玉川大学農学部教授 田淵俊人
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    更新日 2023年1月10日

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花菖蒲図鑑

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うちゅう

宇宙

Uchu

江戸系 【花容】花被片が複雑に発達し、ねじれたような花容で、俗に「狂い咲き」と称しています 【英数】八重咲き(多弁) 【花色】紫青色に白色の筋、花被片の基部が白色 【開花時期】6月中旬(2021年は6月19日開花)

分類 : 江戸系品種。花被片が多く、俗に「狂い咲き」と呼ばれている八重咲き(多弁)花です。
花被片 : 通常、花菖蒲の花器官の構造は、外側から花軸のある内側に向かって、外花被片、内花被片、花柱枝(雌しべに相当する部分)、雄ずいで構成され、それぞれ3枚ずつです。これらの花器官の全てが花被片化をすると、花被片数が12枚の、「宇宙」のような花容になります。園芸学的には「八重咲き」と称していますが、形態的には多弁花とした方が正しい表記かもしれません。本ホームページでは、花被片に見える部分の特徴を述べることにします。
一番外側の花被片と、その内側の花被片の花被片の形状は楕円形で、基本的に外側は大きく、内側に向かうにつれて小さくなります。花被片は厚く、大きく波打って「ひねったような状態」になります。周縁部にわずかな縮緬状構造が見られることがあります。
花色は、青紫色を基調として太い白筋が入ります。花被片の基部は白色で、最も奥の基部には黄色のアイが見えます。白色の筋は花被片の基部のアイ付近から放射状に周縁部に向かって発達しているように見えます。
なお、花被片の他に、次に述べる花柱枝や、花柱枝の裏側の雄ずいが花被片化して、しばしば軸方向に大きく立ち上がることもあります。この場合でも、その部分の花色は青紫色です。
花柱枝 : 花器官の中央部に位置し、水平状ですが軸方向に向かって大きく立ち上がる場合があります。先端部が2裂開(個体によっては3〜4裂開する場合もあります)し、先端部は花被片状のずい弁が形成されます。花柱枝が軸方向に沿って裂開する個体も見受けられます。ずい弁の発達程度(大きさ)や形状には個体差があり、同じ花器官内で異なりますが、形状は小さな細長楕円の場合や、丸い個体などがあります。
周縁部は基本的には円滑ですが、「くも手」状に鋸歯が入る場合もあります。ずい弁の先端部は花被片と同様に青紫色です。また、稀にとさか状の突起(クレスト)状構造が見られることがあります。
備考 : 江戸幕府の旗本、松平左金吾(本名)の作出した品種で、江戸系の花菖蒲の中では、最も歴史的な銘花の一つです。明治神宮では「おおぞら」と詠みます。花器官の形態から「連城の璧(れんじょうのたま)」から派生して育成されたのではないか、とも言われています。
育成者の松平左金吾(以下、菖翁)は、日本各地に自生する野生のノハナショウブを江戸に集め、園芸品種の『花菖蒲』を育成した最初の人物です。その後、江戸・堀切周辺(現在の葛飾区堀切一帯)に花菖蒲の栽培者が増えて花菖蒲園が造成され、様々な品種群が育成、栽培されてきました。これらの品種群を現在では、育成地の江戸にちなんで江戸系の品種群、あるいは江戸花菖蒲と呼んでいます。
江戸系の品種群の中でも最も基本になった菖翁の育成した品種群は、現在では特別に『菖翁花』と呼んで区別することもあり、歴史的、文化的価値の高いものとして貴重です。
本学では、『菖翁花』が花菖蒲の最も初期の品種群と捉え、日本のどの地域に自生していた野生のノハナショウブを使って品種群を育成したか、形態学、生理学、および分子生物学、歴史書から調査研究を行いました。その結果、信州と日光一帯のノハナショウブから育成されたことを初めて発見、発表しました(研究論文参照)。
「宇宙」の花器官は弁数、形態、構造が非常に複雑で、かつ花容が「ひねったように」なります。本ホームページに掲載したように、一様に同じ形態をしたものがありませんので、写真撮影には様々な角度からの画像が必要です。
開花当日、2日目と経過するにつれて、花容は異なってきますし、花色は青紫色が濃いのですが2日目には淡い青色になります。菖翁は花容が時間の経過に伴って変わっていく様を、能や舞踊に見立てて「芸」と呼び、愛好家の間ではこの様を楽しむ人も多いです。
開花後に株は分枝して株の基部から、翌年の開花株を成長させていきますが、「宇宙」の場合は株の分枝性が極めて弱く、当年開花させた後、翌年の分枝株が伸長成長しない場合には、絶えてしまいますので非常に注意が必要です。本学でも開花株は数年に1回程度に抑えて、極力、株を充実させるような栽培法の確立に向けた研究も行っています。
文献 : 冨野耕治.1967.東京(江戸)ハナショウブ.p82−83.安泰文館,東京.
田淵俊人・平松渚・中村泰基・坂本瑛恵.2008.日本伝統の園芸植物、ハナショウブの特性に関する研究(第3報明治神宮(林苑)のおける土質および水質について.園芸学研究 7(別2):578.
中村泰基・平松渚・田淵俊人.2009.ノハナショウブの変異性に関する研究(第11報)外花被片に見られる「とさか状突起の構造」について.園芸学研究.8(別1):412.
田淵俊人.2016.花の品種改良の日本史(柴田道夫監修).p238−239.悠書館,東京.
研究論文 : 江戸系の花菖蒲品種群はどうやってできたのでしょうか?
栽培種の花菖蒲は、菖翁が野生のノハナショウブから育成したことは本人の著書により知られています。では、いったいどこに自生するノハナショウブから育成されたのでしょうか?長年の謎になっていました。
そこで、本学でエステラーゼアイソザイムによる分析を行い、解析を行った結果、本州中部の霧ヶ峰高原一帯のノハナショウブと日光・小田代ヶ原に自生するノハナショウブと、菖翁が育成した品種群のアイソザイムパターンが一致することが明らかになりました。当時の中山道、日光街道を経由してノハナショウブの種子が江戸に運ばれ、ランダムに播種、これらの自然交配の雑種後代から選抜していったであろうと推察できます。
なお、花容、花色についてみると、江戸花菖蒲と、自生地のノハナショウブのパターンが90%以上で一致すること、さらに古文書に「信州に白花の変異あり」と記載されていたことから、江戸系花菖蒲の品種群の由来は、この2地域のノハナショウブに由来すると考えられています。
現在、これらの地域の野生のノハナショウブは地球規模の環境変異により、非常に減少していますので、本学では、野生のノハナショウブを遺伝資源として、当局の許可の基に維持・保存につとめています。また、菖翁花を含め、江戸時代から明治時代、昭和初期に育成された品種群は、「歴史を感じる花」として、価値的価値の高い、文化財として維持・管理をしています。
論文 : 小林孝至・和田 瞳・人見明日香・田淵俊人.2016.アイソザイムから見た、ハナショウブの起源-ノハナショウブとの比較- 園芸学研究16(1):412.

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