認知・言語発達研究プロジェクト(岡田浩之)は、語意推論、特に【4】名詞学習と【5】動詞学習に焦点を当てて研究を行ってきました。語意推論とは、子どもが母語を学ぶとき、単語の意味を自分ですばやく推論し、さらにその語を別の新しい状況で使うことができることをさしますが、子どもはどのように、何を手がかりにして語の意味を推論しているのか、という問題に当プロジェクトは取り組んできました。
【4】英語では固有名詞と普通名詞は形態的に区別されますが、日本語では固有名詞と普通名詞を文法的に区別しません。ある名詞が普通名詞なのか固有名詞なのかを判断できることはことばの学習に大きな意味があります。従来研究では、日本人の子どもは2歳後半までに、名詞には普通名詞と固有名詞があり、人工物には固有の名前はつかないが動物には固有の名前がつくことを知っており、それらの知識を使って基礎レベル名、基礎レベル以外のカテゴリー名、固有名を柔軟に学習できることを明らかにしてきました。この結果からさらに踏み込み本プロジェクトでは、2歳以前の幼児が名詞には固有名詞と普通名詞があることがわかっているか、新奇な事物、あるいはなじみのある事物(動物)に新奇な名詞が付与されたらそれを普通名詞とみなすかあるいは固有名詞とみなすのか、ということを追究してきました。本プロジェクトにおいてレキシコンの学習において最も重要なのは柔軟かつ自発的な推論であることを数多くの心理行動実験により示し、どのような状況でどのように推論が制御されるのかという問題にまで踏み込んで、幼児が2歳時からすでに、語意推論の制約となるバイアスを持つのみならず、話者の指差しや目線などの社会的手がかりや概念に関する知識でバイアスの適用を制御し、さらに複数のバイアスを組み合わせることによって、さまざまな状況に応じて柔軟に最適な解にいたることができることを示しました。
図1 乳児における名詞推論メカニズムの調査
また、語意推論研究は言語学習におけるバイアスの役割、普遍性とその起源に関する研究に発展しています。具体的には言語学習前後の乳児を対象に語意学習バイアスの基盤となる認知・推論能力を同定するとともに、その能力からどのように語意学習バイアスが形成されるか、また語意学習バイアス自身がどのようにブートストラップしていうかという言語発達の軌跡を明らかにしつつあります。
語とそれに結びつけられた対象との間に双方向的な関係(「事物をさして語を言う(事物→語)」と「語をきいて対象たる事物を探す(語→事物)」)があることを推量することは、語意獲得のもっとも基本的な前提のひとつですが、この推論の双方向性(「対称性」と呼ぶ)はヒト以外の動物では訓練なしには創発はしないことが報告されています。ヒトの場合には、双方向性の推論能力が言語獲得前から備わっているものなのか、それとも語のレキシコンを構築することの結果として次第に確立されていくものなのかという点が問われますが、この根本的な問題に関する研究は世界的にもまだ着手されていません。そこで、語意獲得初期の月齢10ヶ月から語意爆発の起こる20ヶ月までの乳児を対象に、言語ラベル−対象間の双方向性の推論能力がどの程度の月齢から発達してくるのか、双方向性の推論は言語領域にのみ限定的に行われるのか、という問題について行動実験の手法により検討しました。この行動的データを踏まえ、対称性をIterative Inversion法を適用したコネクショニストモデルで実現するためのアルゴリズムの考案とプロトタイプモデルの計算機上への実装を行いました。
図2は対称性のモデルの基本構成です。学習フェーズ(A→B)では誤差逆伝播学習法により階層型ニューラルネットワークが学習を行います。一方、対称性推論フェーズ(B→A)ではIterative Inversion法により一意に決まらない不良設定問題を解決します。Iterative Inversion 法は多層ニューラルネットワークに系の逆モデルではなく、系の順モデルを学習によって獲得させておき、この多層ニューラルネットワークに誤差逆伝搬などの最急降下法に基づく反復アルゴリズムを適用することによって、不良設定の逆問題を解く手法です。
図2 対称性推論のモデル
図3 アクションイベント中の意味構造理解の調査
【5】動詞学習では、アクションイベントに含まれる主体、行為の様態、行為の方向や軌跡、背景などの要素のうちのどれを動詞の意味に取り込むかは言語によって異なるという問題があります。例えば英語は行為の様態の情報を取り込んだ動詞が数多く存在する一方、日本語やスペイン語ではこのパターンはあまりみられません。このような性質を持った動詞の意味推論を、子どもはどのように行なっているのでしょうか。そこで我々は、子どもは動詞語意にとって変数であるモノを当初から切り離して学習することができるのか否か、また動詞語意の学習にモノの性質はどのような役割を果たすのか、行動実験により検証してきました。これまで3-5歳児が(a)名詞はアクションに独立で、同じモノが異なるアクションで用いられていても同じ名詞が適用される、(B)動詞にとってモノは変数であり、モノが変っても同じアクションに同じ動詞が適用される、という名詞、動詞に関する二つの原則を理解しているのかを調べ、幼児は3歳になるまでには少なくとも、動詞は行為を指示し、名詞は事物を指示すること、動詞も名詞と同様、直接ラベル付けられた事例以外の他の事例に般用できることなどを理解していますが、動詞の学習(語意推論)は名詞の学習よりも困難で、特に年少の子供は動詞の意味と変数となる項を分離することが難しいとの知見を得ました。同時に中国、アメリカでもデータをとり、日本語、英語、中国語児の比較を行った結果、3歳でも(a)は理解できますが、(B)については理解が遅れることが明らかになりました。また、母語で動詞が必ず項(名詞)を伴って発話されるのか、あるいは頻繁に省略されるのかというインプットの性質や、モノの類似性、なじみ度などが動詞の学習の容易さに影響を与えることがわかってきています。