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    更新日 2026年6月1日

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花菖蒲図鑑

TOP > 花菖蒲図鑑 > 霧ヶ峰自生ノハナショウブおよび日光自生ノハナショウブ(母体株)

霧ヶ峰自生ノハナショウブおよび日光自生ノハナショウブ(母体株)
(更新日:2026年6月1日)

― 江戸系花菖蒲の成立を遺伝学的に裏づける原資料 ―

Iris ensata var. spontanea Nakai(1988-1992年採取株) ※自生地保護のため、具体的な採集地点は非公開です。

はじめに

本ページでは、江戸系花菖蒲および『菖翁花』の成立に直接関わったと考えられる、 霧ヶ峰自生ノハナショウブ と 日光自生ノハナショウブ の形質を、学術的に整理して紹介します。

1980年代後半から 1990年代初頭にかけて、信州・霧ヶ峰高原および日光地域の湿地に自生していたノハナショウブを、当局の許可のもとで採取し、地域ごとに分けて長期保存してきました。これらの株は、採取当時の自然集団をそのまま保持した、現在では再入手が不可能な原資料です。

これらの保存株から、毎年開花期に花を採取して形態調査を行い、同時に遺伝的解析のためのサンプルも採取してきました。採取当時の自然集団は現在ほぼ消失しており、同一個体を数十年にわたり継続して調査できる条件は、現在ではほとんど得られません。また、母集団そのものが失われたため、集団遺伝学的解析に必要な個体数を新たに確保することは不可能です。少数個体のみの分析では集団の遺伝構造を再現することはできず、この点でも本学の研究は現在では追試がほぼ不可能な、きわめて希少な研究体系となっています。

なお、「江戸系花菖蒲」という呼称は後世の分類用語であり、江戸時代には用いられていません。当時、ハナショウブは江戸で育成された園芸植物として広く認識されており、わざわざ“江戸系”と区別する必要はありませんでした。一方、肥後花菖蒲や伊勢花菖蒲は門外不出の地域栽培で、全国的に知られるようになったのは戦後以降のことです。

分子生物学的解析による裏づけ

近年の分子生物学的解析(cpDNA・SSR・EST・MIG-seq)は、本学が長年にわたり収集・保存してきた原資料を基盤とし、複数の大学・研究機関との共同研究として継続的に進めてきたものです。これらの解析により、江戸時代後期に菖翁(松平左金吾)が用いた母体集団が、これらの自生集団であったことが遺伝的に明確に示されました。

(上段:霧ヶ峰、下段:日光自生、いずれも保存株の抜粋)


形態的特徴(江戸系の母体としての標準形)

花の形態(全体)


全体としては、やや垂れ気味の平咲きが典型ですが、やや垂れ気味のものから、ほぼ平咲きのものまで変異幅があります。 花径は10〜15cm程度です。

外花被片(花色・形状)


花色の地域差

  • 霧ヶ峰自生:花色の幅が広く、青紫を中心に赤紫〜紫まで個体間差があります。さらに、淡い赤紫(非常に淡い紫)を示す個体も見られます。これらの淡色個体は、江戸系に白色花が存在することを理解する上で重要な基礎情報となります。
  • 日光自生:花色は淡い紫、赤紫〜紫が中心で、青紫はほとんど見られません(花色の幅は比較的狭いです)。

形状

外花被片は、やや垂れ気味のものから、ほぼ水平に開くものまで幅があり、肩の部分が軸方向に巻く(肩内巻)個体もあれば、巻かずに水平に近い形を示す個体もあります。写真に示した肩内巻きは、その変異の一例です。 縦×横=約6cm×4cmの楕円形ですが、細長いものからやや円形に近いものまで幅があります。

内花被片(花色・形状)


  • 縦×横=約3cm×1.5cm
  • さじ状で外花被片より小型。細長いものから幅広のものまで個体差あり。
  • 淡い赤紫〜紫色で、外花被片とは異なる色調を示す個体もあります。
  • 開花初期は軸方向に直立し、開花が進むと水平に近づきます。

花柱枝(色・形状)


  • 霧ヶ峰自生:外花被片と同じ青紫色だが、赤紫〜紫まで個体差があり、淡い赤紫(非常に淡い紫)や白色を示す個体もあります。
  • 日光自生:外花被片と同じ赤紫〜紫。
  • 周縁に細い白色の覆輪(糸覆輪)をもつ個体があります。
  • 先端は2裂し、軸方向に直立したずい弁が発達します。
  • ずい弁はやや内巻きで、周縁にごく細い白色覆輪をもつ個体があります。

菖翁花・江戸系との関係

江戸時代後期、菖翁(松平左金吾)は、霧ヶ峰自生ノハナショウブと日光自生ノハナショウブを混合して育成材料とし、 これを基に江戸系花菖蒲を作り上げました。

この歴史的推定は長らく文献的根拠に依存していましたが、 近年の分子生物学的解析により、その事実が遺伝的に初めて明確に証明されました。

本学が長年保存してきた菖翁花19品種を対象に解析したところ、

  • 13品種は88.8〜100%の高い一致率を示し、文献に記載のない品種であっても100%一致する真正株が含まれていました。
  • 19品種すべてが80%以上の一致率を示し、 霧ヶ峰・日光自生株との強い遺伝的連続性が確認されました。
  • 一方で、株間差が大きい品種も存在し、 園芸界でしばしば見られる「同名であれば同一品種とみなす」慣習では遺伝的同一性を保証できないことが明らかになりました。
  • さらに、「菖翁花」として伝えられてきたが、遺伝的には外れる品種も確認されました。

(本学の保存株による調査であり、同名を冠する他の株との比較はできません。)

→ 以上の結果から、 江戸系花菖蒲は、霧ヶ峰と日光の自生集団を母体として成立したことが、現代の遺伝学により確定しました。

研究材料の保存と再現性

本ページで示した材料は、1980年代後半から現在まで、本学で自生地ごとに分けて維持・保存してきたものです。採取当時の自然集団を反映した原資料であり、同一条件下で長期比較が可能な、極めて貴重な研究資源です。

2025年の再調査では、霧ヶ峰・日光の自生集団はほとんど確認されず、当時の自然集団は消失した可能性が高いことが分かりました。

現在流通するノハナショウブや園芸品種には、由来の異なる株が同一名称で扱われる例が多く、遺伝的同一性は保証されません。特に、古花(江戸・伊勢・肥後などの歴史的系統)と、戦後に育成された新花が混在して流通している場合があり、園芸施設によっては両者が区別されずに展示・保存されている例も見られます。このような材料では、名称のみを基準とした遺伝的比較は成立しません。

本研究では、採取当時から一貫して保存してきた真正株のみを用いており、これと同等の材料を外部で再現することはできません。そのため、名称のみで伝わる株や、独自に採取した材料を用いた追試は、科学的に成立しません。

保全と今後の研究

霧ヶ峰自生・日光自生のノハナショウブは、近年の乾燥化により自生地での減少が進んでいます。本学では、これらの株を遺伝資源として長期保存し、菖翁花との比較研究を継続しています。

これらの材料は、日本の園芸文化史を支える重要な原種集団であり、今後も適切な維持・管理に努めていきます。


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