本COEプロジェクトは人間の脳機能の統合的理解と応用を中心課題としたものですが、生物の基本情報処理部門では、小型高性能の脳をもつミツバチを材料として、記憶・学習の基礎メカニズムの解明と、比較生物学的な観点から脳の理解を目指しました。
ミツバチの脳は100万個ほどの神経細胞から構成されています。この数は、1000億以上の神経細胞からなるヒトの脳と比較すると約10万分の1に過ぎません。しかしミツバチの脳は、その神経細胞数からは想像しがたいほど優れた機能を発揮します。ヒトとも基本原理を共有する優れた学習能力をもち、物質の色、形、匂いを記憶し、さらに同一性と非同一性といった抽象概念を抽出することもできます。このような抽象概念の理解は、脊椎動物でも霊長類などのごく一部の高等哺乳類に限られる能力です。また、数万頭の個体からなるコロニーを形成して社会生活を営むミツバチにとって、個体間の緊密かつ正確なコミュニケーションはコロニーの維持に必須であり、ミツバチは様々な情報伝達手段を獲得しています。なかでも特に注目すべきは、好ましい餌場を発見した採餌バチが、その位置を巣仲間に伝達するために踊る8の字ダンス(尻ふりダンスともよぶ)です。8の字ダンスは巣から餌場までの方向と距離を、ダンスの方向と継続時間に抽象化して表すものであり、無脊椎動物では唯一ミツバチだけがこのような抽象言語を有します。
脊椎動物に代表される新口動物と、節足動物などの旧口動物は、先カンブリア紀の初期に分岐したと推定されています。それから数億年の進化を経た現在、脳の発達という視点から見れば、ヒトとミツバチはそれぞれ新口動物と旧口動物の頂点に位置します。
本部門ではミツバチの社会性に関連する脳機能とその発達に着目し、1) ミツバチの行動解析グループと、2) ミツバチの遺伝子解析グループの2つに分け、解析的研究を展開しました。行動解析グループは、記憶・学習など脳の高次機能と、システムのシンプルさの両面を満たす脳研究のモデル生物として、ミツバチが適切であるとの行動面からの証拠を十分に示し、分子レベルでの解析に向けた実験系の開発を概ね達成しました。また、ミツバチ以外の社会性ハチ類の行動解析から、化学物質を介したコミュニケーションに関する興味深い知見を得ました。遺伝子解析グループは、RNA干渉法による遺伝子機能の抑制、エレクトロポレーション法およびウイルスベクターを応用した遺伝子導入法など、ミツバチの遺伝子機能解析手法を開発しました。