
“ことば”と”ものの見方”の関係が、赤ちゃんや小さなお子さんを対象とした研究によって、少しずつ明らかにされようとしています。
私たち大人は普段から、ことばを使って周囲の世界について考えを巡らせています。「芸術」、「政治」、「国際関係」……。大人の世界には、指し示すことばがなかったら考えることすら難しい概念があふれています。
しかし、もっと具体的なことばでも、私たちの”ものの見方”に影響していることがあります。例えば、下の三つの写真を見てください。写っている人は、それぞれ何をしているところだと思いますか。
どの写真も同じ人が同じように歩いているところを写したものですが、背景と歩いている人の位置関係に注目すると、aとbは「人が道路/線路をわたる」、cは「人がテニスコートをとおる」と言い表すこともできます。逆に、「線路をとおる」とか、「運動場をわたる」と言うのは、これらの写真に対してはあまり適切でない気がするのではないでしょうか。ところが、英語を母語とする人がこれらの写真を見ると、「cross」という一つの動詞だけで三つとも表してしまうのです。日本語ではa、bとcは違う動詞で表現するのだと説明しても、何を基準に区別しているのか、すぐには納得してもらえないかもしれません。
実は日本語では、「わたる」は人や物が道路などの平らで境界線のはっきりとした障害物を横切る時に、「とおる」はそのような障害物のない所を移動していく時に使われます。日本語を母語とする人は、そんな条件を意識しなくても、移動している人・物が平らな障害物を横切っているかどうかに自然と注目し、「わたっている」のか「とおっている」のかを区別してしまいます。一方、英語を母語とする人は「cross」という動詞を使えば済むので、同じ写真を見ても平らな障害物の有無にはあまり注目しません。もちろん、これとは逆に英語では注目されるのに日本語では注目されない情報もたくさんあります。私たち大人は、普段使っていることばによって、同じ世界をそれぞれ少し違った着眼点から理解しているのです。
では、ことばをまだ話せない赤ちゃんは、目に映る世界のどんな所に注目しているのでしょうか。ことばに影響される前は、あらゆる細かい特徴に同じように気が付いているのでしょうか。それとも、ことばを使って世界を切り分けられるようになるまでは、細かい特徴には気が付かないのでしょうか。
これを明らかにするため、英語だけで育ったアメリカ人の赤ちゃん(11ヶ月・14ヶ月)を対象に、次のような調査を行いました。
1.まず、人がどこかを歩いている動画(例えばaの道路をわたる)を1つ、赤ちゃんに繰り返し見せます。
2.赤ちゃんが飽きてきたところで、画面を左右二つに分け、どちらかの画面にはそれまでと同じ動画を、もう片方には同じ人が違う場所を歩いている動画(例えばbの線路をわたるやcのテニスコートをとおる)を映して、赤ちゃんがどちらの画面をよりよく見るかを調べます。
この調査のポイントは、ステップ1とステップ2での動画の組み合わせ方です。ステップ1で見慣れた動画が、日本語では「わたる」と表現されるもの(例えばa)なら、ステップ2で見せる新しい方の動画には、場所は違うが日本語では同じ動詞「わたる」で表現されるもの(例えばb)を使う時(条件@)と、違う動詞「とおる」で表現されるもの(例えばc)を使う時(条件A)とを設けます。条件@と条件Aでの赤ちゃんの反応を比べるのです。
赤ちゃんは、新しいものに気付くと、その方向により強く注意をひかれます。もし赤ちゃんが動画の背景の違いに気付いているなら、どちらの条件でも新しい動画の方を見慣れた動画よりもよく見るはずです。逆に、背景を区別していない場合はどちらの動画も同じくらいの確率(偶然で説明できる範囲内)でしか見ないはずです。また、もし日本語を話す大人と同じように「わたる」ことと「とおる」ことだけを区別しているのなら、条件Aでのみ新しい動画をよく見ることが予想されます。
調査の結果、11ヶ月の赤ちゃんは、どちらの条件でも背景が変わったことに気付いていない様子でした。この時期の赤ちゃんは、背景よりも動いている人に注目してしまうことが、他の実験から明らかになっています。一方、14ヶ月の赤ちゃんはなんと、条件@では背景が変わっても気が付きませんでしたが、条件Aでは背景が変わった方の動画を偶然で説明できるよりもよく見ていました(グラフ1参照)。「わたる」と「とおる」を区別しないことばである英語だけで育ち、日本語を全く知らない赤ちゃんでも、日本語を話す人が注目するのと同じ特徴(平らな障害物を横切っているかどうか)に注目していることが覗えます。
それでは、ことばを話し始めた後の赤ちゃんは、ことばを話す前と同じように、自分のことばでは重視されない特徴に注意を向け続けるのでしょうか。
英語だけで育った19ヶ月のお子さん(アメリカ人)と、同じく19ヶ月で日本語だけで育ったお子さん(日本人)を対象に同じ実験を行ったところ、日本人のお子さんは条件2で新しい動画に注目し続けたのに対し、アメリカ人のお子さんは、条件@、Aともに、再び背景の変化に注目しなくなりました(グラフ2参照)。
赤ちゃんは14ヶ月に達する頃には、何語で育てられているかに関係なく、歩いている人が平らな障害物を横切っているかどうか、などの微妙な特徴にも気付くことができていると考えられます。ただし興味深いことに、どうやらこの頃の赤ちゃんは、どんな微妙な特徴にも同じように気付くのではなく、世界のどこかのことば(例えば日本語)では区別されているような、”人間にとって比較的気が付きやすい特徴”にまず注目しているようです。その普遍的な能力をベースとしながらも、自分のことばに必要な区別はさらによくでき、それ以外の区別はあまりしなくなる、という合に、ことばの発達に合わせて世界の見方を微調整していく赤ちゃんの様子が、今回の実験結果から垣間見えます。