生物は、その生存のために、刻々と変化する外部環境において適切な行動の選択を絶えず迫られています。絶えず変化する外部環境に適応していくためには、過去に経験した事象から得た知識のみから行動を固定的に選択するのではなく、それを組み合わせたより柔軟な行動決定によって新奇事態に対応していかなければなりません。推論(inference)は、こうした柔軟な行動決定にとって必要な高次機能です。推論機能の重要性はこれまでにも認識されているものの、その神経科学的基盤は未だに明らかになっていません。ここでは、特に前頭前野(prefrontal cortex)に注目し、推論の神経科学的基盤に関する実験的検討を行いました。
我々のグループによる過去の研究から、前頭前野の機能に関しては以下のようなことが明らかになっています。
こうした知見は、他のニューロン活動実験や臨床報告、イメージング研究と考え合わせると、推論やそれに基づく行動決定といった高次認知機能に前頭前野が重要な役割を果たしていることを強く示唆します(Sakagami et al. 2006)。ここでは、Pearceが示唆するように(Pearce, 1987)、推論を過去の経験によって形成された事象(刺激、反応、報酬)間の連合のさらなる統合によるものと捉え、次のような実験を行いました。
図3-1 教示ブロックと非対称報酬のスキーマ
今回の研究では、連合をさらに連合させる推論課題をサル用に開発し、サルの推論能力を実験心理学的に示すと同時に、前頭前野のニューロンネットワークにおける「連合の連合」を可能にするメカニズムを、単一ニューロン記録法を用いて検討しました。実験では、複数の視覚刺激を2つのグループにわけ、一方のグループは大きな報酬と関連し、もう一方のグループは小さな報酬と関連することをサルに教えました(報酬の大小とグループは固定的な関係ではなく、その関係は頻繁に逆転する)(図3-1)。報酬とグループの関係はグループを代表する刺激1つを使って教示されますが、行動実験では教示に使用されなかった刺激がグループを介して報酬の意味を獲得しているかが調べられました。具体的には、サルは「AならばB」(A1→B1またはA2→B2)、「BならばC」(B1→C1またはB2→C2)という遅延見本あわせ課題を用いた条件性弁別を学習し、後にCと報酬との関係を別試行において学習しました。
図3-2 R type ニューロンの応答パターンとヒストグラム
その結果、サルはこうした複数の連合を統合することで、直接には経験していないAと報酬との関係を“推論”し、報酬予期反応を示すことが行動学的に示されました。前頭前野外側部からの単一ニューロン記録では、(1)刺激に依存せず、報酬の到来・非到来の予期に対応した発火活動を示すニューロン(R type、図3-2)、(2)刺激と報酬の予期の組み合わせに対応した発火活動を示すニューロン(SR type)が見出されました。また、このときのSR typeニューロンの刺激にたいする弁別的応答は、刺激の物理的特性ではなく、刺激のグループ(グループ1またはグループ2)をコードしたものであることがわかりました。すなわち、前頭前野は、等価な関係にある刺激のグループ(機能的カテゴリー)を表象するコードを作り出し、個々のメンバーではなくカテゴリー表象に意味(この場合は報酬の大小)を連合させる神経回路を持つことが示唆されました。これにより、個々の刺激とグループの関係の情報とグループの持つ意味の情報を組み合わせることにより、直接の経験がなくても刺激の持つ意味を推論することが可能になります。上述の実験では、訓練に使われた刺激と同じものを刺激として使用し、報酬の有無だけが実験ブロックごとに変化するものでした。このような報酬予測は、新たな刺激を使っても可能かどうか調べるために新奇刺激を使った実験も行いました。もともとA、B、Cの刺激は、グループ1(A1、B1、C1)とグループ2(A2、B2、C2)にわけられており、グループ内の刺激はお互いに関連づけられています(これは、すでに訓練・実験を通して行われている)。ここで、たとえば、新奇刺激をグループ1のあらたなメンバーとして加える訓練を施した後、グループ1の他のメンバーによって獲得された意味(たとえば報酬有)が、報酬との関連の訓練なしに新たなメンバーに敷衍できるかどうかを調べました。新奇刺激を使った行動実験で、1頭のサルは直接の経験なしでも正しく報酬予測を行うことができることが示されました。さらに、新奇刺激を使った報酬予測課題遂行中のサル前頭前野ニューロンの記録も行いました。既知の刺激を使った実験で同定されたR type、SR typeニューロンは、新奇刺激を使った場合でも、同様の応答パターンを見せました。このような応答は、新奇刺激が始めて報酬予測に使われた第一試行目から見られました。このことは、新奇な刺激を用いても、サルはこのような推論が可能であり、そのときに前記の神経回路が既知の刺激のときと同様に働いていることを示すものと考えられます。このことは、機能的カテゴリーを形成するための神経回路が、推論による新しい情報の創成にも重要な役割を果たしていることを示唆します。