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2002〜2006年に開催された生命観研究グループの研究会
生命観研究グループでは、脳科学研究施設「生命観」部門の研究活動と連動しつつ、これまで以下のような方向で、毎回ゲスト講演者を招き、脳科学と哲学とのインタラクションをねらいとする学際的な研究活動を行ない、年2回の研究会を開催してきました。
- 第11回研究会(2002年3月)
村田純一「色彩と空間」
塚田稔「学習と記憶の脳内情報表現」
横山輝雄「20世紀科学哲学の3世代」
- 村田純一(東京大学)の講演では、フッサール、ロッツェ、W・ジェームズ、ギブソンらの理論を検討しつつ、色彩感覚とその空間性との関係が論じられ、色彩の知覚に関する有意義な議論が交わされました。塚田稔(玉川大学)の講演では、最新のデータをもとに、学習と記憶に関する脳内の情報表現について、そのダイナミズムに焦点を当てた大胆な仮説が展開され、それをめぐって活発な質疑応答が交わされました。横山輝雄(南山大学)の講演では、クーンらの新科学哲学を第二世代とする20世紀科学哲学の三世代について批判的な検討が加えられ、20世紀の科学論の変遷とそれぞれの問題点をめぐって有意義な議論が展開されました。以上の講演とディスカッションを通じて、色彩知覚、脳の情報表現、科学観の変遷についての認識がより一層深められました。
- 第12回研究会(2002年9月)
音喜多信博「哲学的人間学の基本構想‐A.ゲーレンをめぐって‐」
土井健司「キリスト教的生命観への一試論」
- 音喜多信博(椙山女学園大学)の講演では、シェーラーの哲学的人間学などと対比しつつ、A・ゲーレンの哲学的人間学の内実と、その意義や問題点についての有意義な議論が展開されました。土井健司(玉川大学)の講演では、「脳死」問題と絡めて、キリスト教の生命観が人格的な「関係性」という視点から論じられ、それをもとに「脳死」や「関係性」の捉え方をめぐって活発な議論が交わされました。いずれも、参加者による有意義な質疑応答と議論とが展開され、人間観と生命観についての認識がより一層深められました。
- 第13回研究会(2003年3月)
茂木健一郎「脳科学のシステム論的転回」
齋藤秀昭「運動残効の認知特性とその神経機構」
横山輝雄「ダーウィン革命とは何であったか」
野家伸也「生命システムとしての意識」
- ゲスト講演者の茂木健一郎(ソニーコンピュータサイエンス研究所)による「脳科学のシステム論的転回」というテーマの講演では、最新の脳科学のデータなどをもとに、主観的な質感を意味する「クオリア」の問題にめぐって興味深い議論が展開されました。齋藤秀昭(玉川大学)の講演では、これまでの実験データなどをもとに運動残効の認知特性とその神経機構についての研究成果が示されました。横山輝雄(南山大学)の講演では、科学史的な観点から「ダーウィン革命」の解釈と意義づけをめぐる包括的な論議が展開され、その妥当性をめぐって活発な質疑応答と議論とが交わされました。野家伸也(東北工業大学)の講演では、「生命システムとしての意識」と題して、現象学とシステム論の統合という視点から、「意識」をオートポイエーシス・システムとして捉える斬新な議論が展開されました。いずれも、それぞれの研究発表をもとに、参加者全員による活発な質疑応答と白熱した議論とが繰り広げられ、脳科学と生命観をめぐる有意義な学際的研究交流がなされました。
- 第14回研究会(2003年10月)
門脇俊介「認知と感情‐ハイデガー的アプローチ」
松丸啓子「ヤスパースの『精神病理学総論』における<了解できないもの>」
- ゲスト講演者の門脇俊介(東京大学・総合文化研究科)の講演では、「ハイデガーと認知科学」というテーマでハイデガーの「世界―内―存在」と認知科学の関係についての考察が展開され、それにもとづいて「認知」や「感情」の問題にかかわる質疑応答と活発なディスカッションが展開されました。松丸啓子(高千穂大学)の講演では、ヤスパースの『精神病理学総論』における〈了解できないもの〉についての考察が展開され、それに引き続いて「説明」と「了解」、「精神分析」批判などをめぐる活発な議論が展開されました。
- 第15回研究会(2004年3月)
竹田純郎「ディルタイの生の概念の現代性」
金森修「場所の心」
