播してきた活動電位がNMDA (N-methyl-D-aspartate) 受容体からの多量のカルシウム流入を引き起こし、シナプス増強が起こる。逆にシナプス後側に活動電位が生じた後、シナプス前側からグルタミン酸が放出されると、そのときには、十分電位が下がった状態にあるため、NMDA受容体から少量のカルシウム流入しか起こらず、シナプス減弱が起こる、と考えられています。
しかし、この解釈は、STDPのタイミング依存性と一部矛盾することが指摘されています。シナプス前側スパイクの後シナプス後側スパイクが起こる順番の場合、スパイク間隔を長くしていくと、グルタミン酸が結合したNMDA受容体の量が減っていくため、カルシウム流入量は単調に0に近づいていくはずです。したがって、必ず、シナプス減弱が起こる領域(図A 領域D)を通過するはずで、STDPのタイミング依存性にシナプス減弱の領域ができるはずです(図B 破線)。しかし、抑制性回路を残した実験 (Nishiyama et al. 2000; Tsukada et al. 2005) 以外では、それに相当するようなシナプス減弱は観測されてはいません(Bi and Poo 1998; Zhang et al. 1998; Feldman 2000; Froemke and Dan2002)。
スパイク時刻依存シナプス増強の大きさがスパイク間隔と共に単調に0に減衰することを考えると、十分長い間隔のときには、カルシウム濃度が可塑性の起こらない低いレベル(図A 領域N)になっているのではなく、閾値θに陥っているのではないでしょうか。十分に長いスパイク間隔のときのカルシウム濃度変動は、シナプス前後のそれぞれ単発のスパイクによって引き起こされるカルシウム変動の線形和に等しくなるでしょう。したがって、もし、シナプス増強と減弱の境目となる閾値θが変動しており、単発のスパイクによって引き起こされるカルシウム変動の線形和と等しいとしたら、辻褄があうことになります。つまり、このような変動閾値θを想定すれば、シナプス前スパイクの後にシナプス後スパイクが発生した場合、カルシウム濃度上昇はNMDA受容体の性質により単発スパイクの場合の線形和を下回ることはなく、決してシナプス減弱は起こらない、ということになります。
我々は(Kurashige and Sakai, in press)、この原理に従ったシナプス可塑性モデルを構築し、このモデルがSTDPのスパイクタイミング依存性を再現することを示しました(図C)。興味深いことに、このモデルは、特に初期シナプス強度依存性を明示的に導入していないにも関わらず、実験で観測されているSTDPの初期シナプス強度依存性を自動的に再現することがわかりました(図D)。