信原幸弘「相互作用主義的認知観と表象の行方」
- 竹田純郎(金城学院大学)の講演では、ディルタイの思想の変遷を辿りつつ、彼が「生」の概念をどのように主題化したのかについての考察がなされ、その現代的意義が明らかにされました。その際に、「説明」と「理解」の相違、「生の作用連関」、「文化の体系」、「媒体としての身体」などが論じられました。ゲスト講演者の金森修(東京大学教育学部)の講演では、、西洋型の主観―客観図式を超えた、システムの内と外を廃棄する見方を、日本の「霧心」というあり方を参照しつつ、「場所の心」として考察が展開されました。その際に、ニュートンの均質で無限の空間という空間論とは質的に異なる空間・場所についての考察がなされ、西行の「あはれ」を醸し出す風景などを取り上げつつ、意味や情感は心の外に存在しているという見方や、たえず漏れ出し漂う心というユニークな見方が展開されました。信原幸弘(東京大学)の講演では、心を表象の認知過程と見る従来の表象主義的な認知観(古典的計算主義・コネクショニズム)に対して、認知主体と外界との相互作用にもとづく反表象主義的な認知観が対置され、知覚を表象と見なせるかどうかの考察がなされました。それぞれの研究発表をもとに、活発な質疑応答と議論とが繰り広げられ、有意義な学際的研究交流が展開されました。
- 第16回研究会(2004年10月)
佐々木正己「1万個の脳がネットワークをつくる超個体システム‐ミツバチの場合」
勝村弘也「古代イスラエルにおける生命観」
音喜多信博「後期シェーラーの知覚論と形而上学」
- 佐々木正己(玉川大学)の講演では、1万匹のミツバチが連携プレーを行い、スズメバチを熱で焼き殺すという実験をもとに、ミツバチの1万個の脳がネットワークをつくり、超個体として働くシステムが解明されました。ゲスト講演者の勝村弘也(神戸松蔭女子大)の講演では、旧約聖書の知恵文学にみる古代イスラエルにおける生命観についての紹介がなされ、とくに旧約聖書の生命観が神への応答性・対話性にもとづくことが明らかにされました。音喜多信博((椙山女学園大学)の講演では、マックス・シェーラーの後期哲学をもとに、自然科学における形式的―機械論的自然観を批判しつつ、シェーラーの衝動的―運動型の知覚論と衝動の形而上学についての考察が展開されました。それぞれの研究発表をもとに、活発な質疑応答と議論とが繰り広げられ、有意義な学際的研究交流が展開されました。
- 第17回研究会(2005年3月)
村田純一「色彩の多次元性」
斉藤秀昭「私の研究遍歴」
直江清隆「<しかるべく>なされる行為について」
- 村田純一(東京大学)の講演では、生態学的現象学の視点から色彩と色覚についての哲学的考察が展開されました。色相、明度、彩度という色彩の多次元性に加えて、色彩の情動的性格と空間的性格とが指摘され、色彩と色覚が多様性と多次元性をもつことが強調されました。斉藤秀昭(玉川大学)の講演では、脳科学の見地からする視覚認知についてのこれまでの研究の歩みが紹介され、その総括的な意義づけがなされました。ゲスト講演者の直江清隆(山形大学教育学部)の講演では、一定の企図・目的をもった通常の行為に対して、明確に意図されたのではないが、状況に〈しかるべく〉即応した行為がいかなる構造にもとづいているかについて、現象学の視点から考察が展開されました。それぞれの研究発表をもとに、活発な質疑応答と議論とが繰り広げられ、有意義な学際的研究交流が展開されました。
- 第18回研究会(2005年10月)
坂上雅道「脳と思考‐新しい情報を創り出す」
丹治順 「運動と行動の制御に関わる脳の機能」
野家伸也「現象学と芸術理論」
- 坂上雅道(玉川大学)の講演では、前頭前野・前頭連合野などの研究にもとづいて、感覚情報を運動情報に変換するメカニズムが紹介され、新しい情報を創り出すメカニズムへの示唆がなされました。丹治順(玉川大学)の講演では、大脳基底核などのメカニズムをもとに、運動と行動の制御に関する脳の機能についての考察がなされました。野家伸也(東北工業大学)の講演では、現象学の視点からの芸術理論が展開され、日常的態度に亀裂を入れ、「もの」そのものが際立ってくるような「世界との出会い」が芸術においてなされることが現象学的に考察されました。それぞれの研究発表をもとに、活発な質疑応答と議論とが繰り広げられ、有意義な学際的研究交流が展開されました。